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失くした日常は、もう戻ってこない。『劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly』

 第1章の予告編に興味を惹かれたあの日から一年以上経ち、いろんな作品を履修して、ようやくリアルタイムで一緒に盛り上がることができました。初めて劇場で観る『Fate』、TVシリーズの時点で劇場作品レベルだった映像はさらに迫力と美しさを増し、梶浦由記先生の劇伴に包みこまれる幸福な時間。そして鑑賞後に訪れる、拭い去ることのできない切なさ。よもやこんなに狂おしい物語だったとは。

※筆者のFate歴は以下ご参照ください。
※筆者は原作未プレイのため、解釈を間違えている可能性がございます。
※以下、映画本編のネタバレが含まれます。

 2017年10月に公開された第1章『presage flower』では、衛宮士郎と間桐桜、彼らの慎ましくも平和な日常の尊さと、それが「聖杯戦争」の開幕によって脆くも崩れ去る様が描かれました。同時に、間桐桜と間桐慎二、魔術師の家系に生きる上で持つ者と持たざる者に分かれた兄妹の歪な感情が、衛宮士郎たった一人に収束していく構図が、こちらの感情を激しく揺さぶる作品でした。どんなに求めても得られず、心は嫉妬や独占欲に囚われていく。そんな不器用な兄妹の生き様を、作り手の深い愛と理解で寄り添いながら描いていく。それを観た観客は「しんどい」と嘆く。こちらの精神力が問われる一作でした。

 続く第2章は、第1章で撒かれた種が不穏な形で育ち、キャラクターたちの運命に絡みついていく。ドロドロの、剥き出しの感情はまるで底なし沼のように、全てを飲み込んでいく。つらい。つらすぎる。

慎二がつらい

 聖杯戦争ではライダーのマスターとして振る舞っていた慎二だったが、真のマスターは桜であった。間桐の家系の魔術はすでに途絶えており、慎二は桜からライダーへの命令権を譲渡されていただけに過ぎない。

 そして本作では、慎二の劣等感が何度も強調されていきます。士郎・凛と桜の掛け合いから蚊帳の外になっていく構図、魔術で身を守った士郎を見た時の表情、桜が持つと光る緑の液体が入った小ビン…。どんなに努力しても得られなかったもの、「魔術」という才能を持つ士郎と桜に囲まれた間桐慎二という人物は、どれだけのコンプレックスに苛まれていたのでしょうか。かりそめでもマスターであった立場をついに奪われてしまった彼は、魔術師の家系において生きる術を見失ったに等しい。

 その絶望ゆえに、慎二は自分より優れた魔術師である、そして士郎にとっても大切な人である桜を、犯すことでしか自分を保つことができなかった。これまでもそうしてきたように。

 もちろん、その行為や思考は許されるものではありません。が、理想と現実のギャップに苛まれ、自信を失うことの苦しみは、簡単に拭い去ることはできない。極端な行動に走ったがゆえ裁かれるのも当然とはいえ、切望した全てを得られぬまま退場していったこの男の末路は、とても切ないのです。

桜ちゃんが背負う業が重すぎる

 通称「桜ルート」と呼ばれる『Heaven's Feel』では、間桐桜(以下、桜ちゃん呼びでいきます)の日常における光と影が描かれます。士郎との生活で笑顔を取戻し、それがいつまでも続きますようにと願う。一方で、悲惨な過去とおぞましい蟲たちの悪夢を見るも、それに対して動揺しないほどに心は擦り切れていて。

 そんな桜ちゃんは、”聖杯の中身”に汚染され、おぞましい姿に変貌していきます。気づかぬ内に人を喰らい、その手を血で汚していたこと。黒化した彼女が、わずか数日で冬木市に住まう全ての人々を喰らい尽くすと知った士郎は、大勢を救うための犠牲として桜ちゃんを殺すか否かの決断を迫られます。切嗣から受け継いだ理想か、それとも桜のためだけのヒーローとなるか。生き方や理念そのものを変えざるを得ない局面に、士郎は声にならない嗚咽を漏らす。

 そしてその士郎の姿を、桜ちゃんは知っています。誰よりも愛している先輩を、自分自身が苦しめてしまったこと。その結果、ずっと続けばいいと思っていた日常を自ら捨て去り、間桐の家に戻ったことで全ての歯車が狂う…。

