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クリスチャン・ベールのヤバい役作りシリーズ最新作『バイス』

 このところ選挙カーが毎朝走り回り、政党名と立候補者名を何度も繰り返し叫びながら町を周る光景が目につく。何かと忙しい朝、「こっちはちゃんと投票行ってるよ」と言い返したくなる時もあるが、あくまで投票自体が目的化してしまい、政治と真に向き合っていない自分に気づかされる。そんな、胃の痛い映画がコチラ。

1960年代半ば、酒癖の悪い電気工ディック・チェイニーは、後に妻となる恋人のリンに叱責されたことをきっかけに、政界への道へ進む。その後、下院議員のドナルド・ラムズフェルドのもとで働きながら政治術を学んだチェイニーは、類稀なる才能を発揮していく。そして頭角を現し大統領首席補佐官、国防長官になったチェイニーは、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領に就任する。そんな時、9.11のあの悲劇が起こり―。

コメディの名手が放つ特大の風刺

 またしても凄まじい一作を放ってきた。監督はコメディ畑出身のアダム・マッケイ。彼は「風刺混じりのコメディ」の名手であり、ウィル・フェレルと組んでは傑作コメディをいくつも輩出してきた。腹を抱えて笑えるコメディながら、その根底には政治や性差別に関する黒いユーモアが散りばめられていて、時にヒヤリとさせられる、そんな作風の持ち主。

 しかし、前作『マネー・ショート 華麗なる大逆転』からその作風に変化が生まれ、社会派要素が強い作品に挑戦。笑えるけど笑えない、そんな金融業界の裏側を描く同作は、これまでのフィルモグラフィーと比較しても突出した意欲作だった。そして次なる『バイス』ではもはや笑いと風刺の比率は1:9と逆転し、終盤は完全なるホラーと化してしまう。こんなに背筋が凍る映画だったとは、鑑賞後のショックは現状今年ベスト。表現の自由を盾にマッケイが放つ、本当の戦争責任の真実。我が国も対岸の火事ではいられないことを、自ずと感じることになるだろう。

 今作で描かれるのは、ブッシュ政権で副大統領を務めたディック・チェイニーという男。恥ずかしながら名前さえ知らなかったが、アメリカでは「史上最悪の副大統領」と忌み嫌われ、今もなお健在の人物。チェイニー本人は公に自らを語ることをせず、映画の取材も当然不可能。そのため、アダム・マッケイら制作陣は入念に事実考証を行い、本人が否定しがたいほどに史実に基づいた物語を形作った上で、闇の政治家を糾弾する。そしてその矛先は、観客へも向けられている。

独裁者のつくりかた。

 今年2月、日本では『ちいさな独裁者』という映画がミニシアター系で公開されていた。1945年4月のドイツで、ひょんなことから上官の制服を手に入れた脱走兵の若者が大尉になりすまし、兵士たちを服従させることを覚え、その振る舞いがエスカレートしていく様を描く驚くべき実話。権力や階級が何でもない人を大量虐殺者へと変貌させていく恐怖と、それに盲従し思考を放棄していく人間の弱さを描き、忘れがたい恐怖を植えつけてくれた一作だった。

 同作が描く通り、恐れるべき独裁者や冷徹なリーダーになるには、血筋や生まれ持った経済力などは必要なく、全てを利用する狡猾さと、人々を従わせる特権さえあればいい。それさえあれば、簡単につくれるし、なれてしまう。大量殺戮者に。

 若かりしディック・チェイニーもまた、酒浸りの自堕落な学生で、どこにでもいるような普通の人。酒と喧嘩に明け暮れ、イェール大学を退学になり、恋人リンに愛想を尽かされる寸前まで追い詰められる、どちらかといえば「クズ」な男。初めから政治家になるような野心も大望もなく、恋人に急かされて歩んだ政治の道だったが、これこそが彼にとっての天職だったと知ることになる。まさかこんな男が副大統領にまで登りつめるなんて、運命はかくも奇妙なものだ。

