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「あなたは僕の心の中で生きている」が、比喩ではないこと(太田直樹)

太田直樹「未来はつくるもの、という人に勧めたい本」 第2回
"I Am a Strange Loop" by Douglas R. Hofstadter  2007年出版
わたしは不思議の環
著:ダグラス・ホフスタッター 訳:片桐恭弘、寺西のぶ子
白揚社 2018年発売

21世紀最大の問い

50歳の少し手前で「あなたは30点」と言われたことを、『insight』という本の書評で書いた。

insight』は、副題に「いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力」とあり、「自分を知る」ことを探求する内容だ。「五十にして天命を知る」とあるように、なんとなく歳を重ねていけば、自分も賢くなれる気がしていたけれど、そんなことはなかった。ただ、いまはそれを楽しんでいる。ちなみに、同書で紹介されている研究によると、年齢と自己認識には相関が全くないそうだ。

平成の間に自己啓発本が急増した。1989年には、年間ベストセラーランキングのトップ30の中でゼロだったのが、いまは3冊に1冊が自己啓発をテーマにしている。将来への不安感が高まっているのかもしれない。ソーシャルメディアでは「自己分析」や「自分語り」があふれている。にもかかわらず、僕らの自己認識のレベルは年々低下している。

一方で、他者が着々と自分に関するデータを蓄積して、自分以上に自分のことについて知るようになってきている。米国では、異性のカップルの出会いの手段は「友達経由」や「職場」が減少し、「オンライン」が急増して、カップル全体の2割を超えている。そして、自分のデータを分析したアルゴリズムの「オススメ」に従った方が、自分が判断するより、関係が長続きするという調査結果が出ている。

サピエンス全史』で21世紀を代表する知性となったハラリは『ホモ・デウス』の最終章で、ホモ・サピエンスは世界のかなりの部分をデータとアルゴリズムに明け渡すと予想する。人間が行なっている様々な判断はアルゴリズムが担うことになり、知能は意識から分離していくだろう、と。

ハラリはこんな問いで『ホモ・デウス』を締めくくっている。

”意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?”

一体、どうなるのだろう。「そのとき」は間もなくやってくる。

今年の6月、世界的な投資ファンドであるブラックストーンのシュワルツマン会長は、ケンブリッジ大学に約200億円の個人寄付をした。理由は、「人間とは何か」というのが21世紀最大の問いで、ケンブリッジは哲学や人文学で世界一であるから、ということだ。ケンブリッジ大学はこの寄付を元に、AIにおける倫理を研究するセンターを設立する。

「私」は幻覚なのか?

物理的存在にすぎない私たち人間に、なぜ<意識>が生まれるのだろう。AI時代において「人間とは何か」を考えるとき、この問いはとても重要だ。

ゲーデル、エッシャー、バッハ』を20代で世に出して世界に衝撃を与え、80年代のAIブームの火付け役となったホフスタッターは、『わたしは不思議の環』で、この問いに迫っていく。

人間が他の動植物と際立って異なるのは、抽象概念を持つことができることだ。例えば、子供が生まれるという現象から、「母」「父」「子」のような概念、ついで「両親」、さらに「愛情」「結婚」といったものまで、人間はどんどん高いレベルの概念をつくることができる。

その中でもっとも重要なのが「私」という概念だ。それは、様々な概念を「意識として束ねる」役割を担う。「私はお母さんが好き」というような形で、意識の責任者となる。そして「私」は何かをするたびにフィードバックを受けて、絶えず更新されていく。そのフィードバックのループが、本書のタイトルの「環」になる。

なぜ「不思議の環」なのかというと、「私」というループは物理的な脳があって成り立つのだけれど、一旦ループが出来ると、下位にあるニューロンなどの脳の働きに頼ることなく、成り立ってしまうからだ。まさに「我思う、ゆえに我あり」という自己言及の構造だ。

”奇妙どころではないかもしれません ー 幻覚によって幻覚を見ている幻覚こそが「私」だと言うのですから”

ただ、この幻覚には価値がある。高いレベルで複雑な概念を束ねる「私」があることで、技術や文明を発展させ、人間は生き残ってきたのだから。ちなみに、人間特有なのは、概念のレベルを際限なく高めていけることで、「私」という意識は他の動植物も持っている。

しかし、この先は人間の意識の価値は小さくなるかもしれない。ハラリの『ホモ・デウス』では、「私」という意識の価値を考えるために、運転手がいるタクシーと自動運転を比較する。運転手は、移動している間に「いろいろ考える」が、自動運転にはそのような意識の動きはない。運転手の意識の価値は何だろう。

亡くなった大切な人は、本当に心の中で生きている

ホフスタッターは、意識とは物理的な説明が不要な「自己言及するフィードバック・ループ」であるとした上で、さらにひとつ大胆な仮説を展開している。

「ひとつの魂はひとつの脳に、というのは自明ではない」というものだ。

同書から引用するとこうだ。

”人の意識は主としてある特定の人の脳に存在しているけれども、他の人々の脳にも存在していて、主たる脳が破壊されても、生存する他の人の脳にごく小さな断片が残る。(中略)また、外部にある記憶も一人の人間の記憶の一部を実際に担う”(第16章「何よりも深い謎に対するあがき」より)

