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TVシリーズ脱落したけど『ゼロワン REAL×TIME』が面白かった。

 令和ライダー。その一言を聴く度に、胸の奥がズキリと痛む。なんというか、後ろめたさとセットなのである。令和ライダーと私は。

 『ゼロワン』がコロナ禍による撮影中止と総集編による穴埋めを余儀なくされたように、私個人もまたコロナ周りの影響で仕事が多忙化し、日曜が訪れる度に録画データが溜まる一方、それを消化する精神的余裕が得られず終盤にドロップアウト。続く『セイバー』も年末に体調を崩したことに由来してこれまた脱落。今の『リバイス』はなんとか最新話まで食らいついてはいるものの、本筋に関わりそうなスピンオフや演者のインタビューまでチェックする精神的余裕を失い、最終話と夏の劇場版までモチベーションを抱き続けられるか、かなり怪しくなっている。あくまで作品の出来由来などではなく、私個人の事情としてなのだけれど、「これでライダーファンを名乗っていいのだろうか」という疑念が頭をよぎる程度には、しっかり向き合えていない罪悪感がある。

 それはそれとして、私は伊藤英明が大好きだ。頼りになる兄貴分、爽やかなレスキュー青年、サイコパス英語教師などなど、自身のパブリックイメージをその都度塗り替えるような役にも果敢にチャレンジし、しっかりと観た人に強い印象を残していく格好いい男。上司になってほしい男ランキング不動の第一位にして、男が憧れる真の男。そんな英明が仮面ライダーになる……その一報を聞いた時の驚きたるや、母親にLINEしようとしてかつての高校時代の生徒会グループに誤爆シェアし、メンバーの結婚報告に関係ないニュースで割り込む空気の読めなさを発揮してしばらく居づらくなってしまったほどである。あぁ、またしても罪悪感とセットになってしまった、令和ライダーへの苦い思い出。

 そんな思いを振り切るように……というわけではないが、この度『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』をプライムビデオのウォッチパーティを介して同時再生会を実施、本編があまりに面白かったのでつらつら感想を述べていきたい。なお私の当時の履修状況は『ゼロワン』TVシリーズをAIBOの回あたりで脱落し、最終話付近を観ていない状態であるため、事実と異なる指摘があるかもしれません、とだけ付け加えておきたい。

 まずは率直な感想を。『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』、めちゃくちゃ面白かった。社会情勢の煽りを受け「冬公開の夏映画」という特殊な属性を帯びてしまった本作なのだけれど、80分という単独映画にしては贅沢な尺が与えられ、これまでの鬱憤を晴らすかのようにアクションもストーリーも、『ゼロワン』のいいところ全部乗せ!みたいな勢いがあり、片時も退屈する暇がなかった。満足感としては歴代のライダー劇場版の中でも上位に数えられるし、振り返って『ゼロワン』の印象さえ好転するかのような力作で、「東映特撮映画」に対するこちら側の無意識のハードルを遥か高くに飛び越えてくれたことが何よりも嬉しい。

 『REAL×TIME』に思わず唸ったのは主に二つ。「仮面ライダー劇場版としてフレッシュな画がたくさんあったこと」と、「TVシリーズで観られなかったもの」がちゃんと織り込まれていたところにある。

 まず「仮面ライダー劇場版としてフレッシュな画がたくさんあったこと」については、ドラマ面ではテロリストによって蒔かれたナノマシンによる影響で民間人が犠牲となり、A.I.M.S.隊員がガスマスクを装着して登場するシーンがとにかく強烈だ。言わずもがな、『ゼロワン』という作品外での最大の敵になってしまった新型コロナを思い出さずにはいられないし、その後も実景と合成を織り交ぜながら「人がいない電車の車内」「通行人が一人もいない東京駅」というショッキングな画が続く。どこまで意図されたものかはわからないけれど、パンデミックと外出自粛を経験した観客にとって、日常と地続きに起こる突然のパニック描写とはこういうものなのだ、という価値観の刷新を思わせる。

 ライダー周りの描写にも目新しいものが多く、伊藤英明演じるエスが変身する仮面ライダーエデンは、身体に光るラインが血管を彷彿とさせるだけでなく攻撃に血のエフェクトが追従する形でインパクトがあるし、何より変身エフェクトにおける「女性の身体が寄り添うようにして纏う」様の、なんとも切なくてアダルトな余韻を感じさせるところが良い。直前の変身ポーズが「祈り」なのを含めて、その裏に悲壮な想いを抱えていることを暗示させることで、その後のドラマへの期待がより深まっていく。