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 本当の家族から引き離され、11年間による”調教”を受けてきた桜ちゃん。蟲から凌辱され、義理の兄から犯されても我慢してやり過ごして、生きてきた。あまりに過酷で、救いのない人生。それでも、士郎との生活の中で笑顔が増え、大切な人ができた。その人と結ばれた。こんな幸せな日々が続けばいいのに。

 なのに。「好きでもない人から触れられることが嫌になった」から、人間として当然の感情を取り戻してしまったことで、彼女は黒いバケモノになっていく。家族も純潔も尊厳も奪われてきた人生で初めて、あの人が欲しいと、自分だけのものにしたいと願った「愛」ゆえに、間桐桜は間桐桜ではなくなっていく。

 だからこそ、第1章でのやり取りが響いてくる。「もし私が悪い人になったら許せませんか―?」と、彼女は問いかけた。これに対して、私はどうしても思ってしまう。「人を好きになったら、悪い人なんですか―?」って。人をたくさん殺してしまったけど、この人をそこまで追い詰めたのは、「魔術」に憑りつかれた人々なのだから。

 その答えを、おそらく最終章は突き付けてくる。愛を請うばかりにヒトの姿を捨ててしまった彼女を殺すのか、受け止めるのか。「桜だけの正義の味方」が駆けつけることを祈るのは、画面の中の桜ちゃんだけではなく、私もその一人になってしまった。

士郎マジで頼むぞお前

 間桐姉弟の熱視線を受ける我らが主人公こと衛宮士郎。今作では、彼の人間味もちゃんと描かれていて、少なくともFateルートのアニメ版(2006)のときの不快感は感じませんでした。「桜だけの正義の味方になる」という宣言が、どれだけ重たいものであるかを、他のルートを観てきた観客なら自然と察してしまうだろうからな、と。

 「正義の味方」とは切嗣から受け継いだ理想であって、聖杯戦争が始まる前の士郎はそれを実行するマシーンにも近いような。第1章での弓道場の清掃を巡る慎二とのやり取りにあったように、善行を成すことが当たり前であると信じ、それを疑わず実行する、歪な機械。それでも、十年前の大火で全てを失った彼にとっては切嗣の背を追うことが生き方そのものであったわけで、一人の女の子を守るためにその理想を捨てるというのは、並大抵の決断ではない。

 でも、ようやく士郎を等身大の男の子のように感じられて、そこが個人的には嬉しかった。正義を盲目的に実行するプログラムではなくて、手の届く身近なものを守りたい、大事にしたいという気持ち。桜に刃を突きたてようとして出来なかった彼の人間臭さが、今では愛おしい。士郎のことが欲しくてたまらないという桜のエゴ、桜を救いたいという士郎のエゴ、そのぶつかり合いが描かれる第3章は、頼むからその想いが成就してほしい。いっぱい人が死んで、取り返しのつかないことになっても、この愛だけは守られてほしい。

 ところで、これは余談なんですが、初夜のシーンあるじゃないですか。ベッドシーンで泣いたの初めてで、何でだろうってずっと考えてたんですが、二回目の鑑賞で気づきました。これ、エヴァンゲリオン旧劇場版のシンジくんとミサトさんのキスシーンなんですよね。家族なら絶対にしない行為をすることで、相手を一人の異性として認めること。すなわち、もう家族じゃないのよ、と。一つの関係性が終わりを告げ、新たな意味をもつものへ昇華していく。とても切ない余韻を残す名シーンです。あと、劇場で聴く息遣いの生々しさがたまらんです。

ヘラクレスパイセンの漢気に泣け

 助けを求める少女の声に応えて復活って、完全にヒーローじゃん…。平成ジェネレーションズFOREVERじゃん…。どう考えてもコミュニケート不可能なマジの狂戦士なのに、イリヤを守ることだけは貫き通すヘラクレスさんマジで推せる。

アーチャーさんが涙腺にアンリミテッドブレイドワークス

 アーチャー…っていうかエミヤなんだけど、どんな時でも凛の安全を最優先に行動する姿が従者として完璧だし、凛が聴いてないところでだけ「遠坂」って呼ぶのズルすぎる…。一瞬で泣けるからそういうの。

