第364回 平成の10大ニュース考古学編 前編
1、時代の終わりには振り返りですよね
平成も残すところ今日と明日のみになりました。
みなさんやり残したことはありませんか。
私はたくさんあるような気がしますが、
令和に持っていけるモノも多いと思ってあまり焦りは感じていませんね。
とは言え、アラフォーたる私にとって、物心ついてからはずっと平成だったわけです。
最後に振り返ってみることはしてみたいと思います。
自分語りをしてもあまり需要がないと思いますので、考古学の話題で思いついたものをいくつか挙げてみたいと思います。
2、平成にあったことを思い出して
まず平成の31年間で発見されたモノをチョイスしました。
平成に話題になったものでも、意外と昭和の時代から継続的に調査が行われていた事例も多く、除外していくとなかなか思い浮かびませんね。
とりあえず前編と後編ということで分けまして、5件の話題をご紹介します。
①旧石器捏造事件の発覚
平成12年(2000)11月5日の毎日新聞朝刊にスクープされたのをきっかけに、考古学界隈だけでなく、広く我が国の社会、海外にまで知られるようになってしまった大事件でした。
実際に捏造が行われていたのは1970年代からとされていますが、この公表以降、様々な議論が生まれ、検証のための発掘調査がなされ、一応の公式見解として、我が国の前期・中期旧石器時代の痕跡は全て否定されました。
それでも捏造を見逃していた立場の人々に対する批判は根強く、
正直言ってまだ信頼回復に至っているとは到底思えません。
考古学の学問としての信頼性が取り戻せるときは来るのでしょうか。
②
県営野球場の建設に伴なって発掘調査が行われたのが平成4年(1992)。
平成6年には栗材を用いいた大型の6本柱が見つかり、建設の中止、遺跡の保存が決定されました。
現在「北東北・北海道の縄文遺跡群」として世界遺産登録を目指していたり、
展示施設が今月リニューアルオープンしたり
と何かと注目を浴びています。
栗林を管理し、エゴマやヒョウタン、豆などを栽培するなど、従来の縄文時代のイメージとは大きく異なる積極的な自然環境との関わりがうかがえるほか、
その規模から数百人が生活していたとの指摘もあります。
これまでの学説を塗り替えたという意味でも、開発から一転保護、著名な遺跡として観光資源になったという活用例の代表という意味でも大きな話題でありました。
③弥生の開始年代
以前のnoteでも触れましたが、
平成15年(2003)に千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の研究グループが、弥生時代は紀元前10世紀から始まることがわかったと発表しました。
それまでは紀元前5世紀から始まるとされてきましたので、これまでの学説は大いに変更を求められることになります。
その年代の根拠となるのは初期の弥生土器に付着していた炭化したコメを放射性炭素年代測定することによって求められました。
発表当時は学会でも猛反論が起きていましたが、徐々に認められつつあるような印象です。
④今城塚古墳の発掘調査
平成の時代に発掘調査された数多くの古墳の中で話題性がピカイチなのがこの古墳。
なにがすごいって学界では継体天皇陵だとほぼ見なされているのに、
明治の頃の陵墓指定(天皇とその近親者の古墳であること)から漏れているため、立ち入りも禁止されていないし、発掘調査がなされたということ。
発掘調査は平成9年(1997)から継続的に行われ、大規模な埴輪を並べた祭祀の痕跡が見つかっています。
陵墓といえば、昨年ですが、仁徳天皇陵に否定されている大山古墳で初の発掘調査が行われたことが話題になっていましたね。
令和の時代にはもっと陵墓が調査され新たな発見が相次ぐような展開を期待したいですね。
⑤出雲大社境内からかつての巨大神殿の柱痕跡を発見
平成12〜13年に行われた発掘調査で
1本が1.4mもある杉の大木を3本束ねた形の柱が見つかりました。
出雲大社はかねて高さ48mあったとされており、その心柱であったものだろうと考えられています。
古事記などで描かれる出雲神話のモチーフとなった当地の歴史文化は多くの発掘調査成果からうかがうことができました。
令和になっても神話や伝説を裏付けるような世紀の大発見に出会えるでしょうか。
3、実はあと5件、まだ悩んでます
いかがだったでしょうか。
図らずも時代的には前半の話題でまとまった感があります。
後半を公開する前に読者の皆さんから
この話題を忘れているぞ!
などのご意見をいただければ反映させていきたいと思いますので、
忌憚のないコメントをお待ちしております。
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