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越境の中で揺れ動くアイデンティティ(新元良一)

「新元良一のアメリカ通信」第1回
Crux: A Cross-Border Memoir ”(核心)
by Jean Guerrero(ジーン・ゲレロ)
2018年7月出版

不法移民への厳しい取り締まりが続く現在のアメリカで、家族の絆に国民の強い関心が集まっている。
中南米や南米から正規の手続きを経ずに越境し、経済的に豊かで、自由を手に入れられる異国に住み着く。やがて家族と暮らす生活は、その土地でしっかりと根を生やしていく。
だがある日突然当局の人間が現れ、平穏だった日々が一変する。滞在許可のない親は強制送還を強いられ、アメリカ生まれの子どもと別々になり、幸福に過ごしていた一家の日常は崩壊するーー。

こうした移民家族の離散に関する報道が、ニュース番組やネットを通じて広まると、大多数のアメリカ国民が過敏に反応した。「檻のような場所に幼い子どもたちが隔離される」という衝撃的なイメージも手伝い、人々は感情的とも言えるほど、現政権の不法移民に対する厳格な取り締まりや監視体制を非難した。

「過敏」や「感情的」と書いたが、考えてみれば、なぜそこまで親身になるのだろうか。移民政策の現況に反対するのは、当事者やその身内、ほかの移民の人たちが多い。だが一方で、白人のキリスト教徒といった、アメリカ社会の特権階級にいて、移民問題とは直接的に関わりを持たない人間も少なくない。
理由は様々だろうが、そのひとつに、個人の存在やその価値を揺るがすような時代背景が考えられる。テクノロジーの進展、経済のグローバル化、気候変動などにより、国際社会全体で情報、マネーの流出入が激化した。そしてこれは、人についても当てはまる。

つまり、以前なら「日本人とはこうだ」「アメリカ人とはこう定義される」と通り一辺倒で、表面的な概念で括られていたのが、もはやそれだけでは収まりきれなくなった。現代人を結びつける共通項は、人種や国籍、宗教に限らず、多岐にわたる思考や趣味の領域まで及び、SNSといった拡散方法が浸透したことで、距離を問題視せず、誰もが集結できる「トライブ(tribe=盟友)」の時代を我々は迎えている。

社会の各方面で越境が活発化する中で、「では、自分は一体何者で、どこに属するのか?」とそれぞれのアイデンティティが不確かになる傾向にあって、人々は不動となる拠りどころを求める。長い前置きになったが、それが時代の変化や国、文化の違いに関わりなく、「家族」という形態が注目される理由ではないだろうか。当事者でなく、トラブルが起こるのが遠い国境沿いであっても、肉親が非情にも分断される状況に、アメリカ国民は我が事のように心を痛める……そんな風に見える。

父の謎から浮かびあがる移民の苦悩

Crux(核心)』と題名がつく本作は、その家族と移民をテーマにしたノンフィクションである。著者のジーン・ゲレロは、中南米にルーツを持つ移民家庭で育ったエミー賞にも輝くジャーナリストで、自伝となるこの作品により、ペン・フージョン・エマージング・ライターズ賞(PEN/FUSION Emerging Writers Prize)という将来を嘱望される作家へ贈られる賞も手にした。

前述の通り、内容の中心となるのは家族だ。プエルトリコ出身のゲレロの母キャロライナは、若い頃から勉学に励み、移民したアメリカで医師を志し、勉学に勤しんだ。
アメリカとメキシコの国境近くを旅したキャロライナが、慣れぬ土地での車の運転に困っていると、ひとりのメキシコ人男性とめぐり合う。トラブルから彼女を救ったハンサムな男性が、後にゲラロの父となるマルコ・アントニオだが、まるで恋愛映画でも見ているようなロマンスも、二人が交際し、結婚に至って様々な問題が浮上してくる。

キャロライナを最も悩ませたのが、マルコの酒と薬物の問題だった。幼い頃から義父により虐待を受け、成人した後も、その義父の事業に関わったが不遇な時期を過ごすマルコは、こうした影響でアルコールとドラッグに溺れる。突飛な話を口にし、やがて家庭に寄りつかず、妻はもちろん、次第に二人の娘たちとも疎遠になっていく。

著者は、幼い時に可愛がってくれた父が、なぜ別人のように変貌したのか疑問を抱き、キャロライナやマルコの親族から直接話を聞く。しかし当人マルコは、自分はクスリのせいで幻覚症状に陥っているのでなく、アメリカ政府の諜報機関の陰謀によって、精神を錯乱されているという主張を繰り返す。

当初はキャロライナを始め周囲の話に同意し、著者も父の主張の信ぴょう性を疑った。だが深い愛情から、父が話すことは検証に値すると考え、同様の訴えをする人間へ連絡を取り、科学的根拠を揃えようと努める。自分の行動や思考にマルコの面影を見出すことで、父の存在をさらに確かめるため奔走する姿は、痛々しさすら感じる。

そして後半にかかったところで、父と成人した娘は彼の故郷メキシコへと出かけ、旅先でともに時間を過ごし語り合う。生涯で初めて親子の繋がりを深める絶好の機会だったが、些細なことで二人は仲違いし、父が先にアメリカへ戻った後、親族から崇められるマルコに関する話を聞かされ、著者は父という人間への理解をより一層深めていく。

ページを進めながら目を引くのが、独自性のあるストーリーテリングだ。自伝という形式の導入部分は、現在の部分はそこそこに、著者自身やその家族の人生を振り返り、悲喜交々の経験を記す場合が多い。
ところが本書では、著者や母であるキャロライナなどの家族の過去は前半部分に紹介しつつも、著者と並び、もうひとりの主人公とも言えるマルコについては、ベールで包むように生き様の全容を明らかにしない。その結果、娘が父の謎を追跡するのと平行し、読む我々もまたマルコへの関心を高めていく。

秀逸なストーリー構成は、移民たちへの関心が高まるもうひとつの要因を示しているかのようだ。ニュース報道で伝えられるものは“情報”にしか過ぎず、“彼ら自身が語るドラマこそが真実である”という人々が寄せる期待に、本書は十分に応えている。

執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto
1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。

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