今回はデザイン関係の記事ではなく、挑戦と成長に関する話です。
「そんなのおまえには無理だよ(笑)」
ぼくは人生で何度この言葉を投げられたか分かりません。
子供の頃から周りの人間に夢や目標を話すとよく言われてきました。
結論からいえば、ほとんどのことが全く無理じゃなかったので、これまでどんな状態から、どんなことに挑戦して、周りの評価をどう覆してきたかを、最近また挫折感を味わった自分へのエールとして書こうと思いました。
おまえ、これまでいろいろ乗り越えてきたじゃん、いつものやつじゃん、と。
あとはこの話が、同じように挫折を経験し、自分の目標がいま途方もなく感じられている人への励ましにもなったら幸いです。
スタート地点:幼少期~青年期
まず、ぼくの幼少~青年期はこんな感じでした。
【幼少期】
・親が作ったご飯以外怖くて食べれない(食がものすごく細い)
・誰もいなくなったことを確認してから、一人で遊具で遊ぶ
(とにかく人目につきたくない)
・なぜか近所の知らない小学生たちに公園で自分だけイジメられる
・家では独りで「ドラえもん」と「バックトゥザフューチャー」の映画を何回も繰り返し見ていて、内気に自分の殻に閉じこもる
【少年期】
・本とかマンガばっか読んでる
・わけもなく同級生にイジメられる
(毎授業中に消しゴムの消しカスとかを投げつけられる)
・基本的に自分から人と仲良くなれない(恥ずかしいから)
・「王様は裸だ!」的なことを言っちゃって、教師に腹パンチされる
【青年期】
・ゲームばっかやってる
・思春期が爆発して、女の子に話しかけられない
・人に話しかけられると緊張して手が震えるし、人の目を見て話せない
・基本的に部屋に引きこもってて、あまり外に出ない
・(動物好きなのに)なんか動物をイジメてそうとか言われる
・「他人と理解しあえているなんて思うのはただの幻想である」という小論文を書いて、和気あいあいとしていたクラスを凍り付かせる
・いわゆるコミュ障になる
こんな感じでお日様の下を歩いてきたわけでもなく、完全に日陰者でした。
クラスのヒーローでもなければ、成績優秀でもない。何か特技があるわけでもないし、気弱で自信もない、友達も数えるほどしかいなくて、のび太君とかよりも全然ダメダメでした(よくサバイブできてるぜ!)
中間地点:挑戦と挫折と成長
こんな感じの人間だと、自分のことなんか全く好きになれないわけで、今までそんな自分をより良くしようといろんなことに挑戦してきました。
いつも始めは谷底でしたが、ちゃんと山もありました。山と谷を繰り返しながら、(積み立てNISAのグラフみたいに)右肩上がりにはなっていたと思います。
【10代での挑戦】
・英検準2級の挑戦
・背面飛びの挑戦
・席替えへの挑戦
・ミュージシャンへの挑戦
【20代での挑戦】
・海外への挑戦
・ITへの挑戦
・副業としての映像翻訳家への挑戦
【30代での挑戦~これから】
こんな感じで、挑戦しつづけてきたのですが、いまはまた性懲りもなく、UXデザイナーを目指しています。
狭義的なものではなくて、広義的にとらえていますし、肩書は関係なく、何ができる人かで考えています。
社外に対してか、社内に対してか、も関係ありません。
こういうとまた「おまえには無理だよwだっておまえの専門はカスタマーサポートだろw」って言われます。
でもそれは大きな誤解で、ぼくがカスタマーサポートをやっていたのは、「(コミュニケーションで)人を感動させたかったから」です。
言い換えれば、「人を感動させる体験を提供したかったから」なので、
僕の専門はそのまま「人を感動させる体験を提供すること」です。
だからサービス体験を設計できるUXデザイナーになろうとしていることは、
何もずれていないし、全く無理とも思わないのです。
だから何と言われようと、誰に笑われようと、あきらめる気はないし、ずっと向き合ってきたことなので、このまま続けていくだけです。
まとめ
これは僕みたいな大したことない奴の、大したことない例です。
世の中最初からできるような人もいます。
ですが、誰であれ、何かを今より良くしたいって思ったなら、それは実現させることができます。
年齢や、今がどうか、なんてあまり関係ありません。
何かをずっと続けたら、まずは「それなり」のものになれます。
もし今が「スキル0」「センス0」だったとしてもです。
「それなり」のものになると、少し人目につくようになり、自分でもある程度がんばってきた自負があるので、人に評価を求めて自分から誰かに見せるようになります。そうすると、頑張りを認めてくれる人もいれば、否定してくる人も出てきます(そっちのほうが多い)
「だから何?w ぜんぜん大したことないじゃんw」「必死で笑えるw」と。
そもそものスタート地点も、これまでの過程も知らない、想像できない人はこう言うでしょう。
ですが、プロの世界は成果物が全てなので、これは当たり前で、仕方のないことです。比較される対象は第一線で活躍している人のクオリティです。
このとき、あなた自身が否定されているように聞こえるでしょうが、実はあなたがアウトプットしたものに対する評価なだけであって、それがまだ一定のボーダーラインに達していないだけです。
あなた≠アウトプットです。だって、笑われたアウトプットなんてまだ途中駅で、あなたが思い描く、自分を表現しきった理想的な完成形ってわけでもないでしょう?自分だってそれに完璧に納得なんてしてないはずです。
ここで挫折を味わって辞めてしまう人も多い気がします。
だけどそれでも続けたら、「それなり」が、つぎは「いっぱし」のものになっていきます。
「いっぱし」のものになってくると、否定していた人が少しずつ黙っていきます。何を言っても鼻で笑ってた人たちが、まともに受け答えしてくれるようになります。どう認識が変わったのか知らないけど、これまで無視してきた人なんかも、話しかけてきたりします。
そしたら周りの輪がどんどん広がって、世界も広くなって色んな人と会えるようになります。そうなると「いっぱし」が「たつじん」になっていきます。更なるレベルアップの機会が増えていきます。
そこまでいったら自分の好きなことができます。
振り返ってみたら、昔はとても難しかったことが、とても簡単にできるようになっています。
今はそんな風に思えなくても、これは本当に起きることです。
だって、引きこもって動物イジメてそうな、人前では手が震えていたやつが、人種も言葉も違う、異国のライブハウスで、色んな国籍のミュージシャン達と一緒に演奏できて、観客を踊らせられるんですよ?
IT音痴がApple製品に誰よりも詳しくなったり、コミュ障だったやつが、コミュニケーションで人を満足させる方法を人に教えたり、今では色んな人にインタビューして、色んな話を聞き出したり、相手を楽しい話で喜ばせたりできてるんですよ?
人は他人の想像を超えて変化することができます。
他人の想像なんて現在地点で見えてる景色からただ勝手に予測して物を言っているだけで、決して未来を見てきたわけじゃないんです。
ホイールコントローラーのついたiPodから、タッチパネルのiPhoneまで繋がっていくなんて、想像できた人ほとんどいないでしょ?
だから、もし今笑われていても、続けたもん勝ちだと、ぼくは思うのです。
続けましょ。イメージがあるなら。