見出し画像

『プリティーリズム・レインボーライブ』を観て、愛を学んだ。

『キンプリ』にハマったら前日譚の『プリティーリズム・レインボーライブ』をオバレが結成するまで観てくれ。

キンプリファンからのDM

 じゃあオバレが結成するのはいつだ?最終回だ。まさか4クール全51話を観ることになるとは思わなかった。ただ、心の底から観て良かったと今では素直に思える。日ごろ仮面ライダーやウルトラマンといったコンテンツを観ているくせに、いわゆる女児向けアニメは自分の好みじゃないと決め付けて、見向きもしなかった。そういうナメた姿勢だったからこそ、子供騙しではなく「子ども向け」として作り手が真摯にメッセージを届けようとする志に感動し、辛い現実をどうにかサバイブしながら奮闘する少女たちに、涙腺を何度も決壊させられた。だからこそ声を大にして言いたい。「女児アニメをナメるな。プリティーリズム・レインボーライブを観てくれ」と。


競技化するプリズムショーと、プリズムライブ

 プリズムショーとは、「フィギュアスケートとおしゃれコーデと歌唱が融合した総合エンターテイメントで、プリズムスタァのプリズムジャンプでプリズムは煌めき、世界が輝いて見える」のことである。要するに回転ジャンプのたびに必殺技のCGムービーが流れるというものだ。プリズムショーは専門の養成所が設立されるほどに浸透しており、後の『キンプリ』のスタァが所属していた「エーデルローズ」がその最大手。

 この頃のエーデルローズを取り仕切っていたのは、あの法月仁。仁は徹底的な能力主義で学園を掌握し、ランキング制によって基準に満たない者は即退学という厳しい校則を敷く。その結果、スタァたちの間で足の引っ張り合いの横行、エリート意識の冗長といった悪しき風習が根付き始める。その中でも一番の実力者である蓮城寺べるは女王として君臨し、取り巻きの森園わかな小鳥遊おとはを従えながら、常に頂点を維持し続けていた。

 そんな殺伐としたプリズム事情の中で、ファッションブランドショップ「プリズムストーン」の店長に就任した彩瀬なるは、同じ学校の福原あん 、涼野いとと共に中学生店長としてお店を切り盛りすることに。その辺のリアリティについてはさておき、店長仕事の一環として、プリズムショーを披露することになった三人は、プリズムライブという新たな必殺技を引っ提げて、プリズムの荒波に参戦することになる。フィギュアスケートとおしゃれコーデと歌唱、その上に楽器の演奏という演出過多なそれは現状のルールでは採点基準を持たず、物語序盤まで彼女たちのプリズムライブは点数として認められなかった。しかし、後にプリズムライブの点数化が決定し、いかに回数を飛ぶかというジャンプ至上主義が横行するプリズムショー界に激震走る―。というのが基本のあらすじだ。

 物語はプリズムストーンの三人と、後に「ベルローズ」を名乗ることになる蓮城寺べるら三人の対立から始まり、そこに謎の少女りんね、女子プリズムジャンプ界最高の実力者である天羽ジュネ、オバレの三人とプリズムショー界を運営する大人たちとスタァたちの親世代のドラマが濃厚に絡まる群像劇に発展。これだけの数のキャラクターが相互に関係し合い、互いの価値観や意思をぶつけ合いながら各々が成長していく。その進行の手際の良さ、丁寧な前フリが後に響くストーリーの完成度はとても高く、終盤に近づくにつれ人間ドラマとしての厚みがどんどん増していき、感情表現としての各キャラクターのプリズムジャンプによって最高潮のカタルシスが得られる。様々な感情が入り乱れながらも進行するドラマは圧巻で、そのメッセージの奥深さは大人の鑑賞に堪えるどころの話ではなく、むしろ大人が観るべき教訓としての強い輝きを放つ。上述の通り、ナメていた大人ほど、泣かされてしまうのだ。

交差する人間ドラマ

 『レインボーライブ』の物語に一貫して描かれるテーマは、有り体に言ってしまえば「愛」の一言である。友愛、異性愛、家族愛、あるいは音楽やプリズムショーへの愛。ありとあらゆる愛に向き合い、決して独りよがりにならず常に他者との交流の中で育まれる関係性の変化に寄り添い、厚く描いていく。今どきの言葉で評するなら「エモい」に特化したアニメだと断言できる。

