父方の叔父と母方の叔父―父方・鬼畜編―

はい。皆さんこんにちは。miriamです。前の投稿から少し時間が空いてしまいました。ずっと考えてたんです。こんなこと書いて、ホントにいいのか。何より、昔、父方の叔父から受けた性虐待のことを思い出すのが嫌でどうしてもパソコンの前に座る勇気が出なかったのです。そう、あれは誰が何といっても、れっきとした「性虐待」でした。

ここまで書いて動悸がし始めたので、また書けなくなり、さらに日数が経ってしまいました。・・・何でもないんです。ただちょっと・・・あの頃のことを思い出して、それを文章にしてつづることがつらかっただけです・・・。でも、世の中には私と同じ思いをさせられた人たちが大勢いる。今もさせられているかもしれない。もっとひどいことをされた人もいるかもしれない。黙っていてはいけない。声を上げなければ。その人たちのためにも、書かなければいけない!!

母方の叔父のことについては、以前書きました「小学生酩酊部隊」に書かせていただいたのですが、ここで取り上げる父方の叔父についても以前少しだけ触れたことがあります。「スゴイ仏壇・・・💦」で、私に大声でダメ出しをした、あれが父方の叔父です。このヒトについては・・・う~ん・・・実を言うとどうしても書く気になれませんでした。このヒトに関わるとろくなことがなかったからです。思い出しただけでもゾッとするんです。朝から一杯ひっかけているせいで顔はおろか首筋も・・・白目のところまで真っ赤に染めて、好色そうなニヤニヤ笑いで私たちを見つめている・・・このヒトと自分が血のつながった親戚だなんて、私にはとても思えませんでした。思いたく、ありませんでした。

私がまだランドセルを背負って学校に行っていたころ、うちでは正月になると父方、母方の実家に年始の挨拶に行くのが恒例の行事になっていた・・・ということは以前書いたような気がします。母方の実家には喜んで行っていたんですが、父方の実家には・・・。

うつむいて父方の実家に着くと、叔父がいつも大声で「おお!!よく来たな!」と、笑顔で私たちを迎えてくれるのですが・・・この叔父の顔が、私は大っ嫌いでした。最初にも書きましたが、もうすでに大酒を飲んで出来上がっている叔父は・・・顔と言わず白目と言わず首筋と言わず真っ赤になっていて、何とも言いようのないスケベ丸出しの顔をしているのです。そして、恒例の、私への「セクハラ」が始まるのです。

座ってジュースなど飲んでいる私のお尻を、つるり。叔父の手がなでます。「ひゃあっ!!」びっくりしてジュースの入ったコップを落としそうになる私の、今度は乳首を叔父の指先がピン!と引っ張りました。「きゃああっ!!」逃げ回る私を、叔父は追いかけてきます。「叔父さん、やめてよ!!もう!いやだ!!」「・・・いいじゃないか、減るものじゃなし」そう言いながら、叔父は私を捕まえると体を触りまくりました。「いやっ!いやっ!離してっ!!」「グへへへへへッ・・・」「誰か!誰か助けて!!」

私がいくら呼んでも叫んでも、誰も助けに来てはくれませんでした。いとこは料理をテーブルに運んでいます。叔母はお酒の用意をしています。父はほかの親戚と話しながらお酒を飲んでいます。母は・・・そうだ!!母なら助けてくれるに違いない!!私はやっとのことで叔父の手から逃れると、母のもとへ走りました。「お母さん、助けて!叔父さん、エッチなことするの!お願い、やめるように言って!」私は母の体に隠れるようにして、言いました。ところが・・・。

私が一番ショックだったのは、最後の砦である母さえ、私を助けてはくれなかったことでした。同性であり、一番私のことを理解してくれているに違いない、誰が助けてくれなくてもこのヒトだけは・・・と、思っていたのに。私がどれだけ体を揺さぶっても、耳元で大きな声で叫んでも、私の声など聞こえていないかのようにじっと前を見て、母は座っています。「お母さんっっっっ!!」私はとうとう泣き出してしまいました。お母さんも助けてくれないの?私の声が聞こえないの?私、すっごくイヤな目にあってるんだよ?私のことなんか、どうでもいいの・・・?