 その他、ゼロワンの新たな暴走形態「ヘルライジングホッパー」のあり得ない方向に曲がった腕だとか、高橋文哉くんの悲痛な叫びによる痛々しさの描写はわりと容赦がなかったし、『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』に引き続き登板の杉原輝昭監督のこだわり光るコンバット描写はさらに拡充され、銃撃と格闘を織り交ぜた『ジョン・ウィック』風の動きを見せるバルカン&バルキリーには思わず声が出た。敵側の量産型ライダー・アバドンも銃の反動を受ける挙動があって、後々明かされる「実は戦闘慣れしてない人たち」の真実に接続していく。このように、アクションとドラマの融和においても見どころがたくさん用意されていて、高い完成度を支えているようだ。

 次に「TVシリーズで観られなかったもの」として、TVシリーズを網羅しているわけではない身で言及するのも憚られるのだけれど、飛電、A.I.M.S.、ZAIA、滅亡迅雷.netが共通の敵に立ち向かう一連の流れは、「人間とヒューマギアの共存」という難題から解放された『ゼロワン』とは、こんなにも見通しが良くなるのか!という発見さえあった。人と機械の差、立場や会社の垣根を超えた共闘は、それ自体が当たり前のことであるかのように各々が振る舞い、各現場でのプロフェッショナルな仕事の集積が大きな結果を生むという意味で『シン・ゴジラ』の心地よさにも通じるものがあった(それだけに“100%”のくだりは東映の悪い癖として目立つ)。

 ヒューマギアへの憎しみから解放された不破さんは迅とのコンビで戦闘機軍団と闘い、我らが唯阿さんの凛々しいお姿は健在でバルキリーは『クウガ』を思わせるバイクアクションの一大見せ場が用意されている。天津垓は……裏切者の割り出しとエスの目的を解き明かす参謀(兼視聴者への解説係)として縁の下で働き、クライマックスのライダー大集合ではサウザーとして大暴れ。滅は顔の良さ&衣装の格好良さ&殺陣のキマり具合&変身すれば高岩さんというつよつよ属性二郎盛りの特権を全編に振りまき、TVシリーズ終盤で彼に起こったであろう「変化」を思わせるセリフもあって、遡って履修したくなってしまった。レギュラーキャラクターのアンサンブルがTVシリーズより広がりを見せ、かつ各々の変化と成長を思わせつつ、最後はキッチリ「分かれ道」でオトす。80分の中で描かれる彼らの関係性は、とても爽やかで「悪意」とは程遠いものであった。

 と、ここまで抜き出した要素だけでも面白いのに、さらに加速するのが『REAL×TIME』のスゴいところ。神による6日間の世界創造を引用し「60分で世界を崩壊させる」と打って出た、謎のテロリスト集団「シンクネット」の首魁エス。彼はAIを搭載したナノマシンを用いて人々を襲うのだが、その裏には「亡くなった恋人が生きられる楽園の創造」という野望があり、その無作為にも見える破壊行為は実のところ「人間選別」である、という恐ろしい真相が待っていた。さらには自身もナノマシンの集合体の身体に人間だった頃の脳をデータ化して移植したものであり、テクノロジーを悪用する人間ではなくテクノロジーそのものが敵として立ちはだかる展開は、『ゼロワン』のTVシリーズを経た上での飛躍として面白いアイデアだと思う。

 この辺りは同じ高橋悠也脚本の『エグゼイド』におけるデータと生命の着地を彷彿とさせつつ、神の伝承を受け、逆らう男が変身するライダーにエデン=楽園の名を授かり、その手下には黙示録のイナゴの悪魔アバドンが無数に控えている、という聖書モチーフの徹底がオタク心に刺さる。しかも、終盤ではエスの目的に気づいた信者の一人が仮面ライダールシファーに変身するのだけれど、(追放ではなく離反だが)エデン=楽園の下を離れ失楽園した(ライダー的にはパラダイス・ロストした、と言いたくなってしまう)ライダーがルシファー(堕天使)の名を冠するなんて、あまりに綺麗なパズルの完成を観たような感動がある。その荘厳なモチーフに順ずるように、クライマックスは教会で、愛する者との別れを決意し、最後の一時を結婚式で締めることによってエスが悪意から解き放たれる、この一連のストーリーにも大きな納得が得られた。

