ユダヤの青年から見た戦間期の欧州を描く大作(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」 第1回
The Invisible Bridge(見えない橋)"by Julie Orringer
2011年1月出版

近所に読書家の元高校教師がいて、彼とはよく本の情報交換をする。僕の関心が戦前・戦間期のヨーロッパにあることを知っている彼は、そのターゲットに合った本を適宜推薦してくれる。その彼が「君なら絶対気にいるはずだ」といって勧めてくれたのがこの小説。

正統派古典的長編小説、といったら大げさだろうか。いや、正直にいうと、600ページを超える本書の最初の二割ほどを読み終えたとき、自分は19世紀のフランスにいて、その後文豪と呼ばれることになる作家の処女作に立ち会っているのではなかろうかという、もっと大げさな興奮に包まれていた(巻き添えをくって強制読書を迫られた友人は数知れず)。

もっとも物語は1937年に始まるのだから、自分が19世紀の読み手になったような……というのは錯誤もはなはだしい幻想なのだが、古き良きヨーロッパの雰囲気と、ストーリーの典雅な展開。そして極めつけはフローベールの『感情教育』を彷彿とさせる筋立てに、幻惑されたのだと思う。

1937年秋、ユダヤ系ハンガリー人の貧しい若者、アンドラス・レヴィが奨学金を得て、建築を学びにパリへ向かう。彼の兄ティボールもまたイタリアの医学校への留学を志し、弟のマティアスは演劇を志向している。

ブダペストを発つ前に、アンドラスは銀行家ハース家の若夫人から、パリで絵の勉強をしている息子ヨーゼフに小包を届けてくれまいか、と頼まれていた。出発前にハース家へ小包を受け取りにいくと、若夫人の姑である老夫人からも、家族には内密で別の用事を頼まれる。パリにいる親戚に手紙を届けて欲しいというのだ。「ハンガリーの郵便は信頼できないから」と過敏なほどに慎重な老夫人は、「誰にも口外しないでほしい。特にパリにいる孫(ヨーゼフのこと)に知られるとまずい」とアンドラスに口止めし、「C・モーゲンシュテルン」という人物へ宛てた封書を託す。パリに着いたら、切手を貼って投函してくれるだけでいいのです、と。

ブダペスト発ウィーン乗り換えパリ行きの夜汽車のなかで、アンドラスは自分を留学させてくれた両親への謝恩を抱き、あとにしてきた兄弟を想う。と同時に、自分の実在を保証していた故郷から遠ざかる彼は、自分が誰なのかわからなくなってゆく。

以上、冒頭10数ページのサマリーには本長編の種子がもれなく埋め込まれていて、残り590ページで、それらが発芽し開花し根っこを絡ませ、ある部分は蔓を伸ばし、ある部分は朽ち果てる。それに加えて、まもなく始まる第二次世界大戦のなかで、ユダヤ人が迎える悲劇を、アンドラスら登場人物はまだ知らぬ。だが私たちは、この大河ドラマにいずれ黒雲が忍び寄ることも知っている。

中心的な大木に育つ種子は、やはりあの謎めいた秘密の手紙だ。「C・モーゲンシュテルン」とは老夫人の秘密の恋人か何かだろう、と想像をたくましくしたアンドラスは好奇心にかられ、投函などという味気のないことはせず、自分で配達にゆく。が、その住所にはバレー学校があり、Cとはクレアという女性の頭文字だった。クレア・モーゲンシュテルン——この美しいバレー教師は同郷のハンガリー人であり、なんとハース老夫人の実の娘だった。母娘が大っぴらな交信を避ける理由はハンガリー当局に対しては終始秘密にされ、それがこの物語の作品後半まで緊張を与え、登場人物たちの運命を左右することにもなる。ともあれ、アンドラスは年上の夫人クララ(クレア)に激しく恋着し、本書前半のパリ物語は二人のロマンチックでセンシュアルな関係を中心に展開する(『感情教育』の青年フレデリックとアルヌー夫人を彷彿とさせた点がここだ)。

ヨーロッパ全域でユダヤ人差別が露骨になり、パリのアンドラスも苦労する。それだけでなくユダヤ人学生ビザの更新は本国でしか行えなくなり、彼はクララをパリに残して一旦ハンガリーへ戻る。だが帰国するやいなや、アンドラスは労働部隊へ配属されてチェコスロヴァキア東部へ送られ、パリには二度と戻れなくなる。

後半では、第二次世界大戦終了までのハンガリーの不幸、アンドラスと兄弟の逃避行、アンドラスの子を身ごもったクララの苦難という、過酷なできごとが続く。前半がバラ色ならば後半は土色の戦時小説である。我々読者にとって興味深いのは、ナチスに完全蹂躙されたドイツ本国やオーストリア、ポーランドなどとは異なり、戦時期文学として垣間見ることの少ないハンガリーの状況だ。情報の豊かさと細部の彫琢は圧倒的で、1973年米国生まれの著者がここまでハンガリーを描けたことに驚いてしまう。

「正統派古典」とはやし立てたけれど、モダンな仕掛けが本書冒頭の1行目に仕込まれていた。「そののち彼は、この物語が王立ハンガリー歌劇場で始まったことを、彼女に語ることになる」という一文だ。ここに散らばる代名詞、「彼」はアンドラスであり、「彼ら」はアンドラスとクララだということは次第にわかる。でも「彼女」とは? 何ページ読み進めてもこの「彼女」に該当する人物は現われぬ。そのうち偏執狂的な読者以外、「彼女」のことは忘れてしまうだろう。だが最終段階で、「彼女」とはこの物語の語り手であり、アンドラスの孫であると判明する。戦前戦間期ハンガリーを「見てきたように」語ることができた秘密はそこにあった。かといって、ジュリー・オリンガーという著者がこの語り手=「彼女」というわけではないらしく、21世紀の小説はなかなか一筋縄ではいかない。

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。通算26年ロンドン在住。翻訳書にリチャード・リーヴス『アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流』(いずれも白水社)。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』のロンドンを担当。

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