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作法とはなにか

いかにも賛否分かれそうな話で、実際リプライ欄でも紛糾しておりますな。

このツイートに言及するためには、そもそも

マナーや作法とはなにか?
人生に必要なものか?
必要だとしたらどの程度必要なのか?

などについて最低限考える必要がありそうです。

個人的に、作法というのは「それ自体には意味はとぼしく『社会の中で他者とのやりとりを円滑に進めることができます。その能力がある人間ですよ』と周りに知らしめる"信号"のようなもの」だと考えております。

無人島で一人暮らしなら、作法など完全に無視して手づかみで食べたって良いわけですからね。他者と関わる「社会」なくしては「作法」の意義は著しく薄くなるわけです。

ただし、薄くなるだけで、皆無になるとは限らないし、無人島でも意義のある作法は発生しうることも言及しておきます。

例えば、無人島で一人なんらかの神を崇めることはあり得るし、その際の宗教的な作法などは無意味とは言い切れないわけです。

話を戻します。

今日の日本社会において「箸の使い方」というのは出現頻度が高く、それなりに他人に対して発信力の強い信号だと思います。

よって、自分が親の立場ならば子供が社会で恥をかき、軽んじられる可能性を減らすために躾けておきたいですね。

もっとも子は親を選べませんし、各ご家庭の教育方針にはなかなか外野が口出せませんから、これ以上は踏み込まないでおきます。

では総括しましょう。

マナーや作法とはなにか?→「社会性を示す"信号"である」

人生に必要なものか?→「重要度が高い場合とそうでない場合がある」

必要だとしたらどの程度必要なのか?→「箸の使い方」などは比較的出現頻度の高い"信号"であるため、重要度はやや高めといえる。

本文は以上。

(これより下の有料ゾーンには私の性格の悪さが滲み出た、あまりよろしくない文章を置いておきます。投げ銭のオマケのようなものとして、課金をご検討ください)

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