第233回 禅のことばをかんがえる①

1、日本人よりも漢字につよい欧米の研究者来襲

昨日は日本思想史を研究している外国人研究者の団体を案内しました。

みなさん日本語がペラペラなのはもちろん、漢字もすらすら読めるし、鋭い視点で様々な質問がありました。

霊場として名高い、雄島(おしま)を案内した時のことです。この島は松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも登場し、「雲居禅師の別室の跡」を見たと記されています。

この別室は寛永の頃に建てられ、今も見ることができます。把不住軒(はふじゅうけん)という額がかかっているのですが

その言葉の意味を聞かれて答えられなかったので、少し調べてみました。

2、名僧の半生

雄島に把不住軒を営んだ雲居希膺(うんごきよう)は天正10年(1582)伊予国上三谷に生まれ、父は土佐国一条家に仕える武士、小浜左京。

主家が没落すると地元の寺で出家し、やがて妙心寺の塔頭寺院である蟠桃院の一宙東黙に師事します。

加藤嘉明の帰依を受けて伊予松山に宝樹寺を開創します。

加藤氏の移封に従って会津へ。その後、越前(福井県)や摂津(大阪府)を巡るうちに後水尾天皇に招聘されるほど、名が知られるようになります。

伊達政宗が瑞巌寺の住持にと懇請するも、果たせず、2代忠宗の時に実現しました(瑞巌寺第99世)。

寛永十三年(1636)8月に入山し、正保2年(1645)に本山妙心寺の住職にもなっています。

3、執着を捨てること

そして本題の把不住ですが、瑞巌寺の系列寺院の東園寺住職が雲居禅師の書を解説していました。

それによると碧巌集という宋代の仏教書に

果然として把不住

という表現があるとのこと。

国会図書館オンラインでデジタル化されていたので少し探してみましたが見つけられませんでした。

また臨済禅黄檗禅公式サイト 黄檗ネット用語解説には

把住とは押さえつけること、自由に任せる修行の方針:放行(ほうぎょう)の対義語としても使われる。

と記載があります。

このあたりから推測すると、何物にもとらわれない、そんな雲居禅師が理想としていた生
き方を表しているのではないでしょうか。

また一つ案内のネタができました。

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