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昼白の城崎、琥珀の豊岡(後編)

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さて、再び朝がやってきた。二泊三日の城崎豊岡旅行も本日が最終日である。

チェックアウトを10時に済ませ、ホテル近くで昼食を摂ってから帰洛するつもりであったため、昨日から目星を付けていた小料理屋に予約を入れることにした。

しかしながら、入店予定時刻は11:30と少し間がある。そこでホテルから十分程度、ちょうど城崎と豊岡の中間地点にある「玄武洞公園」を散策することで、時間を潰そうと考えた。

「玄武洞」という名前からして、自然洞窟の内部を探索するような名勝を想像していたのだが、実際は溶岩石を人の手で切り出した結果産まれた洞の跡地であり、その内部に入ることはできない。見所はその岩石層が織り成す独特の紋様である。

太古の昔、この地に溢れ出た大量の溶岩が冷え固まる際に、その性質に基づいて独特の規則性を持ったヒビ割れが入った。それを採掘により切り削った結果、岩盤の表面には縦横無尽に角柱の束がうねるが如き層状が現れたのだ(これを柱状節理と呼ぶ)。

玄武洞公園は小高い丘一面に鬱蒼とした樹々が生い茂り、その中腹にあるいくつかの採掘跡とそれらを繋ぐ遊歩道などで構成されている。

そして、跡地にはそれぞれ四聖獣の名が冠されており、青龍洞、玄武洞、白虎洞、朱雀洞と呼ばれる四つの奇岩窟が当該自然公園の主役である。 中でも青龍洞は、その名の通り柱状節理が龍の如く天に向かって伸びており、威風堂々たる佇まいであった。

玄武洞公園はその景色の荘厳さを誇るばかりでなく、訪れる者の願いを叶えるパワースポットとしても知られている。とはいえ、このような評判は概ねスピリチュアル的な文脈で語られているため正直眉唾物だ。

しかし、視点を変えてみると、実はこれらの洞窟群は、人々の望みを目に見える形で叶えてきたところが確かにあるのだ。

なぜならば、こちらの採石場で切り出された角柱石は加工が容易く、近隣市街地の建材として重宝されてきた経緯があるからだ。

そして、それらの断面の多くは六角形を表しており、その姿が亀甲に似ていることから玄武岩と名付けられた(必然、玄武洞という呼称についてもそこから派生したものであろう)。

かくして、玄武岩は城崎温泉街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)の石堤を筆頭に、周囲の街並みを支える築材として活用されてきたのである。

この地に降り立った四聖獣たちはその姿を変えつつも、土地の人々の「健やかに暮らしたい」という願いをまさしく叶え、長年に渡って護ってきた、と考えるのは些かこじつけが過ぎるだろうか。

さて、公園の頂上付近から眼下を見渡すと、遠くの山々の麓まで整然と並ぶ水田の列が、五月晴れの空をその水面に映している。

元より採石場跡地ではあるものの、今では祠なども建立されているこの公園は、神域としての性質もたしかに帯びており、周りの樹々が齎す清冽な気配は来る者の心を洗う。

まもなく遊歩道を歩き終えて駐車場へと戻る頃、腹の具合も時刻もちょうどよく整ったため、奇勝を後にして予約先の小料理屋へと向かう。

目当ての店は、なんと秋篠宮殿下も訪れたこともあるようで、その威信に基づき「店主のおまかせ定食」なるものを注文したところ、成る程、どの皿も繊細に作られており美味である。

俺が入店して間もなく満員となり、順番を待つ客たちが列を成し始めた。余すことなく料理を食べ終えた俺は、会計を済ませて速やかに店を出る。

旅の締め括りに斯様な良店に巡り会えた悦びと、寂れ行く街であったとしても懸命に生き行く人々の営みや歴史に触れた感慨を反芻しつつ、車に乗り込んだ俺は、この地を後にするのであった。

(了)


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