 対する飛電或人は、実のところテクノロジーの可能性を信じる、という部分ではTVシリーズと主張は変わっていない。なのだけれど、その対象が「AI搭載人型ロボットではない」というだけで、こんなにも咀嚼しやすくなるなんて、本当の本当に予想外だった。『令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』でもその萌芽はあったのだけれど、ラーニングによって感情を会得したヒトの形をした機械を人間と等しく扱うことは、見え方によっては奴隷化に受け取られかねない危うさがあり、ヒューマギアを尊重しようとすればするほど、自らそれを破壊しなければならない「仮面ライダーというお仕事」の悲壮さが増し、ライダーアクションから爽快感が奪われていく。加えて、或人のギャグが上滑りするという定番の流れがそのテーマに蓋をしてしまうもどかしさがあって、TVシリーズはどこか「広げた風呂敷を見なかったことにする」印象があった。

 そこから振り返って本作、或人が信じるのはAI搭載型ナノマシンという人型ではない技術であり、本来は医療用として開発された経緯の重要性を知ればこそ、その技術によって人々を苦しめるエスの野望に「NO」を叩きつける。ヒューマギアが人間と同じ形をしているだけで不可避的に浮かび上がってしまう倫理的問題から解放された時、飛電或人は「テクノロジーの進化によって人間社会が豊かになること」を真っ直ぐに信じる好青年に写り、祖父や父の理想を継ぐ若社長として好感の持てるキャラクターに化ける。『ゼロワン』という作品に感じるモヤモヤの正体が、よりにもよってメインテーマであるヒューマギアとの共存から発せられるものだった、という悲しい気づきがあるのだけれど、少なくとも本作単体で観ている部分には倫理に惑わされることはない。

 自社製品を破壊して回る悲しいマラソンから解放されたゼロワンの活躍に、さらなる飛躍をもたらすのがゼロツーとの共闘。ゼロツーの名前とマフラーの意匠から連想せずにはいられなかった「2号ライダー」としての顔が満を持して全面化し、イズのしなやかな秘書的所作がゼロワンと横並びになった際になんとも映える。よもやこの瞬間のために全てが設計されていたのでは、と妄想してしまうほどに、イズが「相棒」として並び立って闘う様は問答無用でアガるし、主題歌「REAL×EYEZ」が流れる瞬間のケレン味こそ、(実質)夏映画の集大成という側面を大いに盛り上げてくれた。これがあるだけで映画の評価はうなぎ登りになってしまう。

 かくして、『REAL×TIME』は『ゼロワン』という作品が背負わざるを得なかった数多の課題を一旦降ろし、身軽になった身体で爽やかに飛翔し新しい景色を届けてくれる、複雑な経緯を持ちながらも見どころだらけの一作だった。私のように、本作をもって『ゼロワン』の作品評価を底上げされたかのような感慨を覚えた方も、多いのではないかと邪推してしまう。それほどまでにサプライズに満ちており、観ながら幸せな気持ちで一杯だった。

 全世界的な疫病に苛まれ、かつてない苦境に立たされた『ゼロワン』という不運の作品。それでも、本作に関してはスタッフ・キャスト共に満足感をもって劇場にお届けできたんじゃないだろうか。その辺りは公開当時の証言を遡って読んでみたい衝動に駆られつつ、『ゼロワン』ともう一度向き合ってみたい気持ちが湧いてきたことに、何よりも驚いている。

 最後に、突発な企画にも関わらずご賛同いただいたれんとさん(@Le_Soya)、スピーカーとして夜遅くまでお付き合いいただいた皆さんにお礼申し上げます。

 ここからは完全に余談。『ゼロワン』へ当時抱いていた期待と、実際に送り出されたものとのギャップについてのお話。

 前述した通り、私は放送当時『ゼロワン』を、AIBO回の辺りで投げ出してしまった。AIBO、というより天津垓だ。彼の顔を観る度に、「過度な期待をするな」と俺の中の俺が叫ぶ。

 天津垓。放送スタートから1クール、滅亡迅雷.netを撃破して入れ替わる形で本格参戦したこの男は、主人公の或人と同じ社長という肩書を持っていた。彼が最初に持ち掛けたのは、飛電インテリジェンスの買収。飛電の技術と開発力を認め、企業の生存戦略の一環として或人に近づいてきた。