※「本作を観に来るような人はこれまでのTVアニメや原作は履修済みでしょ?」っていう作り手の我々に対する信頼度がスゴイので、丸腰で見に来るとイタい目に合う。

 あと、冒頭の遠坂邸にて、士郎に出す紅茶を淹れるのを渋るのも良かったですよね。彼はこのルートでも彼なりの方法で衛宮士郎を案じ導いているようで、結果としてUBWとは違った顛末を迎えるのだけれど、イリヤの手を離さなかった士郎に呆れつつも認めていたのかな、その上であの行動に出たのかなと思ってしまう。

主題歌が容赦ない

 作詞・作曲:梶浦由記×Aimerによるエモの暴力再び。またしても「間桐桜」そのものを深いところまで歌いあげた歌詞の壮絶さ、込められた情念がワードとして襲ってくるエンドロール。実は一番心エグられるのがココ。

2020年春まで待たされる鬼畜の所業

 「ここまできたらいつまでも待つので、納得のいくクオリティまで仕上げて欲しい」というのはオタクの身勝手な欲望ですが、本音を言えば「殺す気か!!!!!今すぐ観せろ!!!!!!!!!!!!!」くらいの圧です。桜ちゃんや慎二へのしんどい気持ちを抱えたまま、一年間生きていかねばなりません。事故や病気や災害にも負けない、強い心が試されます。

最後に

 前作を鑑賞した際、これは「感情映画だ」とよくわからん寝言を書き起こしましたが、案外的外れではなかったというか。衛宮士郎に向けられた、歪み屈折した、しかし一途で健気な感情の行く先を見守るのがこの『Heaven's Feel』という物語だと現時点で勝手に思っています。

 結末が気になっているのは正直なところですが、原作未プレイという新鮮な気持ちでアニメと向き合える今の状態をみすみす手放すのも惜しいと思っているので、寒い冬を生き延び、雪解けの先の2020年春を待つつもりです。どうか、最後は桜ちゃんが笑顔になれますように。

(19/4/6追記)
豪華版パンフレットのドラマCDを聴いた話

 劇場パンフレット豪華版同梱のドラマCDを今更聴きました。お値段は前作同様に3,000円、収録時間は短くなったものの、内容の濃さは上回ってます。

 タイトルは「インタビュー 未推敲 掲載予定無し」。間桐慎二が聴き手に向かって自身の過去と、第五次聖杯戦争のこれまでを語る。

 本作で描かれた間桐慎二の「劣等感」をさらに補強する内容になっていて、これもまたしんどい案件です。卑怯で器の小さい男という印象を受けやすい慎二ですが、実は努力家で、その根底には魔術への憧れがあったから。勉強や学校行事も難なくこなし、家に帰っても魔術の勉強尽くし。それでも、生まれ持った才能の差は覆せない。あの凄惨な蟲蔵を見ても桜に対して同情や憐憫を抱けないほどに、彼もまたすり減っていて、はけ口を妹に求めた。初めての妹が出来たことを喜ぶ一時さえあったかもしれないのに…。

 慎二本人が士郎を語る場面も、演技の熱がこもっていたような印象を受けました。第1章で一瞬だけ映る、二人でお弁当を食べる写真。「士郎が弁当を手作りしてると知って、僕も料理をやってみた。あれも魔術に…役立ったかな」お前な~~~~~~!!!!!!!!お前もうほっんと、そういうところだぞ!?!??!?!?!?!?!??!?

 もうここからは妄想というか願望なんですけど、例えば慎二の中に、士郎に「料理を教えて」って言えるような素直さがあれば、後の悲劇は避けられたと思うんですよ。なんでも独学でこなせてしまう器用さゆえに、慎二は人を頼れないし、人を信じられない。そうして間桐家で何でも完結させてしまった結果、蟲蔵を知って、桜と自分の中にある見えない才能の壁に気づくわけですよ。桜が士郎の家に通うようになって人間らしさを取り戻したように、慎二が士郎の家に通うことで魔術のしがらみから少しでも抜け出せたらって、そんな「もしも」があったんじゃないの!?!?でもその場合桜が救われないんだよなーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!鬼かよ。

 そんなわけで、本編を補完する意味でも必聴の一枚になってました。あんな末路を迎えた慎二ですが、彼が荒んでしまう前の一瞬を垣間見ることができて、今はもう彼を笑ったりなんでできません。お前も幸せになっていいんだぞ、慎二。

この辺の文章、慎二に寄り添いすぎて「桜ちゃん」って呼べなくなってるの、クッソキモいですね。情緒不安定かよ。

桜が、咲きました。

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