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「毒親」から離れた彼女には「教育」という光があった(山崎繭加)

山崎繭加の「華道家のアトリエから」第2回
Educated: A Memoir
by Tara Westover (タラ・ウェストオーバー)  2018年2月出版

New York TimesのベストセラーのリストをチェックしKindleで買って読む、ということをたまにしている。リストに数十週間以上ランクインしている本は、やはりひと味違う。この1年ぐらいだと、ミシェル・オバマ夫人の回想録“Becoming”、野生動物の著名な研究者デリア・オーウェンズが60代後半にして初めて書いた小説“Where the Crawdads Sing”(『ザリガニが鳴くところで』)あたりが不動のランクインをしており、どちらもあらゆることをなかったことにして読みふけってしまう面白さであった。

タラ・ウェストオーバーの回想録“Educated”も、その方式で知った本である。2018年2月出版なのに、2019年5月末でもまだノンフィクション第2位。すでに65週連続のベストセラーだ。世界中が知っているミシェル・オバマ夫人と違って、タラは全くの無名の女性である。

ちなみに、前回このコーナーで書いた“Big Magic”の著者エリザベス・ギルバードの回想録“Eat, Pray, Love”も伝説のロングセラーであった。エリザベスも当時世界的にはそれほど知られていなかったものの、すでに数冊本を出版し、賞にノミネートされたこともあるプロの作家だった。タラは“Educated”が人生の初作であり、全くもって知られていない人。そんな32歳の人生を綴った本が、どうしてここまでのベストセラーになったのか。

その理由は主に二つあると思っている。

① とにもかくにも彼女の人生が壮絶すぎる。
② 壮絶すぎるエピソードを通じて、親子関係と教育という、誰にもあてはまる普遍的な事柄の本質をじわじわと突きつけてくる。

Educated”は実際の人生を綴った回想録なので、ノンフィクション、ということになるが、フィクションをも凌駕するような物語がそこにある。そしてその物語の中に誰の人生にも通ずる普遍的なメッセージがある。さらに、詩のような情緒と、歴史学者でもあるタラ自身が、自らの人生を一つ一つ事実と照らし合わせながら実証していく研究論文のようなロジックの強固さが両立している。

モルモン教サバイバリストの家で育ったタラの壮絶な人生


タラは、「世界の終末がやってきて、その時には神の教えを守って生きていた人だけが生き残り救われる」ということを信じる、モルモン教サバイバリストの父親を持つ。この父親が頭の中で作り上げた世界の中にタラは生きていた。それがどんな世界だったのかを象徴するエピソードが描かれている。ある日、父親は家族に涙ながらにこう語った。

うちからそんなに遠くないところに住んでいる家族がいる。彼らは自由の戦士で、「政府」(Government)に子供たちが洗脳されないように、学校には行かせていなかった。そしたら連邦政府の奴ら(Feds)が来たんだ。奴らは彼らの家の周りを囲んで、家族が外に出られないようにした。何週間も。そしておなかをすかせた子供が食べ物を求めて家を出たその時、政府の奴らはその子供を射殺した...(中略)殺された子供の身体を引き取りにいった父親も射殺されてしまった。そして赤ん坊を抱えた母親が窓のところに外を見に行った時に、また銃声が聞こえた。(p.8-10より抜粋)

ここを読んだ時、あれ、私は昔のまだ荒くれていたアメリカの話を読んでいたんだっけ?と混乱した。Mormon, gun, siegeなどといくつか単語をGoogleにいれて検索してしまったぐらいだ。でも、タラは1986年生まれ。5歳といえば1991年、湾岸戦争の頃。政府が学校に行かないという理由で家族を射殺するなんてことは、その時期のアメリカで絶対に起きるはずがない。

でも父親にとって、この物語は現実であった(タラは後に父親が双極性障害であったことに気づく)。そしてその父親の絶対的支配のもとで生きるタラを含めた7名の子供も、この父親の“物語”の中で生きることを強いられた。

学校には行かせない。かといって家での教育はほぼ何もない。病院もだめ。命に関わるけがをしても母親によるハーブの手当のみ。衛生という概念自体が否定され、家には石けんもない。
何度事故を起こそうと、父親は車に乗るとき誰もシートベルトをさせない。子供たちは父親の廃品置き場での危険な仕事の手伝いをし、タラも10歳になったら容赦なくかり出される。廃品置き場に父親はちょっと間違えれば頭や足がふっとぶような機械を持ち込み、そこで子供たちが怪我をしようが、例え死んでしまおうが(実際に兄たちが命にかかわる大事故にあっている)、父親にしてみればそれは「神の意志」。
2000年問題が騒がれると、それこそが“終末の日”だと考えた父親は、家につみあげてきた食糧や水を求めてくる人たちを寄せ付けないために、戦場で使われるような大型の武器を購入する。タラは「いったいこの武器を誰に使うのか」と戦慄する。