つまり「私」という意識を産んだ肉体と脳の外部でも、「私」というフィードバック・ループは、「私」についての記憶を持っている人において成り立つということだ。オリジナルの脳ほど鮮明ではないけれど、他の人の脳で考えることができる、と言ってもいい。

なんということだろう。

ちなみに、第16章は、ホフスタッターが人生における喪失──若くして妻キャロルを失った中で、研究から希望を見出していく様子が書かれている。この章は特別なつくりになっている。それは、ホフスタッターが悲しみの中で、研究仲間のダニエル・C・デネットに数カ月にわたって送った当時のメール(35枚分)で構成されているからだ。

ダニエルは、ホフスタッターが展開するアイデアに意見や質問をぶつけることはなく、ただただ聞き役になっていて、この章ではダニエルの返信は一つを除いて載せられていない。それは、とても深く心に残る一文だ。

”あなたは今、その失意のヒバリ号で航海に出ている。それが、今のあなたがすべきことだから。あなたのこのたびの思索は、この愛しい地球の上で生命がもつ力と出会い、それを見極めようとする人の思索だ。いずれあなたは戻ってくる。回復には時間がかかるだろうが、落ち着きを取り戻し、元気になって戻ってくるだろう。わたしたちはみなあなたの帰りを待ち、この海岸であなたを出迎えるつもりだ。”

この章の最後に、「追記」という形で、妻が死んだショックから、手の込んだ知的な妄言を作り上げたと思う読者がいるかもしれない、と冷静に述べている。その上で、このアイデアは、何十年もかかって醸成されたものだと、過去の研究ノートなどを整理した上で振り返っている。

ホフスタッターによれば「ひとつの魂にひとつの脳」というのは「一つの円に一つの中心」というくらい、世の中では疑いようもないことで、いまは、古典的な理論(ひとつの魂にひとつの脳)を覆した量子力学理論(ひとつの魂にたくさんの脳)が確立する前夜のような、不安定な時期だと言っている。

近い将来、この仮説が正しいと分かったら、それはどのような意味があるのだろう。

意識のアップデートと分断のない世界

第18章「人間のアイデンティティのにじんだ光」では、先ほどの仮説から発展して、自分と他人の境界線が曖昧になっていくことが、様々な研究、エピソード、比喩をつかって説明される。例えば、近年急速に発展したVR(仮想現実)は、「私」が身体がある場所から離れても成り立つことを示唆している。

「私」が他の人の脳でも考えることができるのであれば、主客非分離の世界は不思議ではない。こうした感覚は、禅によって古くから知られているが、最近になって、ホフスタッターのような認知科学以外の、例えば現象学という哲学的なアプローチや、脳科学と現象学が結びついた神経現象学でも、同じ主題が探求されている。

この章の冒頭にある「わたしは他人を迎え入れ、他人に迎え入れられる」という見出しを眺めていて、最近体験したことを思い出した。

僕は、「コクリ!プロジェクト」という自己変容を起点にしたイノベーションコミュニティの運営を手伝っている。そこでの研究合宿の体験を思い出した。ワークショップのテーマは「わたしはあなたで、あなたはわたし」だった。

コクリ!プロジェクトでは「ストーリーテリング」という手法を通じて、自分と深くつながり、それを他の人とも共有する。この合宿のときは、さらに深く「自分が繰り返し見る夢」とその意味合いについて共有した。

<写真:繰り返し見る夢を書く著者>

まず、繰り返し見る夢を3コマで描く。そして、グループで夢のシーンを身体を使った寸劇で再現する。頭や言葉は出来るだけ使わずに、身体で感じるようにするのがポイントだ。僕の夢の場合、グループのメンバーに夢に出てくる「塀」や「街灯」になってもらった。

身体が感じるままにワークをし、そのまま夢の続きを表現する。思いもかけないシーンでワークは止まった。それを4コマ目に描いてみる。そして「(創造主のような存在があるとすると)どんな意図があって、この夢を自分に見せたのだろう」と考えてみる。するといろいろ感じること、見えることがある。それをグループで共有する。

合宿では、この深いところにある自分のストーリーや記憶の共有によって、「わたしは他人を迎え入れ、他人に迎え入れられる」ということが起こったように思う。ワークを一緒にしているメンバーが自分に乗り移って考えている。そのように感じたことが何度かあった。ただ、そのときは、それが意味するところをあまり深く考えていなかった。

そうか。こうやって、意識は自分の外に広がっていくのか。

近い将来に「あなたは僕の中で生きている」ということが比喩ではなくて、しっかりした事実として受け入れられるのだろう。「未来のあたりまえ」は、ワークショップなどで現在でも体験することができる。

さらに想像を広げると、ハラリが示した「データとアルゴリズムが、人間にとって代わる社会」とは少し違う、人間の意識がアップデート・拡張されて、自他の境目が曖昧になり、いま起こっている様々な分断──他人との分断や自然との分断が、溶けてなくなるような世界をつくることができるのかもしれない。

執筆者プロフィール:太田直樹 Naoki Ota
New Stories代表。地方都市を「生きたラボ」として、行政、企業、大学、ソーシャルビジネスが参加し、未来をプロトタイピングすることを企画・運営。 Code for Japan理事やコクリ!プロジェクトディレクターなど、社会イノベーションに関わる。 2015年1月から約3年間、総務大臣補佐官として、国の成長戦略であるSociety5.0の策定に従事。その前は、ボストンコンサルティングでアジアのテクノロジーグループを統括。

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