涙をぽろぽろ流す私のほうを見もしないで、母はぽつりと言いました。

「イヤなんだったら、イヤだって言いなさい」

私は茫然としてしまいました。お母さん・・・そんなのさっきから声がかれるほど言ってるじゃないか・・・聞いてたくせに。私が叔父の手から逃げ回ってること、知ってるくせに。どうして・・・なんで・・・助けてくれないの・・・。

ショックで固まってしまった私の体を、また叔父が抱え込みました。そして私のお尻、腰、胸・・・体中のあちこちを、その手で触り、舌で舐め始めました。「きゃぁぁぁ!!!」「グフフフフ・・・いいじゃないか、いいじゃないか」・・・毎年のように繰り返されるこのイヤらしい鬼ごっこが、それを仕掛けてくる叔父が、私は大っ嫌いでした。

母がなぜ私を助けてくれなかったのか・・・私は後年、察することができるようになりました。うちの家庭は今でいう「DV家庭」で、父が母に暴力をふるうのが普通だったのです。今でこそ、「DV防止法」があったり、DVアドバイザーという人がいたり、DVに対する対策が取られるようになってきましたが、(まだまだこれからしなければならないことがあると思いますが)私の子供のころは、「家庭内暴力」は「家庭内の問題なので、当事者同士で解決してほしい」というのが基本的なスタンスで、警察も介入してくれはしませんでした。お巡りさんを呼んでも、「まあ・・・家庭内の問題ですからねぇ・・・」と言って何もしないで帰っていく、のが、現実だったのです。母は父から気まぐれに、そしてありもしない言いがかりをつけては繰り返される自分への暴力に、正常な判断ができなくなっていたんだと思います。加えてそこは旦那の実家、母にとっては完全にアウェイの場所でした。ここで子供をかばったりしたら、うちに帰ってからまた旦那に「俺に恥をかかせた」とか何とか言いがかりをつけられて、殴られ蹴られするかもしれない。そう考えて、表立って私をかばうことはできなかったんだと思います。母は、自分の身を守るために必死だったのでしょう。

でも私は、母の判断が正しかったとは思いません。あとで自分にどんなことが起きようと、どんな目にあわされようと、母はすがりついてくる子供の手を振り払うべきではなかった。私が母親なら、身を挺して子供を守ったことでしょう。なぜなら、大人の自分よりもずっと子供のほうが立場が弱く、傷つきやすいからです。

母さえ自分を守ってくれない、その現実を目にした私は、自分の身は自分で守るしかない、そう覚悟して、次の年からは父の実家に行くと叔父の手が自分に伸びてくる前に2階へ逃げることにしました。2階にはだれもおらず、子供の遊び道具も何もありませんでしたが、あの叔父と鬼ごっこを繰り広げることを考えれば心安らかに過ごすことができる、天国だったのです。・・・その代わり、叔父に2階へ上がってこられたら、それこそ逃げ場がありません。火の気のないがらんとした2階で寒さに震えながら、叔父にここに上がってこられたらどうやって逃げるか・・・どうやって1階まで下りるか・・・あわてすぎて階段から落ちたらどうしよう。私の頭は、そのことだけを考えていました。不安で不安でなりませんでした。

そして、ある年の夏。それは起こりました。

珍しく夏休みに父の実家に行っていた私は、叔父の家に1泊することになりました。いとこと遊んでいて、遅くなってしまったのです。叔父は相変わらずお風呂をのぞいてきたりしましたが、その時は何もしてきませんでした。叔父にしては珍しいことです。ところが、その夜・・・。

眠っていた私は、下半身がやたら涼しいような気がして目が覚めました。見ると、叔父の手が私の掛布団の足元をめくりあげて何かしています。よく見ると、私の下着をずらして、脱がせようとしているのでした。びっくりした私は思わず大声を上げました。「叔父さん!!何してるの?」

