集英社_佐藤さん

老後を笑い飛ばせ!オランダ発のベストセラー 『83 1/4歳の素晴らしき日々』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第18回
83 1/4歳の素晴らしき日々
著:ヘンドリック・フルーン 訳:長山さき
集英社 2018年10月出版

空前の老人小説ブーム

老人が主人公で、元気が出るような小説をやりたいとずっと考えていました。
窓から逃げた100歳老人』(ヨナス・ヨナソン/柳瀬尚樹訳、西村書店)『もう年はとれない』(ダニエル・フリードマン/野口百合子訳、東京創元社)など、ここ数年の翻訳小説界隈は“シルバー小説”がブーム。加えて、超高齢化社会に突入する日本にあたっては、絶好の題材です。匿名作家によって書かれた本書は人口1700万人のオランダで32万部の大ヒット小説、ドラマ化も絶好調……ということで、すぐに版権を取得しました。

本書の主人公であるヘンドリック・フルーン83歳は、アムステルダムのケアハウスに暮らしています。自分のことはある程度出来る老人がアパートのような部屋で暮らし、ごはんや洗濯など身の回りのことは施設にやってもらう、というタイプの介護施設です。なんとなく住みよさそうに思えますが、小さめの部屋に、コンロはあるものの調理は禁止。食堂で出る1週間の献立はほぼ固定(これは居住者の混乱を防ぐためだとか)。周囲から聞こえてくる愚痴とぼやきのオンパレード、月に1度は必ず死者が出る。そんな生活に辟易したヘンドリックは、2013年1月1日に日記を書き始めます。「新年になっても、私はやはり老人が好きではない。(……)まあ、私自身も83と1/4歳なのだが。」

ヘンドリックの老々日記は、パウンドケーキによる金魚の怪死事件から始まり、周囲の出来事や2013年の時事ニュース、あるいは昨今の福祉事情について、痛烈なブラックジョークを交えて綴られていきます。そんな折、施設の仲間と結成するのが、「オマニド(年寄りだがまだ死んでない、という文の頭文字)・クラブ」。活動内容は、順番で幹事を決めて、楽しい「エクスカーション(小旅行)」に向かう、というものです。行先は料理教室や太極拳、なんとカジノまで! こうしてヘンドリック達は人生を少しでも楽しいものにしようと、あれこれ画策します。クラブ活動以外にも、電動カートで爆走したり、恋をしたり、前を向くかと思われたヘンドリックの老後生活。しかし、そこには厳しい規則と施設長、あるいは身体の不調と寄る年波が立ちはだかり……。

この日記調小説の良い点は、「現実味のある世界観」というところでしょうか。ヘンドリックをはじめとする老人たちは、前述の2作品のように、大いなる歴史の裏側で活躍もしていないし、元・敏腕刑事でもありません。物語としては地味かもしれませんが、現実的に生きる小さな前向きさにこそ、慰められることがあると思います。

介護される人間の尊厳と安楽死

さて、日記の中で他人のあれこれを痛烈に皮肉るヘンドリックですが、本人も83歳の老人です。最近ひそかに尿漏れを気にしている彼は「白いパンツだとシミが目立つから、黄色いパンツにしたほうがよさそうだ」とこぼしながら、パンツを自分で予洗いしてから洗濯に出します。医者からはおむつを勧められるものの、なかなか踏み切ることができません。
本書ではこうして、ヘンドリックはじめ介護施設の中で暮らす人々の心中が垣間見えます。他人を冷静に観察する一方で自分の老いに戸惑いを隠せない、介護される側から見た世界を、驚くほどリアルに綴っているのです。

また、本書の舞台であるオランダは福祉の充実ぶりで名高く、さらに安楽死が合法化された国でもあります。ヘンドリック自身も、常に頭の中で安楽死という言葉がちらついています。
しかし、安楽死を実際に遂行するには細かいルールが定められており、そこをクリアしない限り実施することはできません。また、現実的な段階になると躊躇する医師もいます。制度化されてはいるものの、なかなか難しいのが現状のようです。一方、安楽死そのものの数は近年増加傾向にあるもよう。クオリティ・オブ・ライフの概念がオランダ国民の間に広まっているということなのでしょう。

違うようで同じ、同じようで違う人たち

本書でたくさん登場するオランダの老人たち。ともすると日本の読者からはピンと来ない、かけ離れた存在に思えるかもしれません。しかし、彼らの日常は、驚くほどよく見かける光景です。「王室関連の話が大好き」「不良品ではないコップを返品にいく」「病気の話題が多い」などなど。遠いヨーロッパでも似たような話が繰り広げられているところを見ると、老人というものは、いや人間というものは、結局皆同じなのですね。

こうした笑える要素、社会批判をする固い要素、幅広い面をうまくまとめているのが本書のキャラクターの魅力です。控えめで紳士な(本人談)ヘンドリック、酒好きで少々?やんちゃな親友エヴァート、聡明で知的なエーフィエなどなど、十人十色の老人たち。糖尿病やアルツハイマーなど、彼らを襲う困難は決して笑えるものばかりではありませんが、それでも、時に明るく、時にはともに落ち込みながら一緒に立ち向かう様には、人間こうありたいものだと強く感じさせられます。

とはいえ結局のところ、本書はユーモア小説ですので、軽い気持ちで楽しく読んでいただければと思います。以前、母親に「老人の日記調小説を出すよ!」と伝えたところ、「えー、読みたくない」とバッサリ斬られてしまいました。ひどい。キャラクターだけでなく、実在の人物も老いには直面したくないようです。
それでも時間は止まりませんし、余生をどう生きるかは私たち次第。本書が皆さまの老後を明るくする、小さな手助けになれば幸いです。

執筆者:佐藤香(集英社 文芸書編集部)


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