第93回公文書にみる歴史と現在

1、公文書は誰のものか

地元の河北新報に「時評」という欄があり、7月30日号に早稲田大学教授の片山善博氏が「公文書管理 地方から手本を」と題した一文を寄稿していました。

論点を整理すると

・自衛隊の日報廃棄問題や、財務省の決裁文書改ざんを「国民の財産を官僚が毀損した」と捉える

・公文書管理法の趣旨と制定に尽力した福田康夫元総理のインタビューを紹介

・法律を運用する官僚の意識が変わらないと現状は変わらないと指摘

・一方地方では、加計学園問題をめぐる愛媛県の記録を例に、国よりはましだと評価

・公文書館設置は33都道府県と105市区町村、公文書管理条例は5都県と16市区町村にとどまると指摘

結論として

国に対して手本となるような公文書管理の姿勢を見せることを期待している

とまとめています。

2、古代からの公文書ルール

日本の歴史、特に古文書を素材にして歴史を考えてきた学問のなかでは文書の重要性は特に言うまでもなく意識されていました。

一方で、公務員の末端として公文書を作成、閲覧する側になってみると大いに学ぶところがあります。

例えば歴史的な文書と同様に、押印が必須であること。

ホームセンターに行けば数百円で手に入るものであっても、押印がないと処理ができない仕組みになっています。

このIT化が進んだ社会にあっても、紙で印刷した文書に、まるでスタンプラリーのように序列のとおりに決裁をもらいます。

案件の大小によって決裁区分が分かれ、序列上位者ほどスケジュールに空きがなく、決裁待ちで時間が浪費されていきます。

このような部分は古代から進歩していないと思えてしまいます。

一方で一度決裁が済んだ文書は修正できないので、後から間違いに気付いてもそのまま保存されます。

もし将来この文書が歴史的に価値を成すことがあれば、誤った事実が公文書記載の情報として流布してしまうのか、と恐ろしくもあります。

とはいえ、日々処理を迫られる書類を全て誤りのないように丁寧に進める余裕は正直ありませんし、うちのような小さな組織では文書管理専門の職員がいるわけでもありません。

3、公文書の活かし方

逆にいえば、歴史上の公文書として残された情報についても、同様の問題を孕んでおり、取り扱いには慎重な姿勢が求められることになります。

よく言われる、「本音と建前」という問題に限らず、組織的、構造的問題による誤りがあるという前提で考えなくてはいけない、と言うことになります。

そのような視点で公文書を捉えられる専門職員や専門の管理組織がやはり必要ということになるでしょう。

しかし、冒頭で触れたように、公共の公文書館はまだまだ整備遅れていますし、福田元総理のインタビューにあるように諸外国との差も広がる一方です。

結局この問題も、現場の努力でできることは限られており、政治的な力を持っている立場の人にいかに理解してもらえるかが重要になってくる、ということに落ち着くのでしょう。

情報発信力を磨くことが1番の近道なのかもしれません。

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