第372回 考古学の可能性
1、読書記録 56
今回ご紹介するのはこの本。
以前のnoteでも蕨手刀のことで少し紹介しました。
エミシなんていなかった!?
この衝撃をぜひ貴方にも共感して欲しいです。
2、目次と衝撃の内容
まずはいつのものように目次から
第1章 東北地方にエミシがいたと言い出したのは誰か
第2章 記されたエミシ
第3章 東北北部の人々の暮らしとその文化的系統
第4章 考古学から見たエミシの持ち物
第5章 エミシとは誰か
第1章で語られるのは「エミシ」のイメージが形作られたのはいつかということ。
その始まりは明治の公教育から。
日清・日露戦争と対外戦争を進めるなかで、「国の歴史」として侵略して国土を広げる前例としての意味合いを付与されていったのかもれません。
そして考古学史では必ず登場する「ミネルヴァ論争」
これについては改めて別項にまとめたいと思いますが、
簡単にまとめると、
東北帝国大学の歴史学者、喜田貞吉が石器時代人の末裔としての「蝦夷」を想定し、鎌倉時代まで縄文土器を使う人々がいたと主張したのに対し、
若手研究者の山内清男が土器編年(土器の形態・文様の変遷や出土層位から年代順に並べた基準)に従って、九州でも東北地方でも大差なく縄文時代が終わったと反論したものです。
もちろん今では研究が深化して、前者の説は否定されていますが、昭和初期の当時は東京国立博物館の後藤守一や京都帝国大学の浜田耕作、騎馬民族征服説で名高い江上波夫などそうそうたるメンツが支持していたのです。
第2章で語られているのは「蝦夷=エミシ」と記されている古文書の少なさ。
確実に記されているのは『日本書紀』ですが、
『古事記』にも『常陸国風土記』にも発掘調査で出土する木簡や漆紙文書にも全く見られません。
いよいよ国策によって作られた言葉であることが浮き彫りになってきました。
第3章では実際に古代の東北地方北部に暮らしていた人たちがどんな人だったのかを明らかにします。
結論から言うと日本国内から移住して馬を育てていた人たち。決して討伐されるべき異民族ではなかったと著者はいいます。
その根拠は馬を飼育するという技術そのものだったり、どのような墓を作るのかということだったりと考古学的な手法で説明されます。
さらに第4章では土器と、蕨手刀、硯などから「エミシ」とされた人たちの実態に迫ります。
第5章では前章までで裏付けられた事実がなぜ起こったのかを考察します。実態のない「エミシ」を征伐したなどと記録に残す必要があったのでしょうか。
第一にはこれまでも他の研究者からの指摘がなされている、唐に対して「日本」国も東方の異民族から朝貢を受ける中華的世界を持っていることを示すため、
そして、より衝撃的な発想の転換が紹介されます。
それは国司以下の役人たちが私的交易を行っていることをカモフラージュするため虚偽の報告を中央にしているというもの。
確かに私的交易を禁止する命令は度々出されているし、陸奥国府である多賀城跡は調査が進むにつれ、軍事的要素よりも政治的役割を強調するような成果が次々と上がっています。
3、歴史は常に作られる
いかがだったでしょうか。
従来の学説を根底から覆すような大胆な推論ですが、
妙に腑に落ちるような気がします。
あとがきで著者は現代の日本政府の様子と古代日本国のあり様を比較して
一人ひとりの人間は戦争など望まないはずですが、「国」を持ち出せば、誰も責任をとることなく戦争ができる錯覚を持つようです。そのとき「国」は常に「国外」にその原因を求めます。
と記しています。
この感覚を持って古代日本の最前線と中央の関係を見ると、まさに以前のnoteでも触れた先の大戦に突き進む我が国を見ているようです。
そしてより現代的な事件をあげると
大量破壊兵器を持っているとされて開始されたイラク戦争
いつだって不都合な真実は闇の中。
いつの時代も為政者は過ちも犯すし、現場の指揮官も目先の利益に目が眩むこともあるでしょう。
だからこそ信念を持って生きた人が輝くということもありますが。
国の公式記録では伏せられてしまうような問題も考古学では明らかにできるという可能性を示す成果として自信を持って紹介できる著作です。
ぜひ一読をお勧めします。
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