第405回 近現代の歴史にも光を当てる

1、もう1ヶ月前の話

2019年5月18・19日に駒沢大学で行われた日本考古学協会

第85回総会・研究発表会。

諸事情にて行くことは叶いませんでしたが、

会員には発表要旨と年報が着払いで送られてきます。

ようやく時間が取れてざっと目を通すことができたので

今日はその中でも気になったものを紹介したいと思います。

2、注目するセッションの発表目次

この研究発表会では個人のテーマに沿って自由に発表することもできますし

(もちろん事前の審査がありますが)

会としてテーマを設けて関連する発表がいくつかなされるものもあります。

年々こちらのスタイルが多くなっているような気もしますが。

その中で私が個人的に気になったのは

セッション6『隔離・漂白・排除』の記憶を掘るー近現代のハンセン病者への考古学的接近−

というテーマでした。

合計5件の報告がなされています。

趣旨説明 黒尾和久

(1)北條芳隆 「『砂の器』との遭遇-岡山県高梁市(旧川上町)権現谷岩陰遺跡の調査から-」

(2)上田 耕・大山勇作 「発掘されたハンセン病患者の住居と聞き取り調査-知覧飛行場跡の考古学調査事例から-」

(3)大川康裕・山内淳司・久保倉勇樹・村田道博 「群馬県栗生楽泉園門衛跡地の考古学的調査」

(4)渋江芳浩・北原 誠・松岡正典 「土壌分析によるらい菌由来のDNAの検出-ハンセン病患者の存在を探る-」

(5)時枝 務 「ハンセン病の考古学と民俗学」

討論総括


3、各報告の発表要旨から

個別に見ていくと

(1)は1980年に岡山大学によってなされた岡山県高梁市権現谷岩陰遺跡の調査の報告。

本来は縄文時代後期の遺構を調査する目的でしたが、予期せず近現代の炉跡や人間と犬の埋葬遺構をみつけてしまったとのこと。

その後報告者らは地元古老への聞き取り調査などを経て、岩陰遺跡が昭和初期、瀬戸内の国立療養所ができるまでの間、「賤視化された特殊空間」「アジール」として機能する場所だったことを推察している。

いまから40年も前に近現代遺構だからと軽視せず、調査成果の一端としてまとめていたことに驚きと敬意を感じます。

(2)は鹿児島県南九州市の陸軍知覧飛行場跡の調査成果。

ここはいわずとしれた先の大戦末期に特攻の基地となった場所で、2009年に埋蔵文化財包蔵地(周知の遺跡)となった稀な戦争遺跡です。

新たな道路建設に伴う発掘調査で、飛行場建設前の住居跡が見つかり、これがハンセン病患者のものだったと判明しました。

発表要旨を見る限りでは遺構として特殊な様子は伺うことはできませんが、

この住居跡の遺構が発見されたことをきっかけに、一人の患者がどう生きたのかが記録され、一地方の隔離政策とその実態を垣間見ることができるようになったということは大きいでしょう。

(3)は群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園において、昭和57年の解体工事以降詳細がわからなくなっていた建物配置などを確認するための学術調査の成果が報告されているものです。

報告中にもある通り、近現代の建物跡を調査するにあたっても従来の考古学的手法と記録や文献資料との照合という過程が有効であることが証明されたのが大きいと思われます。

さらに驚くべき成果は(4)において同遺跡の便槽跡を分析した結果「らい病DNA」が検出され、これまで一部証言にあった

本来は治療の必要な患者を牢獄に収監していたことを裏付ける結果となったことでしょう。

そして(5)では近年ハンセン病研究において考古学の役割がましてきたことについて、当事者である患者の高齢化が進行してきたことが指摘されています。

一方で現代の民俗資料から過去に遡ろうとする民俗学と考古学の方法論的な差異についての注意を促すものでもあります。

4、考古学の未来

いかがだったでしょうか。

まず考古学で近現代の問題をここまで捉えることができるのだ

ということに可能性を感じています。

日本の考古学者が最も多く集まる大会でテーマセッションを行うくらいになっていることが感慨深いです。

もちろんまだまだ課題は多く、分野としては新しいものでこれからというものでしょうが、

これをきっかけに各地で近現代の遺構に対する意識が高まり

研究が進むといいなと思います。

太平洋戦争時、特に末期は記録が残されていない部分が多く、

考古学が果たす役割はきっと大きいと思います。

それにしても現地で雰囲気を感じられなかったのは痛いですね。

きっと来年こそは参戦して考古学最前線を感じてみたいと決意を新たにしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?