 政治の道に進んだチェイニーは、議会のインターンプログラムで出会った下院議員ドナルド・ラムズフェルドに従事するようになる。口が堅く、常に服従することを部下に望むラムズフェルドにとって、チェイニーは理想の人材。チェイニーもまた彼の元で政治術を学び、どんどんキャリアを伸ばしていく。

 その過程で、当時の大統領ニクソンと下位議員の密談が一枚のドアを隔てた部屋で行われ、この決定如何で他国に爆弾が落ちるということを学ぶ。人の命を掌握することが政治。そのショッキングな現実を、本作は直接的に描写していく。

 その後、ウォーターゲート事件によってニクソン大統領が失脚したことを契機に、史上最年少34歳の若さで大統領首席補佐官に任命される。しかし、次女のメアリーが同性愛者であることをカミングアウトし、政治キャリアに関わるスキャンダルとなることを予期したチェイニーは、一度は政治を離れ民間企業CEOに就任し、穏やかで安定した生活を送ることに。娘の性を尊重し、抱擁するチェイニーは、やはりどこにでもいる良き父の一人でもあった。

 ここで終わっていれば、全てはハッピーエンドだった。が、一本の電話によって運命はまたしても周りだす。電話の主は、後の大統領ジョージ・W・ブッシュで、チェイニーは副大統領のポストを打診される。

 ここから描かれるチェイニーの政策は、あまりに恐ろしくて上手く説明できる自信もないが、彼が最初に行ったのは「権限の委譲」。チェイニーはブッシュの知識不足に目をつけ、大統領の権限を委任するよう言葉巧みに誘い出し、まんまと権力を拡大していく。釣り針に引っかかった魚をリールで巻き取るように、大統領の権力を自分の元に手繰り寄せていく手腕に、まず脱帽。

 次に、法務の専門家や秘書を自分のチームに登用し、都合の良い人物に役職を与えていくこと。そして次は「法解釈」の曖昧さに着目し、税収法やエネルギー企業との繋がりをどんどん改変していく。さらには「情報統制」も敷き、大統領にすら閲覧できないよう党内サーバーだけのメール網を確保する。全ては都合のいいように、何もかも捻じ曲げていく。

 そして起きてしまった、アメリカ国民にとって最大の悲劇である、9.11同時多発テロ。しかしチェイニーはこれをチャンスと捉え、ある恐ろしい命令を下す…。やがて米国はイラク戦争への道を進み、現地の市民や米軍兵士も含め、多数の人間が命を落としていく。そこに正義はあったのか、何のための戦争だったのか。その答えも得られぬまま、ホワイトハウスの中でたった一人、恐るべき権力者が生まれ落ちたことを、観客の全員が後になって知る。こんなに恐ろしい顛末があっただろうか。

地獄はまだそこにある

 9.11も、イラク戦争も、もう終わったこと…などではもちろんなく、チェイニーが残した負の遺産がまだ根付いていることを、追い討ちのように描いていく。一度同じことが起きれば、過去の対応は「引用」することができる。兵士の派遣も、開戦も、尋問も。すでに動き出した歯車は止められないのと同じ、アメリカという国がすでにチェイニーの独裁によって動く大きなシステムそのものに依存してしまっている。

 どこにでもいる自堕落な青年が、政治に居場所を見つけ、才覚を発揮し登りつめていく。やがては大きな権力を振りかざし、数千人もの人の命を一手に握ってしまう。このような恐ろしい悪魔を創り出したのは誰なのか、チェイニー本人が、スクリーンの前に座る我々に語りかけてくる。

 さらにエンドロール中にも短い映像があり、そこでも手綱を緩ませることはない。政治思想を盾に他者を批判し、時に暴力を振るう者、そして「無関心」である者…。観客に逃げ場を与えず、現実を直視させるアダム・マッケイの痛烈なメッセージに、背筋が凍るとしか言う他ない、衝撃の問題作だ。

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