この父親の世界から、タラの一つ上の兄、タイラーが抜け出す。彼は隠れて勉強を続け、自力でモルモン教のブリガム・ヤング大学に入学するのだ。そしてタイラーは、別の兄ショーンの暴力を受けていたタラに、「君にとって世界で最悪の場所である」家を出て、大学を目指すように言う。

There’s a world out there, Tara. And it will look a lot different once Dad is no longer whispering his view of it in your ear.(p.120)

タラ、外に世界があるんだよ。そして、僕らの父親が彼の世界観を吹き込まないところに行けば、すべてが違って見えるよ。

タラは家を出てブリガム・ヤング大学に入り、奨学生としてイギリスのケンブリッジ大学に渡って修士をとり、ハーバード大学で研究員をしながら博士課程を修了する。大学入学時にはホロコーストのことすら知らなかったタラが、歴史学の博士となるのだから、この旅の物語もすごい。
教育の旅と平行して、新しい環境との摩擦、父母との深まる確執、タラ自身の精神破綻など、新たな道を歩みたくても簡単には歩めない状況も続く。

フィクションだと、むしろ書き手の想像力に限界が来て、ここまでは設定できないのでは、と思ってしまうぐらいの、衝撃のリアルな物語の極めつけは、タラが家を出た後の両親のその後、である。
父親が仕事で大けがをして脳を損傷してしまう。それでも病院に行かず母親が調合したハーブだけで治療し、結果生き残る。その経験を経て父親はますます神がかり、彼を崇拝して彼の言葉を聞きに人が集まるようになった。母親のハーブも有名になり、聖なるハーブとして売り出され、タラの両親はその地域でも最大規模の数十人を雇う事業家となるのだ。

読後感としては、うわあ、なんかすごい世界を読んでしまった、という感じより、自分自身の中にある何かが突っつかれる感覚である。自分と離れた別世界の話ではなく、深いところでつながっている感覚。

それは、このタラの物語が、親と子、そして教育という、誰にとっても大切で切実なテーマの物語だからだ。

「あなたのため」と信じる親とどう向き合うか

タラの父親は、家族に暴力を振るう、お酒やドラッグに浸るなどの、いわゆるだめな父親ではない。信仰と自分自身の妄想からなる物語だけが真の世界であり、その世界から家族が抜け出ることを許さない、という父親である。
それは、抜け出ると神の意志に反することになり、終末の日に救われなくなってしまうから。つまり、彼は、彼の信じる世界の中で生きることが子供たちにとっても唯一の道であると確信している。

学校に行かせない、病院にも行かせない、出生届すら出さない、ハーバード大学で研究していた娘の部屋にやってきて「君は悪魔に取り憑かれている」と一晩中話し続けるなどと、どこまでも極端ではあるが、タラの父親は子供たちのためを思ってそうさせているのだ。さらに言えば、神への愛が先行するものの、子供たちのことも愛している。

タラの家の話は壮絶ではあるが、「こうすることがあなたのためになる」と信じている親、その価値観に対して時には従い時にはぶつかりながらいずれ出ていく子ども、という意味においては、世の中のどこにでもある話だ。そして互いへの愛情があるがゆえに、さっさと切り離すことができず、関係がもつれる。
きっとこの本を読んだ人の多くが、親が信じる「あなたのため」と自分の価値観がぶつかって悩んだことを思い出したり、親としての子どもへの向き合い方を改めて考えさせられたりしたのだと思う。

ちなみにタラの母親は、家の中で学校を開こうとしたり、助産師(無免許)としてたくましく稼いだり、ハーブのことを勉強して治癒の腕を上げたり、父親の許可なく家に電話を敷いたり、タラには「あなたはここから出て行く人よ」と話したりと、父親の世界とは別の世界を自分で創り出す力を持っている人であった。
しかし、父親と子どもの世界が真っ向からぶつかった時は、必ず父親の側についた。タラは母親には期待もある分、深く傷つき辛い思いをする。

これは、家族内だけでなく、学校でも会社でも社会でも、あらゆる規模のコミュニティで起こりうることだ。父親の子どもへの虐待を止められない母親、いじめを傍観する同級生、上司の不正を見過ごす会社員。そうした人たちを責めることは簡単だ。
では自分がその立場だったら?自分も苦しい思いをする現状の打破のために動けるだろうか? タラの母親だったら、父親ではなくタラの側につくことができるだろうか? 心に重く問いかけてくる。

