第158回 在宅でも表札は留守

1、職場にご恵送シリーズ22

教育委員会の文化財担当部局には近隣の自治体から文化財の調査報告書が送られてきます。

あまり一般の方が手に取ることかないであろうこの冊子は、地域の歴史を伝える貴重な資料。

出来るだけ多くの方の目にとまるよう紹介していきます。

シリーズ20以前はFacebookページにて紹介していました。

さて今回は

仙台市文化財調査報告書第468集 洞ノ口遺跡ほか発掘調査報告書

仙台市内で平成28・29年度に実施した民間開発(共同住宅や店舗建築)に伴う調査の成果をまとめた報告書。

そのうち、洞ノ口遺跡について紹介します。

2、中世陸奥の主要都市

この遺跡はJR仙台駅の北東約8kmに位置しています。

七北田川という物資の流通にも用いられた河川によって形成された自然堤防上と背後の湿地帯をその範囲としています 。

これまで土地区画整理事業や個人住宅建設に伴って22次にわたる調査が行われているのでこの報告の調査は第23次調査ということになります。

ちなみに私も前職、仙台市の文化財課勤務だったときに第13次調査を担当した、思い出深い遺跡でもあります。

この遺跡からは平安時代から江戸時代までの遺物が出土していますが、とくに堀や土塁を巡らす中世の城館跡が見つかっていることが特筆できます。

お城、というと白い漆喰壁に瓦ののった近世の城郭をイメージされるかと思いますが、

中世のお城は土の城です。

要害といって交通の要衝を抑えるポイントを見下ろす小高い丘の上に山城を築き

普段は麓に堀や土塁で囲まれた屋敷で暮らしているのが一般的でした。

洞ノ口遺跡の中にも、このように地域を治める領主の館があったと考えられています。

3、中世陸奥府中の主は

ではその領主とはだれか。

可能性が高いのは留守氏(るすし)です。

当時このあたりは高用名(こうようみょう)と呼ばれる単位で支配されていました。

こうは「国府」と音が一緒なので、

中世の陸奥国府のための所領

と考えられています。

この高用名を治めていたのが留守氏なのです。

留守氏は元をたどれば京都の公家、藤原一族です。

源頼朝の求めに応じて幕府の官僚として下ってきました。

奥州征伐に従い功を成したので、陸奥国で所領を得た、というわけです。

この留守氏は南北朝時代の戦乱で一度没落も経験しますが、最終的には伊達政宗の叔父にあたる政景を当主に迎えることで、近世を生き延びることになります。

ちなみに洞ノ口遺跡の他にも中世の武士の館と思われる遺跡が見つかっているので、留守氏の中でも本家分家などに分かれて館を構えていたのかもしれません。

土地区画整理事業で広く調査(実に約473,000㎡!)をしているので、興味深い出土遺物も数多くありました。これはいずれまた回を改めてご紹介したいと思います。

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