 例えば、福原あんと森園わかなのドラマ。いつも明るく責任感の強いあんと、彼女に対して皮肉交じりな言動でしかコミュニケーション出来ないわかなは、幾度となく衝突する。その裏には、あんが忘れ去ってしまった過去が関係していた。また、わかなが誰に対しても素直になれない理由として、彼女の家庭事情が少しずつ明かされていく。それぞれが問題を抱えつつも、過去の行き違い、自分のやりたいことに一つ一つ向き合いながら、互いへの理解を深めていく。その過程で、二人が同じ相手(仁科カヅキ)に好意を抱いていると知り、あんとわかなは恋のライバルとして切磋琢磨しながら、デュオを結成する。これが!3クールに渡って!着々と積み上げられていく!!これぞ『レインボーライブ』なのだ。

 また、『レインボーライブ』を語る上で欠かせないのが、家族の描き方。アニメのメインターゲット層である女の子たちにとって、親やきょうだいは最も身近な他人である。だが、全ての家族が理想的とは限らない、という現実を、本作は真正面から描いている。例を挙げるのならそれだけで数千字は下らないほどに、このアニメにおいてほとんどの家庭が何かしらの問題を抱え、崩壊寸前の家庭も一つや二つではない。

 子どもを抑圧する親、束縛する親、向き合わない親、ネグレクト…。土曜朝10時放送のアニメとは思えぬ殺伐さで、保護者の胃が痛くなるような内容がどんどん描かれる。親が必ずしも子どもにとってのロールモデルに成りえない時代に、残酷な真実から目を背けさせないところも、本作にのめり込んでいってしまう理由の一つだ。

 その最たるものが、孤独の女王こと蓮城寺べると、その母親のエピソード。蓮城寺べるは常に完璧であり続け、それを求められてきた少女だ。何事においても頂点で、100点でなければ意味がない。そうして自分で自分を縛り付けながら維持してきた彼女の栄華は、プリズムライブの登場によって崩壊の危機に瀕する。

 蓮城寺べるは完璧なのだから、プリズムライブができて当然。周りからの期待に、そして自分自身に科した重圧に、べる自身が耐えられなくなっていく。彼女に期待と言う名の「暴力」を振るう母親であっても、べるにとっては愛を乞うたった一人の母親なのだ。だからこそ、母の期待に背いたら愛してもらえない。そうした脅迫観念にとらわれたまま、発表会の日を迎えてしまう。

 あえてその顛末は語らないが、悲惨すぎて言葉が出ないレベルの挫折を、べるは味わうことになる。いくら大人びた容姿でもその実14歳の少女、引きこもりや自殺という選択肢が頭に浮かぶくらいの、壮絶な挫折だ。伝説と称された第24話「ひとりぼっちの女王」は、再度鑑賞することをためらうくらいに、いたたまれない気持ちにさせられる。2クールに渡り積み上げられてきた「蓮城寺べる」の孤独の努力が、一気に崩れ去ってしまうのだ。

 そこからの展開は、あえてここでは書かない。自暴自棄になったべるがいかにして煌めきを取り戻すのか、あるいは蓮城寺一家の絆はどのような変遷を遂げるのか。大人が思わず怯むしんどさの『レインボーライブ』だが、こうしたエピソードがあと2、3個待っていると言えば、その凄まじさが伝わるだろうか。

 このように、家族間を巡るドラマが刺激的すぎるレベルで描かれる本作だが、それは子どもと親の双方にとって切実な悩みであり、学びの機会になるからだと推測する。『レインボーライブ』には片親の家庭もいるし、大なり小なり登場人物の家庭と同じ問題に悩む子どももいるはずだ。しかも本作の場合、親世代が子どもたちに向ける期待や隠し事が「愛ゆえに」行われていることがしばしばある。明確な悪意でない以上、当の本人がそれに気づきようもなく、子どももそれを撥ね退けることが出来ない。とくに幼い子どもにとって、親は絶対の存在である。だからこそ、愛ゆえに行った指導や教育が、子どもにとっての抑圧や支配になっていないかを、注意深く振り返る必要があるのだ。

 一方の子どもの目線に立った時、とあるメッセージが浮かび上がる。それは、親を親だからという理由だけで無条件に肯定する必要はない、というものだ。森園わかなの家庭がそうだったように、家族を維持するための方法が、必ずしも全員を幸せにするとは限らない。極端な話、家族は常に一緒でなくてもいいのだ。家族という集団の歪みが自己実現を阻害するとき、それに抗うこと、その主義主張を諦めないことの重要性を、本作は描いている。もちろんそれは勇気のいる行為だが、それを支えてくれる希望も、同時に示してくれている。家族との関係に悩む子どもたちにとって、必ずや本作は救いになるだろう。

 このように、本作『レインボーライブ』は現代においてとても重要な気づきを、幅広い世代に与えてくれる作品なのだ。子ども向けアニメだからといって、どの家庭も健やかで問題のないものであるとしたとき、それはもう陳腐な子供騙しになってしまう。むしろメインの視聴者である子どもの目線に立ってアニメを作るとしたら、家族の描写が増え様々な葛藤や悩みがそこに付加されるのも、当然のこと。現実から目を背かず、今の社会を描くことも、子どもに作品を届ける側の使命なのかもしれない。そうした重厚なドラマに、大人も惹かれてしまうのだ。

