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パリを舞台に交錯する過去と現在(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」第4回
"Paris Echo"(パリ遺響) by Sebastian Faulks
2018年出版

セバスチャン・フォークスの新刊はいつも待ち遠しい。カズオ・イシグロもそのカテゴリーに入るけれども、生年もデビュー時期もほぼ同じ二人に類似点は少ない。フォークスは寡作のイシグロ(デビューから36年間で8作)とは対照的に、その倍近くを書きまくってきた多産系の書き手。スタイルもまたおおいに異なり、イシグロが作品ごとにスタイル・意匠を変え、どちらかというとカフカ的な謎と安住を許さぬ気配を感じさせるのに対し、フォークスの作品はほぼ常にロマンチックで、二つの大戦が直接間接の背景になることが多く、フランスへの偏愛がにじみ出ている。彼の名声を固めたのは、初期の『The Girl at the Lion d'Or』、『Birdsong(邦訳:よみがえる鳥の歌)』、『Charlotte Gray(邦訳:シャーロット・グレイ)』(まとめて「フランス三部作」と呼ばれている)の三作で、屁理屈とは無縁の堂々たる小説世界にどっぷり浸りたい読者向けの作品群。

今回取りあげる彼の最新作『Paris Echo』は、浪漫的・大戦・フランス愛という彼の特徴をすべて備えながら、四作前の『A Week in December』あたりから試み始めた実験的なテクニックをさらに一歩進めて導入した、「フォークス・リミックス」とでも呼びたい野心作。物語が展開されるメイン舞台はパリだけれど、二人の主要登場人物がモロッコ人青年タリクとアメリカ人女性ハナという点は、基本的にヨーロッパ人で完結していたこれまでのフォークス世界とはだいぶ違う。

現代にこだまする戦時期の人々

モロッコの大学の経済学部に在籍する19歳のタリクは、自分が子どものころに死んでしまった母親の家族史が常に気がかりだった。母方の祖母はアルジェリア人だが祖父はフランス人だったと聞かされていた彼は、機会があればパリへ出かけてそのルーツを探ろうとしていた。
ある日彼はフランス行きを決断し、タンジールの港からマルセイユ行きの船に潜り込んで密航する。

アメリカ人のハナは31歳で、「第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のフランス人女性」に関する執筆資料収集のためにパリに逗留している。20代の頃にもパリで暮らしていたが、そのときのロシア人詩人との恋愛がいまだに尾を引いている。
それはさておき、彼女の日々は公文書館や録音資料館への日参だが、20代の頃のフランス語をブラッシュアップしていなかったため、フランス語の聞き取りに若干難がある。

水と油のような二人だが、タリクの手引きをしていたホームレスの娘サンドリンが偶然に二人を引き合わせることになり、タリクはハナのアパートに下宿する。タリクは日銭稼ぎのためにフライドチキンの店でアルバイトに明け暮れるが、母国語がフランス語だったから、ハナの資料収集や翻訳の手助けもすることになるーー。

以上が基本的構造というか、外殻。いわばクリームパンのパンの部分にあたるが、クリームに相当するのがハナが掘り起こす資料である。とりわけドイツ軍占領下を生き抜いた女性たちによる録音資料、つまりオーラルヒストリーが本書の核となる。
当時20代の娘たちがその録音を吹き込んだのは彼女らが70歳前後のことだけれど、現在ではほぼ死に絶えている。彼女たちが語る日常は、物資不足の生活苦、占領ドイツ兵との恋愛、反ドイツのレジスタンス運動など。この録音資料の書き起こし部分が「小説内小説」として、一個の小宇宙を構成し始める。その部分はフォークスの作家としての出発点ともいえる「戦時小説」になっていて、彼のペンは水を得た魚のごとくなめらかに走る。

これだけだと、2010年代の現在(パン)と1940年代の過去(クリーム)が併置されただけの話になるけれど、職人フォークスはその両者を有機的につなげる仕掛けを設定した。本作全22章の各章につけられたタイトルがすべてパリの地下鉄駅の名前になっている。
たとえば、第4章「ストラスブール・サン・ドニ」、第5章「トルビアック」、第6章「オーベルヴィリエ・ブルヴァール」というふうに。そして、第二次大戦の時代から基本的に同じ地下鉄駅を、著者は過去と現在のちょうつがいとして利用する。

モロッコにはなかった地下鉄に魅せられて、かつ自分自身のルーツ探索という漠然として目的もあってパリの地下鉄を乗り回すタリクが、ハナが調査対象にしていた女性に良く似た人に出会う。それ以外にも、ハナの資料のなかに現われるのと良く似た老人Hと交遊を始めたりする。それはいつも薄暗がりのなか、夢のような出会いだった。
一方ハナはレジスタンスの女性闘士の足跡を追ってアルザスまで足をのばす。その女性闘士がナチスに処刑された場所の近くに宿を取ったハナは、その夜不思議な体験をする。
タリクにしてもハナにしても、こうした過去との交わりらしき体験について、お互いに話すことはなく、読者だけが全貌を把握できることになる(クリームパンを丸ごと楽しめるのは、読者だけだ!)。

メタ構造に透けてみえる創作背景

冒頭で触れたように、タリクのパリ行きは自分のルーツ探しだった。上述した老人Hから1960年前後にフランス政府が行ったアルジェリア人弾圧の血みどろの歴史を学ぶうちに、パリで消えたアルジェリア人の祖母は、1961年にパリ警視総監パポンによって虐殺された数百人のアルジェリア人の一人だったのではないか、という疑いを抱き始める。家族が誰も触れずにいた(あるいは誰も知らなかった)この秘密が、自分の人生にうつろな部分を感じる理由だったのかもしれない、と思い悩む。

本書のなかから二つの文章を抜き出しておきたい(要約しつつの意訳だが)。

「彼らの死後何年も経ったあと、見ず知らずの誰かがやってきて彼らの声に耳を傾けようとする。そのように自分たちを思い出そうとしてくれる人々が未来にいる、と考えることは死を目前にした彼らにとってなぐさめであるに違いない。」
「誰かとの偶然の出会いがあなたの存在のありようを決めることがある。その誰か、つまり彼らの死後の世界とは、今生きるあなたの存在に影響を与えた彼らの役割のことなのだ。」

過去と現在をゆきつもどりつする本作品の要点が、ここにまとめられているような気がする。また、大戦の死者の弔いと運命にもてあそばれた過去の人々の物語で作家生活を開始したフォークスは、次々と物語を書いてゆく過程でこうした思いを強くしていったのではないだろうか。
メタフィクション風の作品だと感じるのは、小説内小説という側面を捕えていうのではなく、本作品自体がこれまでのフォークスの創作人生のメタフォリカルな投影のように感じるからである。資料収集と読み込みに専念するハナ、探究の衝動を抑え切れずに飛び回るタリク、この二人もフォークスの分身に見えてしかたがない。

実験的で野心的な本作は、著者の代表作に見られるような古典的均整を欠くけれども、創作の形を借りて自分の心を開いたように思える。フォークスのファンであり、かつパリに対する偏愛を共有する僕にとってはとても魅力的な作品だ。

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。通算26年ロンドン在住。翻訳書にフィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』、リチャード・リーヴス『アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所』(いずれも白水社)。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』のロンドンを担当。


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