第209回 列島の住人が文字をどう見ていたか

1、再調査で発見された事実

福岡市西新町遺跡から出土した古墳時代前期の資料の中に、硯だと判明したものがあったとの報道がありました。

当初は砥石と判断されていた資料を再調査した結果、硯であることがわかったというものです。

最初に遺物を発掘した時に見逃した担当者に感情移入して戦慄してしまいました。

もし自分のミスで歴史の重要な事実を埋もれさせることになったかと思うと…

2、文字を書くということの重み

硯であることが重要な意味を持つのは、それが文字を書くために使うものだからです。

古墳時代、それも初期の文字資料が出土するこは非常にまれですので、当時の識字率というか文字を書くことができた層というのは非常に限られると考えられます。

例えば、クニと呼ばれる地域の中心的な集落を治める首長層や、文書による記録を職掌とする官僚的な存在が想定できます。

しかし今回の西新町遺跡は中心的な集落というより、流通拠点として機能したような性格の遺跡だということです。

つまり想像をたくましくすれば、交易に携わる人間は文字による管理を行っていたことが硯の存在からうかがえるということになるのです。

3、議論が生まれて次のステージへ

一方で、例えば仿製鏡という、中国で作られた銅鏡を国内で真似て作ったものに文字が書いてあるものがあります。

段々と雑なコピーになって文字が単なる文様になっていく様を見ると、文字に対する理解がどの程度あったのか、甚だ疑問です。

流通拠点の管理者層が文字を使いこなしていた一方で、銅鏡を副葬品として作らせる支配者層が文字に無頓着だということがあり得るでしょうか。

今回の発見から大いに議論が行われることが期待されますね!

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