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第192回 1400年前のタイムカプセル

1、震災からの復興で得たもの

宮城県は山元町。

福島県との県境に位置するこの町は、7年前の東日本で甚大な被害を受けました。

JR常磐線の内陸移転、常磐自動車道の開通のための工事で多くの遺跡が壊されましたが、一方で膨大な量の調査成果が蓄積されました。

住宅再建のため、高台への移転が計画され、そこでも遺跡との関わりが問題になりました。

合戦原遺跡。

名前からは全く想像できませんが、古墳時代の遺跡として大きな脚光をあびることになりました。

2、壁画は中央と地方に

この遺跡は古墳時代の終わりころ、奈良の都では聖徳太子とか大化の改新とかやっているころの有力者のお墓です。

よく古墳というと、前方後円墳がイメージされますが、終わりの頃になると、墳丘自体が小型化したり、八角形になったり、洞窟を掘ってお墓にしたり(これを横穴墓といいます)という形に変わってきます。

調査の結果一つの丘陵から54基も横穴墓が見つかっています。

そのうち、38号墓という洞窟からはなんと壁画が見つかったのです。

古墳の壁画といえば、高松塚とかキトラ古墳とかカラフルで装飾性豊かなものを想像しがちですが、

赤と白で幾何学的な文様を描いた壁画は東北と九州に多く残っているのです。

しかし、ここで見つかったのは線刻画。柔らかい岸壁を尖ったもので削って描く壁画だったのです。

描かれているのは人物や動物、家や盾など1400年を経た現在の我々では容易に解釈できないものです。

すごいのはこれを一度解体して、保存処理を行なって、組み直して博物館で展示したということ。

文化財の保存技術の専門家たちもこれまでで最も難しい挑戦だったようでした。

その移設された壁画がさる11月3日に公開された、ということで今日見に行ってきました。

3、壁画を活かした地域づくりとは

展示されているのは、山元町歴史民俗資料館。

震災前は一万六千人いた人口が、現在では一万二千人ほどに減ってしまったということでしたが、

その規模の町としては盛り沢山な資料館でした。

冒頭で述べたように、震災復興で新たに町内の各所で発掘調査が行われていましたので、縄文時代や、中世の遺物も非常に充実したものになっていましたし、

近世、近代の伊達家の一門でこの地を納めた大條氏に関する展示や、町内に残された民具など多岐に渡って町の歴史を体感できるようになっています。

そしてなんといっても壁画。

復元された壁画は、現在の保存科学技術の最高峰で後世に残すことができた貴重な資料です。

保存までの過程も丁寧に展示されていましたので、ぜひお近くにお越しの際はご覧ください。

地域の宝として、子どもたちの誇りになってくれるといいですね。

ちなみにトップの写真は線刻画をモチーフにしたゆるキャラで、早速グッズ展開しているところもしたたかでイイですね。

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