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第236回 殿様の漢詩

1、職場にご恵送シリーズ26

『訓注 如幻三昧集』

2018年は仙台藩4代藩主の伊達綱村の遠忌(亡くなられてから)300年。

綱村は仙台市の蒲生というところに新たな港ができて塩釜が衰退の危機があったとき、

「貞享の特令」というお触れを出して町を救ったと今でも語り継がれています。

そんなゆかりの深い塩竈市の東園寺から綱村「禅語録」ともいうべきこの冊子が発刊されました。

著者は京都禅文化研究所の能仁晃道氏。

原文はもちろん白文といって読み下しのための点などはありませんし、「漢詩」的なものなので解釈は相当難しいようです。

2、殿様が読んだ松島

1000頁を超える大部の冊子のなかから、一つ選んで紹介するとしたら、

松島十二首と題されたもの。

貞享四年(1687)年に松島の景色を月毎に呼んだ漢詩です。

どれも素敵ですが今の季節に合いそうな
「その11」を抜粋すると

江楼愛雪景光新

枯木寒岩変白銀

松島従来三万境

吾儂三万境中人

(旧字体は直しています)

著者の用語解説を参考に
私なりに大胆に意訳すると

湾を見渡す楼閣から観る雪景色は新鮮で
枯れ木や寂しげな岩も白銀の世界へと変じている
松島は古くから三万境と言われるほど広大で
私という存在もちっぽけなものだ

と言ったところでしょうか。

本職の方、是非間違いなどご指摘ください。

3、景色は一度として同じものはない

伊達綱村は父が不行跡で隠居させられたため、

僅か4歳で藩主となりました。

もちろん政治はできませんから、親戚に当たる一関の伊達宗勝や岩沼の田村宗良が後見人となります。

しかし、宗勝の専横に反感を持つ奉行衆の思惑に伊達家一門の所領紛争まで絡んで、刃傷沙汰まで起こります。

寛文事件、いわゆる伊達騒動というやつです。

綱村は幼少であったため、辛うじてお咎めはありませんでした。

13歳になるとようやく藩主自ら政務を行うようになりますが、

領内の開発や寺院建立など積極的に取り組みすぎたため、

藩の財政を圧迫することになります。これが原因で藩士たちと対立し、

ついに父と同じく隠居に追い込まれることになります。

前述の漢詩を詠んだ頃はまだバリバリ領内政治に取り組んでいたころの作品。

晩年、隠居した後に見た松島の景色はどう違って見えたのでしょうか。

漢詩もう少し深く理解できるように勉強してみたいと思います。

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