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中学校不登校時代⑤

いよいよ高校受験直前期

高校受験直前になると担任の先生との志望校を決める面談がある。
放課後に保護者と生徒、先生の3者面談をするのが普通だが、生憎僕は不登校。
自宅で3者面談をすることになった。

「正直、内申点が実質0の亀之助君は第一志望の高校(偏差値70)は厳しいと思います。公立だと偏差値50台、私立だとボーダーフリーの高校をお勧めします。」

僕も母親も口をポカンと開ける。

「えっw模試も450台で安定してるし公立はまだしもボーダーフリーの私立はあり得なくないですか?wwww」

母親が"馬鹿にしているのか"とでも言いたげに笑いながらツッコミを入れる。

「私としては確実に合格してもらいたいので安全圏を強くお勧めしたいです。」
先生としても下手に博打はして欲しくないのであろう。

「じゃあ、偏差値60の公立と滑り止めにそのボーダーフリー受けます。」
正直僕も博打はしたくなかった。が、内申点などというくだらない物差しで評価されるのも癪なので2ランク下の公立を志望校にすることにした。
(僕は法に触れない限り、どんな過程でも結果が良ければそれで良し派である。その為、授業態度や先生へのゴマスリなども評価される内申制度は疑問だ。※個人の感想です。)

面談の帰り道、母親の
「あんなこと言われたんだから受かって先生を見返してやろう!」
の言葉に勇気づけられた僕は受験日まで猪突猛進あるのみであった。
私立は公立より早めに試験があるため、先にボーダーフリーを受けたが肩慣らしにもならない難易度で驚愕した記憶がある。
(この高校行くくらいなら高卒認定取ろう。。。。)
当時はまさか1年後に高卒認定を取ることになるとは思いもしなかっただろう。

高校受験当日

いよいよ本命の高校受験の日がやってきた。
当日は特に緊張は無く
(これが終わればバイオハザード5がプレイできる、、、、、!)
としか考えていなかった。

受験会場では同級生に久しぶり!とかまさかここ受けるの?とか色々話しかけられた記憶がある。
だがそんなことは気にせず試験を淡々とこなしていく。
5科目を終え、爺ちゃんの黒塗りのセルシオに乗り帰路に着く。

手応え的には及第点。
あとは合格発表までゲーム三昧だ。
と言いたいところではあったが、まだ最後の難所が残っていた。

それは「卒業式」。

真っ当な中学3年生であれば待ちに待ったイベントではあるが、僕には非常に嫌なイベントだ。
担任の先生も
「せめて卒業式には出てほしい。みんなが待っている。
前半はまだしも後半には背筋がゾッとした。
(そんなわけない。不登校の生徒への常套句じゃないか。)
相変わらず捻くれている僕は
「嫌です。そんな時間あるならゲームします。」
と即答。

しかし、はいそうですかでは済まさないのが先生。
「せめて校長室で卒業証書授与だけでも」
やむを得ず卒業式の日に学校へ行くことに。

卒業式当日、爺ちゃんのセルシオで職員用玄関に乗り付けると足早に控室的な場所に向かう。
控室にはわざわざ卒業式で名札に貼る花みたいなシールが用意されており、胸に付けるように言われる。

「じゃあ、亀之助君。校長室へ行こうか」
担任の先生に付き添われ校長室へ向かう。
道中同級生に出会し、熱烈な歓迎を受けちょっと嬉しかったのは内緒。
校長室に入り、校長先生から直々にお言葉をいただく。
卒業生全員に向けた言葉ではなく、わざわざ僕だけの為に考えてくれた激励の言葉は身に染みた。
帰り際に担任の先生が熱い抱擁をしてくれた。
なんだかんだ尽力してくれたY先生は今でも感謝している。

その数日後、高校の合格発表の日がやってきた。

結果は「合格」

(案外なんとかなるもんだな。じゃあ次は獣医学部か〜)
当時はそんな感じでお気楽に考えていた。
このあとどうなるかも考えず…………………….

高校中退編へ続く!





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