本作における「家族」の描き方について、こちらのnoteが大変参考になりました。ぜひご一読ください。

Over The Rainbow ができるまで

 女子プリズムスタァの物語と並行して、後のオバレとなる三人、神浜コウジ速水ヒロ仁科カヅキの物語も描かれる。これがまた女子組に負けず劣らず波乱万丈で、目が離せなくなっていく。スピンオフが製作されるのも納得なくらい、キャラクターが濃すぎるのだ。

 もちろん、先に『KING OF PRISM by PrettyRhythm』を観ていれば結成までの経緯は頭に入っているはずだ。だというのに、一番の驚きは速水ヒロのこじらせっぷりである。仮にも人気絶頂のアイドルがしてはいけない悪人フェイスで、コウジの楽曲を独占しようとする。口を開けば軽薄なキザ男で、いざコウジのことになると歪んだ感情を欲望を隠すこともなく、あの手この手でコウジを手に入れようとする。なーにが絶対アイドル愛・N・Gだ。出てくる度に殴りてぇと思っていた…はずなのに、いつの間にか『キンプリ』『キンプラ』のヒロ様にゆるやかに接続していってしまうのだ。作中屈指の屑から、皆さんご存知「朕はプリズムショーなり!」のヒロ様になってしまうのだ。4クールかけて印象が180度変わるヒロマジック、ぜひご自身の目でご確認いただきたい。

 その愛の矛先であるコウジは、メロディ工場長だ。プリズムショーの楽曲を多数手がけ、同じ作曲者として惹かれるものがあったのか、いととのロマンスも描かれる…とここにまたしても家族の因縁が差しこまれるのだ。しかも最も重たい形で、親世代の悪しき遺産を引き継がなくてはならない。恋に障害は付き物と言うが、このレベルを中学生に背負わせるのは酷すぎる。これに関しても余計な注釈はつけられまい、ぜひ神を呪うほどの運命の悪戯に、一緒に翻弄されてほしい。

 そうした二人に挟まれるカヅキ先輩は、属性「聖人」特化タイプ。家族関係おそらく良好で慕ってくるダチ多数、大会前には一人一人に違う文言でメールを送るマメさ、そして何よりヒロ―コウジに挟まれて自己主張できるハートの強さと、どれをとってもパロメーター振り切っている。あんやわかなでなくとも惚れる。すごい。バーニング。

 女の子向けアニメにおける美系男子となれば、主人公たちの恋の対象になるのが定石だと思っていた。が、それ以前に彼ら三人の物語や関係性が強固すぎて、本筋とは別の面白さが際立ってしまっている。ユニット結成までの紆余曲折がドラマティックすぎて、「もっと観たい!」と思わせてしまう。それこそが後の『キンプリ』に繋がったと思うと、『レインボーライブ』を観ろと迫るキンプリエリートのお姉さま方の気持ちが今では手に取るようにわかる。

 また、後の『キンプリ』に繋がるドラマとして、りんねとジュネ様も見逃せない。プリズムワールドからこの世界に訪れたりんねの目的と、ジュネ様の意外な正体。氷室聖への想いと科せられた使命との間で揺れ動くジュネ様の、貫録たっぷりに魅せつける、美しくもどこかおぞましいプリズムショーは、どことなくシャインさんを彷彿とさせる。やはりあの出で立ちの美女が、普通の人なわけがないのだ。

映画キンプリ製作発表の瞬間。
テンションの上がり幅がすごい。

レインボーライブはいいぞ

 もうここまでで5,000字を超えているが、本作の魅力を全くと言っていいほど伝えきれていない。とにかく情報量が多くて、一話でも見逃すと感情の流れに着いていけなくなってしまう。4クールのアニメなのに、全くと言っていいほど捨てエピソードがなく、加速度的に面白く、(言葉を選ばなければ)過激になっていく。しかしその基本はスポ根でもあり、恋愛モノであり、アイドルアニメなのだ。少女たちの挫折と成長に身を委ね、アツく滾るような感動に出会いたいのなら、今最もオススメなのが『レインボーライブ』だ。とくに、キャラクターの感情が爆発するプリズムジャンプは、回を増すごとに演出もよりゴージャスに、意味合いもどんどん深まっていく。観る者の感情を揺さぶる、最高のエンターテイメント、オススメするのは全人類だ。レインボーライブを観てくれ、おれと一緒に、蓮城寺べるの女になろう。

関連記事

この記事が参加している募集

アニメ感想文

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。