第486回 作られた殺生関白

1、読書記録72

つい先日こんな報道があり、

フォロワーのぼのしげさん(@oUt7HwGuHD4p3uT)に教えてもらった

この本を一気に読んでしまいました。

いい本を教えてくれてありがとうございます。

ぜひ皆さんにもシェアしたいと思います。

2、豊臣秀次切腹事件のあらまし

まずは本書にも紹介されている、

世間一般に認識されているこの事件の概要をご紹介します。

豊臣秀吉は当初、甥にあたる秀次を後継者に、と考えていたが

実子である秀頼が生まれると心変わりする。

それを感じ取った秀次も心が荒れ、素行が悪くなったため

高野山に追放され、遂には切腹されられることに。

それだけでは飽き足らず、京都の三条河原で妻子39名が処刑されるという凄惨な結末を迎えます。

これだけ見ると老いた権力者が陥りがちな失策としてすんなり理解されてしまいますが

著者はそこに腑に落ちない点を見つけ、一つ一つ検証していきます。

3、本当にざっくりとした要旨

まず、著者は秀次が切腹した日時を絞り込みます。

検証過程は省きますが、それは7月15日の午前と確かめられ、

7月12日付けで「秀次高野住山」を命じた文書があり、それ以前には秀吉側では秀次を死に追いやるつもりがなかったことを丁寧に証明していきます。

京都と高野山の距離、

文書を伝達した使者である福島正則の立ち位置、

高野山、特に秀次が切腹した青巌寺が秀吉の母の菩提を弔うために

建立した寺院であったことなど

状況証拠は

秀次が自らの潔白を証明するために自ら死を選んだことを示しているようです。

要約すると、

本来は死を選ぶほどの罪などなかった(謀反を企んでいなかった)

秀次が潔白であったことを認めてしまうと

政権の過ちも認めてしまうことになるので、

後付けで秀次の不行跡を流布し、厳罰をもって当たったという形を世に示したことになります。

著者も記していますが、

通常業務は組織の安定で語られ、異常事態が起こると権力者の暴走(ここでは秀吉個人の感情)で語られることは正当な評価とは言えないということですよね。

事実、本書でも紹介されているのは、事件の動揺を抑え、秀頼への権力継承を行うための布石は用意周到に行われているのです。

わずか400年そこらの昔ですから、全国を統治するまでになった組織ですから、侮ってはいけませんね。

4、だから歴史は面白い

あとがきには2013年に初めてこの説が新聞によって報道にのったときのことが記されています。

一般層の目にも触れやすくなったため、ネット上でも批判が殺到したようです。

それを見て安堵したという著者。

研究者として最も恐るべきは、「あたりまえ」「何をいまさら」と言われrことだからだ。

こう記す著者の歴史学者としての矜持を感じますね。

そして、本書を読んで改めて思うことは

意外と歴史的な事件というのは

ちょっとしたボタンの掛け違えや偶然の帰結によって引き起こされるのだな

ということ。

そして当時の人々も我々と同じで、必死にそれを治めようとしているのだということ。

秀吉も秀次も石田三成も福島正則も豊臣家が弱体化することを望んでなかったでしょうに

後の歴史を知っている我々からするとこの一件が豊臣家に大きな禍根を残したことは間違い無いでしょう。

あとは小ネタというか知識としても大いに学ぶことがありました。

豊臣家の政権構想として、公家の秩序に倣って

清華成、公家成、諸太夫成という序列を形成していたとか。

高野山と東寺の情報伝達ネットワークが豊臣政権側よりも高精度だったりとか。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

貴方はどう思いましたか?

秀次のイメージ変わりました?

納得できないから本書を読んで検証過程を確認してみます?

ぜひコメント欄で教えてください。



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