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平成少女との180秒

やあやあ。ruggirlの木之元だよ。また会えたね(会えていない)。

自分の昔のことを考えることがよくある。
大阪の電車内で高校生軽音部員カップルを見た。
手なんか繋いじゃったりして、彼氏の手にはミルクティーがあった。ああ尊い。
「なまくりーむ(おそらく彼の部内バンド)でオリジナル曲を作ってみることになったんやけど、どうやって書いたらいいんかなぁ。クリープハイ○みたいに将来的になりたいな。音楽理論とか勉強しなきゃなのかな。」
「え!すごい!!どうなんやろう(目がハートになっている)」というような様子であった。

彼らはこれから、地元の中規模のショッピングモールで食べ物以外何も買わないデートをし、どちらかの家に帰り、探り探りの慣れないセックスをするのだろうか。ああなんて羨ましい。

まあ、高校生のカップルを見ただけでここまで想像できる今の私は"KIMOI"成人男性そのものであるが、妙に軽音部員の彼らに憧れ、自分を被せてしまったのである。これから曲を書こうとしている彼に私が高校生だった頃を思い返しつつ届かないところで作曲するまでに重要なことを垂れようと思う。

私が高校生の頃はいい思い出なんて一つもなかった。強いて言えば軽音楽部の視聴覚室で行われるライブで観客として地べたに座っていたカワイイ先輩のパンツを景色に混ぜてボーッと眺めながらドラムを演奏したことだろうか。ああ愚行。ああ青春。

高校時代は彼女がいたこともあったが、時間のほとんどを作曲に費やした。(披露する機会はほとんどなかったが)あとは下手の横好きのドラムの練習に費やした。それ以外は学生の特有の嫌なラーメン二郎ブームとハヌマーンを聴く時間だった。

高校一年生のとき、2000人いるマンモス校のトップのクラスに特待生で入った私だが、軽音楽部に入ると部活動に狂っていった。
それもそのはず。先輩は可愛い子が多く、憧れのロックバンドでの演奏ができ、クーラーの効いた部屋が使え、機材運搬の名目で8階建てにも関わらず生徒は使用禁止にされているエレベーターも使用できるのだ。

ロックバンドに強い憧れを抱いていた私は、中学3年生の頃に厨二病の残り香で書いた詞とメロディを曲にすべく、エレクトーンとギターとボーカルをしていたカワイイ先輩に「作曲教えてください!」とだけ申し出た。

なんともまあこの先輩がプライドが高く意固地で馬鹿な先輩で、教えてくれたものの、「ダイアトニックがどう」だとかドレミのドもわからない私に御託を並べやがるのだ。

私もカワイイ先輩に馬鹿だとは思われたくなかったので、必死にわかったふりをして一年が過ぎた。
なんの勉強も曲の完成もしないまま、私は一年一学期の中間試験、一科目目の数学で特待生を即刻剥奪された。作曲スキルも得ないままに学問を捨てたのである。

来年度こそ完成させるぞ。


さて、二年生こそ一曲は完成させるぞという気概で4月になった。どうやら「オンガクリロン」とやらを勉強すると曲にコードが付くらしい。コードを弾くとなるとドラムでは演奏できない。私はギターを練習する必要があることに気づいた。ギターは弾ける気がした。中学時代、ひとつのリフだけをボロボロでチューニングもしないままのアコースティックギターで3年間適当弾き殺してた過去があるからだ。

だが、もちろんそんなに順調にはいかず、このギターのコードとやらがまた厄介で、YouTubeで見る音楽理論と照らし合わせてコードを弾いてみるのだが、頭の理解に指が追いつかない。ギターが弾けるようになる前にダイアトニックコードを理解したが、先輩が教えてくれた物はほとんど間違っていた。馬鹿なのを隠して分かったふりをして特待生を剥奪された一年間という時間、それによって高校に払うことになった授業料を返してほしい。
あ、それと上記の先輩と付き合うことになった。

そして、2019年7月19日にゆらゆら帝国が流れる自室で童貞は一瞬にして捨てられた。

そうして日進月歩でギターを練習していた私だが、座学だけではどうも曲は完成しない。ダイアトニックコードを理解すると勝手にコードが付くと思っていた。気がつくと高校二年は半ばに差し掛かり、そろそろ修学旅行に行こうかという時期になった。これはまずい。今年も一曲も書かないまま終わってしまう。修学旅行までに書かねば!と謎の強迫観念に追われながら修学旅行先のイタリアへと旅立った。

旅行に大事な物は景観と飯である。
イタリアの景観は悪くなかった。ただ、治安がどうとかで全くバスからは降りられなかった。降りられたとしてもよく聞く観光地のみで、私をワクワクさせるような異国のイリーガル感はなかった。となると今度は飯だ。
イタリアで出てきた飯は人生で指折りなほど非道かった。苦味の強い野菜に硬いトマト、生のオリーブに塩と肥満体型の男性の靴下のような匂いのする酢をかけて食うサラダ。食えたもんじゃない。肉はポソポソ。スープは味が付いているのかの判断もし難いほどの薄味。私は修学旅行2日目で嫌気がさした。

これから君たちにイタリアに行く予定や機会があるなら教えてやろう。サラダは雑草と思ってくえ。ってか食うな。

バチカン市国に向かってる間、なんとなくメロディが思いついた。当時私はメロディの耳コピ(ショボい)にハマっていた為、すぐさま携帯電話でGarageBandを出し、ピアノを叩いて記録した。移動のバスがあまりに暇だった為、そこに歌詞をつけ、勉強したダイアトニックコードを遂に使うときが来た。KEYはDメジャーでDとGとAしか使わなかったが、大層良い曲になった。そしてその処女作に「平成少女との180秒」と名付けた。我ながら素晴らしいネーミングセンスだと思う。いつかリメイクしてリリースする。Xデーを待て。私はやっと、高校2年の終わりで一曲書いたのである。

イタリアから帰ってきた私は難波で海鮮丼を食べ、あまりの美味さに号泣した。

ここまでで言えるのは音楽理論なんて勉強しないで、とりあえず一曲駄作でもコードが違っても書いてみることだと思う。一曲書き切ったという功績はかなり大きい。

そして先輩彼女の卒業式でこっぴどく振られ、のちにストーカー扱いされた。本当に最低の思い出だ。

一曲書いたという自信に溢れた私は受験期に突入したが、勉強そっちのけでほとんど毎日曲を作った。1〜200曲は作っただろう。今では半分以上覚えていない。

2年間一曲も書けなかったやつが一曲書いた途端に200曲近く書けるようになったのだ。
少年に言いたいのは、「普遍な曲の作り方なんてのはなく、音楽理論とか勉強するのは確かに手助けにはなるが回り道にもなる。」ということだ。何度も言うがとにかく一曲書き切って欲しい。

受験はというともちろん失敗に終わった。
申し訳程度の受験勉強で受かる滑り止めを受け、本命の大学試験1ヶ月前にバンドを結成し、5曲ほど曲を書きライブをし、普通に落ちた。4点差で落ち、クラスでは「それみたことか」や「ゴリ落ち」と批判されるようになった。

関係ないがこう振り返ってみると、なんとまあ根暗で冴えない青春の高校生であったかがわかる。曲なんて作りたいなら、私が憧れたくなるような青春は捨ててしまえ。捨てて欲しい。

それと、クリープハイ○みたいになりたいのであれば、一度メンバーが全員脱退する必要があるぞ。青春を今すぐに捨ててきてくれ。

音楽理論、あった方がいいけどなくても曲書けるよ。また話そう。

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