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「大草原の小さな家」著者ワイルダーの真実(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第2回
"Prairie Fires: The American Dreams of Laura Ingalls Wilder"(草原の炎)
by Caroline Fraser
2017年11月出版

アメリカで夢中になった「大草原の小さな家」の世界

本書は、児童書の古典「大草原の小さな家」シリーズを取り上げた、ノンフィクションです。「大草原の小さな家」シリーズがどのように生まれたか、そして著者ローラ・インガルス・ワイルダーとその娘であるローズ・レーンはどのような人物かを追っています。

大草原の小さな家」シリーズは、西部開拓時代のアメリカのある一家の物語です。シリーズは、主人公ローラが5歳ごろの「大きな森の小さな家」から18歳で結婚したあとの「はじめの4年間」までの9冊。シリーズ2冊めの「大草原の小さな家」が代表作です。同じタイトルで1970年代から80年代にかけてテレビドラマ化され、10年におよぶ長期シリーズとなりました。日本でも吹替版がNHKで放映されていました。

シリーズは、一家が幌馬車に揺られて前後左右に人っ子ひとりいない大草原を行き、自力で小屋を建て、畑を開墾し、自立した生活を打ち立てる様子を細かく描いています。中には、バッタの大群に襲われ作物が全滅したり、異常に厳しい冬に見舞われるなど、一家が困窮する厳しい場面もあります。しかし、シリーズ全体を貫くのは、自立と挑戦を最上位におくアメリカのフロンティア精神であり、楽観、勤勉、家族愛、隣人との助け合いといった価値観です。そして大自然の美しさの描写も心に残ります。

私は小学校2年生のとき、カリフォルニアに住んでおり、原著“The Little House on the Prairie”を読んで虜になりました。シリーズをすべて読破して、主人公ローラと家族の暮らしを追いかけました。Fiddle (バイオリン)のうまい Pa (とうさん)、芯の強い Ma(かあさん)、 優秀で性格も良い姉Mary(メアリー。後に盲目になる)、か弱い妹の Carrie(キャリー)。物語は著者ローラ・インガルス・ワイルダーの実体験に基づいており、フィクションですが、子どもだった私はワイルダーの自叙伝であるかのように読んでいました。小学校で、好きな本の世界を表現するコンテストがあり、On the Banks of Plum Creek (「プラム・クリークの土手で」)をイメージした粘土と画用紙の工作を出品して賞をもらったこともありました。子ども時代に持っていた本はほとんど処分してしまいましたが、黄色っぽい表紙のペーパーバックのこのシリーズは、今も全巻、手元にあります。

つい、長々と思い出話を書き連ねてしまいました。「大草原の小さな家」は、私の子ども時代をいろどる、圧倒的ナンバーワンの本なのです。そして、私と同じようにこのシリーズを愛読した子どもは、世代や言語を超えて大勢います。このシリーズは、1冊目が出版された1932年から今日まで45カ国語に翻訳され、シリーズ累計6000万部以上発行されているそうです。

さて、時は巡って2017年11月、アラフィフとなった私に、Amazonが新刊本「Prairie Fires」をおすすめしてくれました。興味を惹かれたものの、正直、私は本書を読むのをためらいました。大好きだった本の見たくない面、大好きな主人公ローラの知りたくない姿が描かれているかもしれない。いずれ読むかもしれないけれど、今は、いいや。電子書籍のサンプルだけダウンロードしましたが、それも開かずに、放っておいていました。

それが一転して、俄然読む気になったのは、本書がピュリッツァー賞のノンフィクション部門を受賞した、と知ったからです。やっぱり、いい本なのかも。そう思い直したんです。

ワイルダーは「物語よりも困難な」人生を歩んでいた

本書は、「大草原の小さな家」シリーズ著者ローラ・インガルス・ワイルダーの両親の出自から、ワイルダーの娘ローズ・レーンが亡くなるまで、1800年代から1970年代までの期間を扱っています。