叔父は唇に人差し指を当てて、「しっ!大きな声を出したらいかん。叔父さんは今、ミリアムちゃんを診察してるんだ」「診察???」

叔父は医師免許なんて持っていなかったはずです。「診察って・・・何してるの?」「ミリアムちゃんが健康かな、元気かな、って思って、診てやってるんだ。黙って・・・」そう言うと叔父は、私の足を開きました。そのまま、大切なところをじかに指で触ります。私は怖くてなりませんでしたが、健康かどうか診てくれているのなら・・・と思い、我慢していました。しばらくして、叔父の指先が私の中に侵入してきました。あまりの痛みに私は耐えかねて叫びました。「痛い!!痛い!!やめてやめてーーー!!!」

あまりの私の大声に、叔父はこれ以上続けることはできないと思ったのでしょう。チッ!と舌打ちすると、私にささやきました。「いいか・・・これは内緒だ。『診察』なんだからな。誰にも言うんじゃないぞ・・・」私は痛みに泣きながら、ただただわけのわからない怖さにおびえ、震えていました。

―その、次の正月のこと。我が家は例年のように,家族全員で叔父の家の最寄り駅に立ちました。私はもうイヤでイヤでたまりませんでしたが、行かないと父の機嫌が悪くなります。それを考えると行くしかありませんでした。

叔父の家が近づくたびに、足が重くなります。せっかく着せてもらった晴れ着もちっともうれしくありませんでした。

だんだん叔父の家が近づいてきます。歩みが遅くなった私の手を、父が強くつかんで引っ張ります。あの角を曲がると叔父の家が見える・・・その時、たまらなくなった私は父の手を振り切ってもと来た方向へと全力で駆けだしていましたお年玉なんてもらえなくてもいい。あんな叔父に会うのはもう金輪際イヤだ!!―今から思えば小学生の浅知恵です。駅がどこにあるのかわからなかったし、電車に乗って帰るにしても切符代も持っていませんでした。けど・・・けど・・・私は、逃げたかったのです。どこでも構わない。叔父の家から、一番遠いところへ・・・。

私にそんな思いをさせた罰が下ったのかどうかわかりませんが、その後、叔父の口の中には見るも不気味な大きな腫物ができました。やはりというべきか良性のものではなかったようで、手術で取り除いたのはよかったのですが、見るも無残な顔立ちになってしまい、食事をすると口の隙間からぽろぽろ食べ物がこぼれる始末。

叔父の受難はそれだけにとどまりませんでした。肝炎を発症してしまったのです。もともとお酒は大好きで、私など酔っぱらった叔父の姿しか記憶にないくらいですから、それがもとで発症したのでしょう。そのほかにもいろいろな病気を併発していたようです。

その話を聞いても、私はこの叔父のことを哀れとも可哀想とも思いませんでした。「因果応報」その言葉が浮かんで、深くため息をつくだけでした。

母方の叔父である「おにい」とは、人生についての話や生きる意味についての話など、真面目な話もしょっちゅうできましたが、こちらの叔父とはそんな話はとてもできませんでした。こちらがそういう話を仕掛けても、エッチな冗談でごまかして好色な笑みを浮かべるだけでしたから。

話によるとこの叔父、子供のころ買い物に行った帰りに米軍機の機銃掃射の的にされ、すんでのところで田んぼわきの小屋に逃げ込んで助かった、ということがあったそうですが、その時おとなしくグラマンの餌食になってくれていれば、私はこんな目に合わなくて済んだし母も「鬼母」にはならなくて済んだのに・・・と思わずにはいられません。なんというか・・・本当に、「変な人」でした。私は三途の川を渡ってあの世に行ってもこのヒトとは絶対に!!会いたくありません。

私は50を過ぎていまだに独身ですが、男性を信じることも好きにもなることもできなかった理由の一つがこの叔父の存在でした。そしてこの人が私の心につけた大きな傷はいまだに私を苦しめ続けています。

やっと公の場でカミングアウトすることができました。心に持っていた大きな荷物の一つを下ろすことができてホッとしています。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。どうかDV被害者やセクハラに苦しむ方が少しでも減りますように。被害者を守る法整備やサポート体制がますます進みますように。DV・セクハラをする人が減りますように・・・は無理だろうな。本人はしている自覚がないんだから。鬼め!

それではまた次の機会に・・・miriamでした。



      

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