第411回 勝手に考古学用語解説No.19瓦器と瓦質土器

1、なぜこんなものが

本日は所属するというか、事務局を勤めている研究会の活動として

とある遺跡の出土遺物を見学してきました。

すでに20年前に報告書が刊行している遺跡ですが

当時は掲載しきれなかった遺物が多数あったようで、

驚きとともに大いに勉強になりました。

その中で、普通はミヤギでは出土しないようなタイプの遺物がありました。

それが瓦器です。

2、瓦器の成立と展開

導入はいつものように辞書類から。

その名の通りぱっと見た感じは屋根瓦のような焼き色をした土器です。

古代の東北には内黒土器という内面を真っ黒に焼いた土器がありましたが、

これは一度焼いた土器の表面にわざともう一度焼くことによって炭素を吸着させたものです。

近畿地方では11世紀という早い段階に成立したとされます。

写真は公益財団法人滋賀県文化財保護協会のWebサイトより

11世紀というと東北では前九年・後三年の役という戦乱の時代ですし、白河上皇が院政を行なっていたまさに中世の幕開けという頃でしょうか。

主に近畿、四国北東部、北部九州で生産されたとされ、他地域にも流通していたことが特徴です。

中国から輸入された高級食器である貿易陶磁や水甕としてつかう愛知県で焼かれた陶器などは広域的に流通していることは頷けますが、

なんでわざわざこんな土器をこんな遠隔地まで?

と思わせるようなものです。

どんな経緯でミヤギまで運ばれ、

どんなふうに使われたのでしょうか。

楠葉型と言われるタイプのものでしたので、

摂津国、今の京都府と大阪府の境あたりで生産されたと考えられますので

そのあたりの人がたまたまやってきて

故郷の土器を使い続けていたのでしょうか。

謎は深まるばかりです。

3、瓦質土器の発展

前項で取り上げたのは食膳具と呼ばれる碗と皿の話で、

土師器とか須恵器という別のタイプの土器で代用できるのに

わざわざ瓦器として一手間かけているというもの。

一方で、香炉や火鉢といった青磁の高級品の模倣として作られはじめ、独自の進化を遂げた器種もあります。

リンク先には福島県で出土した香炉の実測図(形を正確に写し取った図面)が紹介されています。

細かな分類などは読み飛ばしてもらって構いませんので、こんな形をしているのかなーと見てもらえればと思います。

下の写真は奈良市埋蔵文化財センターで2011年に開催された『南都の繁栄ー平安京その後』という展示図録から引用いたしました。

先に挙げた実測図の方が形が明確ですが、瓦質土器とはこういうものか、というイメージはしやすいかもしれません。

ここで注目して欲しいとろころは、菊の花や、雷文(ラーメン丼によくある四角が螺旋状になったような形)のスタンプが押してあるところ。

焼き色だけでなく、スタンプ文を施すところも瓦に近いという特徴があるようです。

こちらの方は研究がまだ進んでいないのではっきりとしたことは言えませんが、瓦質のように特定のところで使って広域流通していたものではなく、在地(その消費される場所の近く)で生産されていたのではないかと考えられています。

4、身近な道具こそ大事

いかがだったでしょうか。

同じような瓦に近い焼き色の土器ですが

大いに異なった特徴を持っています。

中世人の部屋や食卓を飾っていた黒い土器たち。

小さな破片で出土することが多いですし、色が映えないことも多いので

あまり注目されることはないですが

展示会などで見つけた時は是非じっくりと観察してみてください。

人々により身近な道具を調べることで生活の実態に迫ることができるかもしれません。

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