本書で著者キャロライン・フレイザーは、ワイルダーの残した書簡、レーンの膨大な日記、周辺の人々の書き残したものなどを丹念に読み込んで、彼らの行動だけでなく、心情や人間模様を描いています。また19世紀の土地の登記簿や教会の記録などから、地域の状況を緻密に追っています。さらに、時代ごとの社会、政治、経済状況の解説もあります。著者は、こうした幾重にも重なる要素を緻密に紡ぎ合わせて、シリーズの各作品が生まれてきた背景と過程に丁寧に光を当てています。ですから本書は、複数の異なる観点で楽しむことができました。いくつかご紹介しましょう。

まず私が興味をもったのは、著者ワイルダーの実際の家庭の様子が、シリーズの描写とどう異なるか、という観点です。たとえば、実際のワイルダーの父は、シリーズに描かれるローラの父さんと同じく、好人物であったようです。町の調停員のような役割を勤めたこともあるなど、周囲からも信頼されていました。しかし、物語の印象とは異なり、実際の彼は、自営農に必要な才覚に乏しかった。そのため一家はずっと貧しかったのです。記録をたどると、一家は、先住民の所有地を知ってか知らずか不法占拠したことも、夜逃げ同然に住まいを捨てたこともある。まだ子どもだったワイルダーが、家計を助けるために住み込みで働かざるを得なかったこともある。ワイルダー自身は著作がヒットしたことで経済的に安定した生活を送れるようになりますが、両親や姉妹は、生涯貧困から抜け出せませんでした。一家の稼ぎ頭という点では、実体の「父さん」は、頼りなかった。ワイルダー自身もそう認識していたようです。それでも、物語の中でローラの父さんを「ヒーロー」として描き続けたのですね。

もうひとつ、シリーズ著者のワイルダーとその娘ローズ・レーンの複雑な親子関係の軌跡を追う、という観点もあります。なぜ、そんなにもレーンにスポットライトがあたるのでしょうか。それは、私も初めて知ったのですが、彼女がシリーズの事実上の編集者ないしは共著者に近い、重要な役割を果たしていたからです。
ワイルダーは、西部開拓を生き抜いた貧しい農民であり、シリーズを執筆して作家として世に出たのは60歳代半ば以降です。シリーズが大ヒットして有名人となっても、彼女はずっと同じ田舎町の小さな家に暮らし続けました。それに対し娘のレーンは、上昇志向が強く、高校卒業後にひとりで田舎町を出て、サンフランシスコやニューヨークで暮らします。彼女は、ゴシップ記事や事実と虚構をないまぜにした著名人の「伝記」を執筆しはじめ、文筆家として徐々に出版界で人脈を築いてゆきました。親しい女友達がシンクレア・ルイス(ノーベル文学賞受賞)と結婚するなど、レーンの交友関係は華やかでした。しかし、そうした華やかさの反面、レーンは破滅型の性格で浪費癖があり、鬱に苦しんだ時期もあります。また、母のワイルダーに対して屈折した気持ちをずっと持ち続けていました。私にはちょっと病的に感じられるほど、レーンには、母であるワイルダーの愛情を強く求めているのに、一方では「自分は母に愛される資格がない」と逃げて関係を壊してしまうようなところがありました。
しかし、ここが人間関係の不思議で面白いところなのですが、ワイルダーの執筆にあたっては、レーンは母に対して、極めて有能な編集者・助言者だったのです。一部の研究者は、レーンが実質的な著者だとする見解を示すほど、彼女の役割は重要でした。本書で著者は、残された草稿や母娘の書簡、レーンの膨大な日記などをひもとき、二人の共同作業と親子関係の実態を詳らかにして、著者は間違いなくワイルダーであるが、レーンの果たした役割も非常に大きいことを、具体的に解き明かしています。

