第422回 教育が変わるチャンスも4年に一度

1、またこの季節が

今年は4年に一度の教科書採択が行われる年だったのですね。

教育委員会の末端にいると各社からどっさり教科書が送られてくるので、

ああまたこの季節が来たのだな、と気付かされます。

行政や教育関係者だけではなく、基本的には一般公開が原則とのことで

ミヤギでも行なっていました。

どれだけの人が知っていて、実際に訪れたのでしょうか。

2、歴史教科書が抱える問題(ごく一部)

さて、話題にするのはもちろん歴史の教科書の話。

まずは石器時代の記述がないか、極めて少ない件。

これは考古学界全体として危機感を覚えており、

もっとも規模の大きい業界団体である日本考古学協会としても

様々な取り組みを行ってきました。

2014年には声明文を出して旧石器時代の記述を学習指導要領に明確に位置付けるべきだとの意見を公開しました。

実はこの声明文をめぐっては、例の旧石器捏造問題の総括もまだ不十分なのに、という反対意見も実際にあったことを記憶しています。

個人的には取り扱いが難しいから掲載しない、というのは逃げのような気もしますけどね。

そして聖徳太子像については、

笏をもつ風習は飛鳥時代にはなかったので例の画像は後世の想像図

とずっと言われても使い続けるとか

鎖国はなかったともう言い古されているのにまだ単語として残っていたり

教科書に最新の研究成果が反映されるためには

どれほどの時間がかかるのでしょう。

これでは4年に一度わざわざ選び直す意義が薄れてしまいますよね。

なんとかならないものでしょうか。

あとは、近現代史駆け足問題がありますよね。

時代順に学習していって、年度末に時間がなくなって

一番現代に直結しているはずの近現代史がおろそかになってしますいます。

もうだいぶ前から日本がアメリカと戦争をしていた時代があったことすら知らない若者が増えていることを嘆く声が聞かれます。

これは教育の敗北と言わずしてなんというべきでしょうか。

3、嘆くばかりでなく行動を

個人的には単純に現代から過去に遡っていく形で授業をすればいいのではないかと思っています。

まず事象を解説して、その要因がどこにあったのか

それを繰り返していくことで、国の成り立ちを考えてみる。

それが最も合理的だと思うのですが皆さんはどう思われますか?

あとは地域史をもっとしっかり教えることですよね。

北海道や沖縄県の歴史は我が国の成り立ちに大きな影響があったにも関わらず、どうしても表立って取り上げられることが少なく、

奈良や京都、鎌倉や江戸くらいがせいぜいで

一方そのころ皆さんの地元では、

という視点がもっとあってもいいと感じています。

まあ正直小学校の現場の教員にこれ以上負担を増やすのは本意ではないので

地域の専門家、行政の学芸員でもいいですし、郷土史家みたいな人でもいいでしょう。

自分自身地域を愛していて、同志を増やしたい人種の人たちをうまく使って郷土に誇りを持てるような大人になってほしいと切に思います。



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