教育は、新たな世界を自ら開拓する力を与えてくれる

父親は子供たちを学校に行かせず、家で母親がなんとか基礎的なことを教えようとしても、その横から仕事にかり出したりする。タラは一つ上の兄タイラーに文字を教わり、その後は家にある唯一の本とも言えるモルモン教の聖書を何度も読んで、自分で文章の書き方を学ぶ。そしてタイラーに続いてタラも大学に入る。

そしてユダヤ史のケリー教授との会話が、タラの人生のターニングポイントになる。ケリー教授からなぜユダヤの歴史のクラスを履修したのかと聞かれたタラは、思わず、大学に入って初めてホロコーストを知ったこと、そしてそれ以外のユダヤの歴史も知りたくなったこと、さらに学校を信じず子供たちを家から出さなかった自分の家族のことも話す。じっと聞いていたケリー教授はタラにこう言った。

I think you should stretch yourself. See what happens. (p.229)

君は自分をもっと広げてみるべきだと思うよ。それで何が起こるか見てごらん。

そしてケリー教授は、イギリスにケンブリッジ大学というところがあり、その大学に行く短期留学のプログラムがあることをタラに伝えた。

it may give you some ideas of your abilities. (p.230)

君は自分に何ができるか、もっとわかるかもしれない

応募したタラは特別枠での参加を許され、ケンブリッジへ向かった。そこでタラは歴史学の重鎮、スタインバーグ教授と出会う。彼の厳しい指導を受けながら、タラは比較政治哲学のエッセイを書く。
タラの育った環境では、本は二種類しか無かった。書かれているすべてがそのまま賞賛されるべき神の本か、危険で禁止されるべきそれ以外のすべての本か。エッセイを書くために、タラは人生で初めて、自分自身としてそこに存在しながら本を読む、という経験をする。その経験はタラをぞくぞくさせた。
そうしてほぼ2週間寝ずに書いたエッセイを読んだスタインバーグ教授は「30年間ケンブリッジで教えてきたが、このエッセイは最高レベルだ」と褒め、タラに大学院に行く際には、自分がどんな大学でも入れるようにすると約束した。その後、タラは首席で大学を卒業し、ケンブリッジ大学の大学院に進み、博士号も取得する。

驚愕すべきは、タラの家の7人の子どものうち、4人は人生で一度も学校にいかないままなのに対して、大学に行ったタイラー(一つ上の兄)、タラ、リチャード(弟)の3人は全員博士号を取得しているということだ。父親の世界の中で逆らわずに生きることを選択した4人はいわゆる教育というものを受けず、出ることを決意した3人はスーパー高学歴。

タラだけを見れば、育った環境、親の教育観などは結局のところ関係なく、自分で学ぶ力さえあれば、そしてケリー教授のような出会いがあれば、人はいつからだってどこまででも学べる、と結論づけることも可能だ。学校に行っていなかったからこそ、学ぶことへの欲求がそがれることなくそのままの形であり、だからあそこまで純粋に学びを追求できたのかもしれない。

でも、タラの家の他の4人の子どもの人生は、教育がなければ、親の価値観の中で生き続けることしかできなかったことを示している。後に母親の聖なるハーブ事業で人を雇えるようになった両親は、この4人を全員雇い、4人は経済的にも親に依存するようになっていた。

教育とは、自分が生まれた環境を超えて、新しい世界を自ら開拓する力をつけるということ。勉強するというのはそのツールにすぎない。つい、「教育=勉強」となって、教育の力の本質を見失いそうになるけれど、それをタラの物語が改めて示してくれる。

タラは、家を出てからもずっと、自分の中には父親の世界に留まり兄ショーンの暴力におびえる16歳の自分がいると感じていた。でもある日、その彼女が自分の中にいなくなっているのに気づく。そしてタラはそれこそが教育の結果だったと悟るのである。この本の最後にこういう記述がある。

You could call this selfhood many things. Transformation. Metamorphosis. Falsity. Betrayal.

I call it an education.(p.328)

この自我(の変化)のことはどうとでも呼べる。変容という人もいるだろうし、変態、偽り、裏切りと呼ぶ人もいるかもしれない。

私はこれを教育と呼ぶ。

読み手はここで“Educated”(教育を受けた)というタイトルが、まさにタラの人生の旅そのものを表すことを腹落ちする。そして自分の人生の旅を想うのである。

執筆者プロフィール:山崎繭加 Mayuka Yamazaki
マッキンゼー・アンド・カンパニー、東京大学助手を経て、2006年より2016年まで、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチセンター勤務。また2010年から2017年まで、東京大学医学部特任助教として、グローバル人材育成にも関与。著書に「ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか」(ダイヤモンド社)。現在、華道家として活動を行いながら、ハーバード・ビジネス・レビュー特任編集委員、宮城県女川町研修アドバイザー、慶應義塾大学公衆衛生大学院非常勤講師なども務める。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。

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