私が楽しんだ点を、さらにご紹介します。それは、本書で語られる1860年代から第二次世界大戦頃までの、アメリカの田舎で暮らす人びとの価値観や、彼らから見た社会、経済、政治状況について。印象に残ったところをいくつか挙げましょう。
1860年代から本格化した西部開拓は、「一文無しであっても一国一城の主になれる」という夢と希望を人びとに与えました。しかし実際は、アメリカ中西部の草原地帯の環境が、急激な開拓によって破壊されてしまったのです。その結果、西部の開拓地は、機械化と大規模灌漑なしには農業が成りたたなくなってしまいました。
そして、同時期に穀物市場が発達し、零細農家の家計は、世界の穀物相場の騰落に直接左右されることになりました。つまり、現実の西部開拓では、一農民が経済的に自立することはほぼ不可能となったのです。
夢を信じた多くの人びとは、報われぬ苦労と貧困に陥りました。ワイルダーの生涯も、ずっと貧困との戦いでした。それは先に触れた父の才覚不足やさまざまな不運が招いたものでもありますが、そもそも、西部開拓が構造的に貧困をもたらすものだったとも言えるのです。

そして、当時のアメリカの社会や政治の価値観は、徹底した自助自立でした。現代の日本で暮らす私達には、奇異に思えるほどです。
たとえば、ワイルダーが少女時代を過ごしたダコタ州の憲法は、なんと、生活保護や自然災害時の救済に州予算を支出するのを禁止していました。自然災害による被害まで自己責任だという考えです。そのため、自然災害や相場の暴落で農民たちが困窮しても、州政府が経済的な支援をすることは「違憲」だったのです。
その後、1929年に世界大恐慌が起こり、アメリカではニューディール政策が発動され、連邦政府がさまざまな公共事業を行うようになりました。60歳代のワイルダー自身も田舎町の隣人たちも、わずかな資産を株の暴落で失い、苦しい生活に陥ります。しかしワイルダーたちは、「連邦政府が人びとの生活と仕事に介入するのはけしからん」と、ニューディール政策に強く反発し続けたのです。なぜでしょうか。
アメリカでは世界大恐慌以前にも、およそ20年ごとに大不況に見舞われてきました。ワイルダーにしてみれば、前の大不況も、その前の大不況も、政府のお世話にならずに自分たちの力で凌いできた。それはワイルダーの誇りであり、さらに言えばヨーロッパから新大陸に渡ってきたアメリカ建国の父たちと自分たちをつなぐ倫理観でもあったのでしょう。それなのに、世の中ではニューディールが大いに支持されている。どうしたことか、と。

そのような時代認識と経済状況のもとで、ワイルダーはシリーズを執筆していました。ワイルダーは、自身の子ども時代の経験から、住み込みで働かざるを得なかった体験など、辛い部分だけを丁寧に取り除いて、シリーズの物語を紡いでいます。その理由を、ワイルダーは「物語が暗くなってしまうから、子どもたちが読むものとしてふさわしくない」と書き残しています。でも、それだけが理由だったのでしょうか。「子どもたちには、勤勉で善良な人々が、政府のお世話にならず、家族や隣人と力を合わせて自助自立を目指す姿勢を伝えたい。アメリカを支える尊い価値観として、次世代に残したい」ーー本書の著者は、ワイルダーの意図をそのように読み取っています。

複雑な事実背景を叙述的に組み上げた構成力に圧倒される

大草原の小さな家」シリーズを執筆するような、クリエイティブに何かを生み出す過程は複雑です。その道程は、まっすぐな一本道ではなく、先が見えない中を行きつ戻りつするようなものです。作品を生み出そうとした動機も、簡単に言葉に表せるものではありません。本人が自覚的に行ったことも、無意識なバイアスに影響されていることも、あるいは環境や時代背景の影響もあります。本書の凄みは、そうした複雑な過程の全体像を、簡略化したり、偏った一面だけに注目するのではなく、膨大な調査量と考察で支え、複雑な過程を複雑なものとして、全体感をもって伝えようとしているところだと感じました。その大量な情報を魅力的な叙事詩のように組み上げた著者の構成力が、お見事です。

本書を読み終えて、まるで親戚に「亡くなったおばあちゃんはね、実は昔、こんなことがあってね……」なんていう話を聞かせてもらったような感覚になりました。自分が大人になって世の中のことや歴史を知り、家庭運営などの経験を積んで、改めて親や祖父母の歩んだ道を見直してみると、新たな発見がある。新たな尊敬や親近感がわく。そんな、しみじみと良い読後感です。

執筆者プロフィール:篠田真貴子 Makiko Shinoda
(株)ほぼ日取締役CFO。小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Bloomの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。

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