 私は当初、天津垓という男に「大人」としての役割を期待していた。飛電或人は先代からの指名を受けた名実ともに飛電インテリジェンスの社長ではあるが、経営者としての技量と手腕を問われること、あるいは社員の生活に対して責任があること、といった「責務」の面で悩むシーンは、あまり見られなかったと記憶している。それに対し、或人よりも大人で経験豊富な、かつ経営者としての妥当性や理念を心得た人物としての社長ライダー。企業のミッションであるところの「利潤の追求」をタテに、まだ未熟な或人社長に揺さぶりをかけ、会社の成長というそれはそれで切実な願いのために飛電に立ちふさがる、という展開は、非常に私好みで面白くなるのでは!?と妄想を掻き立てていたのでである。例えば、ダンスチーム同士の遊びを生殺与奪のフィールドへと変えてしまった『鎧武』のゲネシス組のように、真っ直ぐだが青臭い或人へのカウンターとしての役割を、期待してしまった。

 ところが、結果は皆さんもご存じの通り。天津垓はアークに人間の悪意をラーニングさせた諸悪の根源と呼ぶべき存在であり、自社製品がヒューマギアよりも優れていることを示すための布石として全世界を巻き込むという、とんだ大罪人だったのだ。デイブレイクを間接的に招いた張本人でもあり、その影響で決して少なくない死者が出ていることを思えば、法の裁きを受けてなお生温いと思わせるほどの重罪人。エスが凶行に走ったのも、紐解いていけばこの男の存在に辿り着いてしまうのだ。

 それだけならまだよかった。なのだけれど、悪名高き「お仕事5番勝負」では飛電のイメージを損なうために手段を問わない不正を行うなどして、本来社長が持っていてほしい「自社製品への揺るぎない自信」を疑わせ、そもそもの勝負の公平性を毀損することで「人とAIのどちらが優れているか」という命題にすら唾を吐きかける始末。唯阿に対するパワハラまがいの態度相まって、「24歳を自称する45歳」という本来なら笑いに繋がる要素さえも度を越したナルシストに映ってしまい、ヘイトを一手に担う役割を果たすばかりでその背中から学ぶことの一切ない傲慢不遜な人物像は覆らない。

 そして迎えた「さうざー」回。垓の少年時代が描かれ、彼の1000%へのこだわり、厳格な父によって歪められてしまった価値観が明かされる。そんな人生に癒しを与えてくれたペットロボットさうざーとの悲しい別れ。努力した末に掴み取った今の地位。その裏に隠された、他者との触れ合いへの渇望。それらを見据えた時、垓の本心がようやく露わになる。

「心の底から、許せなかった……。君の事も、ヒューマギアの事も……」
「青臭い夢ばかり掲げる経営が許せなかった。その理由はただ一つ……」
「私が、飛電インテリジェンスを愛していたからだ!!」

第38話『ボクは1000%キミの友だち』

 愛。飛電是之助を敬愛し、飛電のことを誰よりも想っていたからこそ、ヒューマギアとの共存という自分とは違う道を走り続けたまま飛電を継いだ或人への反発。そのことを認め、アークゼロと闘うゼロワンに助太刀し、謝罪する垓。その不器用さは人づきあいに慣れていない証拠で、その粗削りだけどストレートな言葉の発露が和解へのきっかけとなったのは確か。その後は飛電の社長及びZAIA日本支社長を解任、サウザー課に左遷され、今は贖罪のため励んでいる……というのが私が(『REAL×TIME』以前に観た)天津垓最後の姿だった。

 演:桜木那智さんの並々ならぬ作りこみも相まって、悪し様に言うのも憚られるし、「1000%」というキャッチーな決め台詞も嫌いじゃなかった。なのだけれど、天津垓は決して或人の成長を促すメンターにも乗り越えるべき壁にもならず、自身は不正とマッチポンプを繰り返す、とてもさもしい人物に収まった。少なくとも、私にはそう映ってしまった。

 多方面から『ゼロワン』の歪みを引き受けてしまった天津垓というキャラクター。今後作品を見返すことがあっても、彼に対しての「何とかならんかったんか」という個人的な想いは、消えることはないのかもしれない。


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