第377回 実証主義とその反対
1、歴史学にはホラも必要?
作家、井沢元彦氏と東京大学資料編纂所教授の本郷和人氏が
2019年5月7日発行の週刊ポスト(通巻2517号)
で対談している記事が話題になっていたので、つい買ってきてしまいました。
井沢元彦氏のTwitterをめぐる炎上について以下にまとめられています。
この話題については以前もnoteで触れています。
2、想像以上に…
さて内容について概略を説明すると
まずは「令和」という元号について。
それぞれ記者から予想を求められていたと明かしますが、
お二人とも「令和」にはいいイメージをお持ちではないよう。
特に本郷氏は「令旨」という皇太子の命令を示した文書を表す言葉があると言う理由で
懸念を表されています。
そして元号の話題は続き、一世一元制について。
井沢氏は賛成の立場の様ですが、
本郷氏は鎌倉時代に「暦仁」という史上最も短い元号(3ヶ月)を引き合いに出して
東日本大震災のような多くの人が亡くなったときは鎮江の意味を込めて変えてもいいのではということを話されています。
そして極め付けは井沢氏の
「行き過ぎた実証主義にとらわれた歴史研究者」
という仮定の人物を批判し始め、本郷氏も
「実証主義はバカな研究者の最後の拠り所」
と同調しています。
これは炎上するわ。
というのが読んだ感想です。
しかも本郷氏は師匠の石井進氏を引き合いに出して
「上手にホラを吹く練習をしなさい」
と教えられたとのたまう。
実際に読んでみるとより衝撃は大きいものでした。
3、右と左に触れる振り子のよう
少し細く説明をすると、
「実証主義」という言葉は本来は哲学で使われていた用語で、
論理的に検証できないこと、経験的に説明できないことは信じられないという考え方だと私は理解しました。
日本の歴史学においては、まずは皇国史観、次にマルクス主義とか階級史観というように、
歴史はこうあるべき
といういう思想が先にあって、それに当てはまるような解釈をしていくという時代がありました。
一方で逆に振り切ったのが実証主義といえるでしょうか。
史料にあることのみを事実として、研究者の主観を一切排除しようとすること。
これを突き詰めていくと、「歴史」には真理なんぞないし、法則もないし、何のために研究しているのかちょっとわからなくなってしまいますよね。
その後1980年代頃からは幅広い史料を取り込むこと、民俗学や文化人類学、そして考古学もですね!学際的な成果を総合することで表面的ではない豊かな世界を描くことができるようになってきました。
日本の中世史でいうと網野善彦氏の研究が代表的ですね。
まだ読書記録では取り上げたことはなかったのでいずれ紹介したいと思います。
そして現在の問題につながっている自由主義史観。
日本の景気が悪くなってきたこの20年間に勃興した歴史の見方で、
簡単に言うと
日本はすごい
という思想ありきの歴史観のことです。
つまり例の『日本国紀』に連なるわけです。
こう振り返ってみると
思想ありきの歴史学は批判を受けると相手のことを
実証主義者
といって反批判をする、という構図は、近代以来何度も繰り返されてきたことなのです。
実際、皇国史観の代表者として名前の上がる平泉澄氏は著書『国史学の真髄』において実証史学を「屍骸の羅列」と批判したといいます。
そういえば井沢元彦氏の近刊の書名は『日本史真髄』でしたね。
これは意識されてのことなのでしょうか。
結局ガチガチの実証主義でも支持は得られませんし
一般大衆の支持を得なければ歴史という分野の裾野は広がらない
とは言いつつも、思想ありきの史観では
いつかきた道
となってしまうキライがありますね。
みなさんはどう思われますか?
ぜひコメントをお寄せください。
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