第404回 勝手に考古学用語解説No.17 庖丁と俎板
1、俎板と庖丁はいつからあるの?
先日とあるツイートをコメント付きでリツイートしたらフォロワーさんたちが意外と関心を持ってくれたのでちょっと整理してみようと思います。
こちらのサイトによると
『春日権現験記絵』に台所を描いた場面があり、ちょうど俎板の上で魚を切っている様子を伺うことができます。
2、考古学的に確認できる資料
手元にあった事典を紐解いてみると
古代には刀子(とうす)と言って様々な用途に用いられる小刀が
調理用の切裁具として特化したものが庖丁である、と定義されています。
中世から魚鳥を切り捌くための長大なモノがあったことがわかっているので
庖丁としても機能によって分化していたことが指摘されています。
近世になると出土遺物として現在の菜切り庖丁に近い形状のものが見つかっているようです。
Googleで検索しても弥生時代の石庖丁しか出てきませんので、実際の出土遺物の庖丁の画像は貼ることができませんでした。
では俎板はどうだったのでしょうか。
絵画資料で見られる中世の俎板は足つきのものが多く、近世も同様と思われます。
なにぶん木製品は残りづらいので明確にはなっていないのですが、4本足のほか、
裏に溝を彫っていた城の足をつけたタイプも見られるようです。
出典は上記『歴史考古学を知る事典』
現代ではあまり見られませんが上面がかまぼこ型に湾曲した形があるのが気になりますね。
いま使われているような足がついていない、平らな形の俎板も棒手振りの魚屋さんが桶の上に置いて使用する携行用として用いられていたとも記されています。
3、実は実技も伝わっている
そしてフォロワーさんが教えてくれた「庖丁式」という儀式を今に伝える神社があるということ。
まずは千葉県南房総市の高家神社。
記事によると、神社の由緒は景行天皇の御代にまで遡り、
この地でハマグリとカツオを召し上がり、大変喜ばれたとのこと。
その調理をした磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)大膳職長(おおかしわでのおさ)として代々料理番となることを認められ、さらには御食津神としてこの神社に祀られることになったそうです。
その由緒に基づいて年に3回庖丁式という儀礼が今も行われていると言うことです。
詳細は上記リンク先をごらんいただきたいのですが、
庖丁は長いものですが、俎板は平らのようです。
ただ切るものを抑えるのには箸を使っているところが古式を感じさせます。
また、先ほどの磐鹿六雁命ですが景行天皇の遠征の途上で許しを得て下野国にとどまってこの地の豪族になったとのこと。
こちらの神社でも庖丁式を今に伝えているそうです。
4、道具には全て歴史がある
いかかだったでしょうか。
毎日使う道具の歴史について改めて知るのも興味深いですよね。
食材についても、
この野菜は縄文時代にもあったけど、こっちは南米原産だから
とか
大河ドラマなど時代物の映像に料理がどう描かれているか
とか
考えてみることもよくやります。
少し前に信長のシェフという漫画原作のドラマもやってましたよね。
食をテーマに歴史をみることは親しみやすいことかもしれませんね。
このように新たな知識を得ることができたのも
歴史話に付き合ってくれるフォロワーさんのおかげです。
これからも歴史をネタに楽しく交流できる場を作っていきたいですね。
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