第298回 勝手に考古学用語解説 No.5 白磁
1、乱世の奸雄があの世まで持って行った明器
三国志の英傑、曹操の墓と見られる遺跡から出土したツボが話題になっています。
三国志大好きで学芸員(中世考古学)を標榜する私としてはこの話題に触れないわけにはいけません。
折角なので三国志好きの貴方にも陶磁器の魅力を伝えられたら、と思います。
2、陶器と磁器の違い
まずは白磁とは何か、について
日本セラミックス協会のセラミックス博物館Web
を参考にまとめてみました。
まず、土器と陶器と磁器の違いについて
セラミックス博物館Webより転載
釉薬(うわぐすり:やきものの表面にかける薬品のこと。火を受けてガラス質になる。含まれる成分によって色味が変わってくる)
吸水性
透光性
緻密さ
打音
によって日本では、せっ器も含めた四段階で呼び分けています。
日本では、と言いましたが本場の中国では日本でいう陶器の一部も磁器と呼ぶので注意が必要です。
やきものの原材料は基本的に粘土。
その成分(陶石、カオリン、長石や珪石という鉱物の割合)、粒の大きさ、焼く温度(野焼きや窯の構造)などで変化し、上記の指標のように分類される、ということになるのでしょう。
3、白磁の歴史
日本でいう白磁が初めて誕生したのは6世紀後半、北斉の時代と言われていました。
曹操のライバル、孫権の国、呉王朝のお墓では青磁は見つかっているようですが、華北の様相はよくわかっていませんでした。
近年は三国時代の遺跡も調査が進んでいますので、今回のように陶磁史を塗り替える発見が今後も続くかもしれません。
さて、その後。隋から唐代にかけては邢州窯(けいしゅうよう)が名高いのですが実態はまだよくわかっていません。
唐代は中国の陶磁器が国内外に広く販路を広げ、国際性を高めていった時代でもあり、白
磁も先ほどの邢州窯に加えて同じ河北省の定窯(ていよう)の製品も焼かれるようになります。定窯の製品は北宋の遺品が多く、釉がわずかに黄色みを帯びた、クリーム色を呈することが特徴です。この頃になると日本でもある程度白磁の製品が出土するようになります。
福岡市埋蔵文化財センターWebより転載
福建省の窯で焼かれたと見られる白磁碗。口の部分が玉縁状(たまぶちじょう)になっているのが特徴で、11世紀後半から12世紀前半のものと考えられてます。
南宋代になると景徳鎮(けいとくちん)に中心は移り、青みがかかった透明釉が掛けれらたため、中国では影青(インチン)、日本では青白磁(せいはくじ)として珍重されます。青白磁の梅瓶(めいぴん)という器種は日本の鎌倉時代の武士に愛好され屋敷跡から少なからず出土が見られます。
草戸千軒ミュージアムの青白磁梅瓶
元代になると、青花(せいか)というバルトを含んだ青い顔料で絵を描いた陶磁器が流行します。明代になると生産量を増し、日本では染付と呼ばれ大量に輸入されるようになり、日本の戦国大名の城跡からも多数出土しています。
今帰仁城址(なきじんぐすく)出土の青花碗
その後日本で磁器の生産を目指し、17世紀になってようやく有田焼として結実します。
4、実は白磁よりも
いかがだったでしょうか。
中国では発掘調査が進んで新たな情報がどんどん追加され、これまでの通説が古くなっていきます。
日本の高度経済成長期もこうだったのでしょうか。
陶磁器の歴史はまだまだ語りたいこと沢山ありますがまた別の機会に譲りますが、今回出土した最古の白磁の系譜が最終的には日本の有田焼にまで繋がるというお話ができただけで満足です。
ちなみに私は白磁よりも青磁の方が好きです。
皆さんは陶磁器に興味ありますか?
ぜひコメントで教えてください。
#毎日更新 #歴史 #エッセイ #考古学 #用語解説 #陶磁器
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?