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第186回 変革期に見えた可能性

1、一藩士からみた戊辰戦争

仙台市博物館で開催中の特別展「戊辰戦争150年」に行ってきました。

正しく語られない戊辰戦争を嘆いて、『雪冤一弁』(これも展示されています)という書をまとめた会津藩士、渋谷源蔵の一言解説という形で資料の見どころを説明する形の展示。

幕末明治ということで、文書資料がたくさん残っているのですが、仙台市博物館にも坂本龍馬や土方歳三、久坂玄瑞らの書状が所蔵されていたんですね。近くに公家や大名の書状もあるからか、坂本龍馬さんの字が下手に見えてしまいます。(全くの個人的見解です。ファンの方ごめんなさい)

2、旗の魅力

ビジュアル的に圧倒されたもの。

まずは五芒星の奥羽越列藩同盟軍旗(白黒二色)。

いわゆるダビデの星ってやつですね。

展示解説では

魔除けの意味があったようです

という説明でさらっと流されていましたが、なぜこの形を選んだのでしょうか。

また、各地の博物館から集められた錦の御旗勢揃いの展示。

岩倉具視が密かに作らせた件の旗ですね。

当初は仙台藩に会津藩討伐を命じていたので、仙台藩ももっていたようです。

以外にバリエーションがあって、有栖川宮専用カラーとかあったみたいですよ。

菊の御紋以外にも日月のあったようで、

期せずして日月VS星の構図になったんですね。

あとは屏風絵や絵図面。

白河城の絵図なんて城下町のところに「ここに伏兵あり」とか書き込みされていて臨場感がありますね。

3、悲劇の遠因はここに

会津藩の悲劇の伏線になったと感じたのは

会津藩初代藩主の保科正之。

この人は二代将軍秀忠の弟で、大名に取り立ててくれた兄を敬愛し、

将軍に背くような藩主だったら従う必要はない

とまで家訓に遺していました(これも展示されています)。

会津若松市の隣町、猪苗代町には正之を祀った土津神社があり、重要な案件は報告する習慣があったとか(これも展示)。

共同体を強固にするために創業者を神格化するのは確かに効果的かもしれませんが、後進の選択肢を狭める結果になってしまっては弊害でしかありません。

松平容保公が火中の栗とわかっていながら京都守護職を引き受け、動乱に巻き込まれてしまったのも藩祖の残した家訓の影響があったのではないでしょうか。

4、150年前の可能性

会津藩の赦免嘆願のために東北地方が一時期とはいえまとまりをもったということは注目すべきではないでしょうか。

今回の展示で初めて知ったのですが、

王政復古の後に熊本藩の呼びかけで徳島、福岡、仙台、津、久留米、柳川、二本松、佐賀、対馬、新発田の各藩が連盟で公平な政治を求める建言書を朝廷に提出していたのです。

これら外様の雄藩がもっと連携を深めていたら悲劇は避けられたのではないか、と思わせてくれる顔ぶれです。

戊辰戦争が始まってからも、奥羽越後の各藩は連携を模索している様子が大名間でやり取りされた書簡でたどることができます。

伊達や上杉、佐竹や南部、津軽など250年前にはライバルとして争った大名たちが、表面上だけかもしれませんが、徳川家の一族である会津藩を救うために共同戦線を張ろうとしていたんですよ。

個人的にはすごく胸熱な展開です。時勢はたしかに傾いていたのかもしれませんが、道理に反することには連携して毅然とした態度で望む。

150年後の現在、東北のリーダーたちは団結して国難に当たることができるのでしょうか。

我々が歴史に学ぶことはまだまだありそうです。

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