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レオナルド・ダ・ヴィンチはジョブズのように「イノベーティブ」だった

担当編集者が語る!注目翻訳書 第25回
レオナルド・ダ・ヴィンチ
著:ウォルター・アイザックソン  訳:土方 奈美
文藝春秋 2019年3月出版

世界的ベストセラーである評伝『スティーブ・ジョブズ 』を手掛けたウォルター・アイザックソン。イノベーティブな天才を描かせたら右に出る者がいない彼が、次なる執筆対象として選んだ大物が、レオナルド・ダ・ヴィンチである。

レオナルドといえば、『モナ・リザ』『最後の晩餐』でもお馴染みの、ルネサンス期に活躍した稀代の天才芸術家。その思考と人生に迫るため、彼が遺した7200頁にも及ぶ自筆メモすべてに目を通して執筆した、というのが本書の特徴となっている。

ちなみにこの自筆メモ、消失分も含めると実際はその4倍ほどの分量だったらしい。そう、実はレオナルドは恐るべきメモ魔だったのだ。左利きで、鏡文字。工房では大判ノートを使ったが、街を歩くときには(すぐメモできるよう)腰ベルトに小さなノートを提げていた。ひとたび目にしたら忘れられない独特な筆跡で描かれたのは、数学の計算式、鳥、飛行装置、水の渦巻き、血管、グロテスクな頭部、天使、サイホン、植物の茎、ノコリギで切断した頭蓋骨、絵を描くためのちょっとしたコツ、目と光学に関するメモ、兵器、寓話など、その他あらゆること(!)。
「やることリスト」というのも興味深い。「ミラノとその郊外の測量値」「算術の専門家に三角形から四角形を切り出す方法を教えてもらう」「キツツキの舌を描写せよ」「毎週土曜日には風呂に行き、裸の男たちを見ること」など延々と続く。この貪欲なまでの好奇心には圧倒されてしまう(今回、小社資材部より、なぜか「通常価格のまま全編オールカラー・全144点の図版を収録してよい」というありえない許可が下りたのも、ひとえに自筆メモの異様なパワーのお陰と感謝している)。

芸術と科学を結んだ「イノベーション型」の天才

第一章の章タイトルは、「絵も描けます」(「が」ではなく「も」なのだ)。レオナルドは、絵だけ描いていたわけではない。科学者、軍事顧問、舞台演出家など様々な顔を持ち、光学、幾何学、解剖学など多方面のジャンルに通じていた。すなわちジョブズと同じく、「芸術(アート)」と「科学(サイエンス)」を結び「創造性(クリエイティビティ)」を生み出した、いわば点と点を結ぶタイプの芸術家だったのだ。それゆえ有名画家という範疇を超えて、人類史上に残る天才となりえた、というのが本書の見立てである。これぞサイエンスに理解のあるアイザックソンならではの視点、思わずうれしくなってしまう。

あちこちに「ドットを打つ」べく、いろいろな分野へと首と突っ込むレオナルド。だがそれは、一方では気が散りやすいとも言える(現代ならば、医者に診断され薬を処方されていただろう、とアイザックソンは書いている)。また、「万能人」という通説的なイメージを裏切り、幾何学は得意だけれども代数は苦手など、それなりに得手不得手のあるタイプだったことが明かされる。

いずれにせよこの類稀なる才能を、想像を絶する努力のもと自覚的に磨き上げてゆく過程は、自筆メモや手紙からつぶさに伝わってくる。そして、自らの環境を整えるべく、その時々に最適なパトロンを探して、抗争状態にあった各都市を生涯にわたり移動した。たとえば、短期間だがチェーザレ・ボルジアのもとで軍事顧問として仕え、マキャベリとともに国家的プロジェクトに取り組んだ。またある時には、お金持ちだがセンスの悪い困ったクライアントに対して、適当な理由をつけてやり過ごすこともあった。

本書にはレオナルドの人間的な側面も描かれている。もともと息を飲むほどの美少年であり、大人になってからは美少年の恋人に振り回されることを苦しみ、楽しんだ。ローズ色のガウンで街を歩く姿は、優美そのもの。社交的で、常に誰かに囲まれている人気者だった。しかし、若い頃にはうつ状態になったこともあり、作品を完成できない自分に落ち込み、「教えてくれ、今までにやり遂げた仕事はあるのか」という心の闇からの叫びもメモには残されている。だが、あれこれ探求すること自体は悪いことではない。

レオナルドのキャリアの起点となった15世紀後半のフィレンツェは、複式簿記の採用で商業が栄え、識字率も高く、優れた職人が大勢おり、メディチ家の庇護のもとクリエイティブな環境にあった。さらに、活版印刷技術が伝わり、大航海時代をも迎えようとしていた。その様子は、テクノロジーによる激動が起きている今の時代にも通じる。IT革命により情報や知のあり方が変わり、宇宙開発時代を迎え、人間の定義が問われる現代と同じく、ジャンル横断的なタイプの天才こそが、偉大なことを成し遂げられる時代だったからだ。

科学的に明かされる『モナ・リザ』の秘密

そんな彼の生涯における集大成ともいうべき作品が、『モナ・リザ』である。

「画家は優れた解剖学者でなくてはならない」との信念を持っていたレオナルド。筋肉、骨格、腱、神経、骨の構造を探り、心と体の合流点はあるのかとの問いを抱え、幾つもの死体を切り刻んだ。五十代半ばになって画家としての名声を既に手にしてもなお、解剖学への情熱はさらに強まり、夜な夜な美しく身支度を整えて自宅近くの病院へ向かった。そして、時間の経過とともに強まる凄まじい腐乱臭のなか、見事な手さばきでメスをふるい、アーティスティックで精巧な解剖図を数多く残した(才能あふれるレオナルドらしく、ついでに動脈硬化の仕組みも発見した)。これら解剖ノートの端っこには、モナリザの微笑みの原型ともいうべき、かそけき唇のスケッチが、ちょこんと残されている。

この唇のスケッチに込められた、脳を通じて感情がどのように表情へと現れるかというテーマのみならず、生涯をかけて探求したノート数千ページ分の探求の成果が、モナリザには込められている。すなわち、曲面にあたる光線、一定の面積・体積を持つ幾何学図形の変形、激しい水の流れ、地球と人体のアナロジーなどだ。

永遠の謎とされる微笑についても明かされている。われわれがモナリザを見ると、なぜかモナリザから見つめられた気分になり(「モナリザ効果」と呼ばれている)、しかも微笑が揺れ動いているように感じる。この現象については、ハーバード大学医学部の神経学者による分析とともに解説がなされている。それによると、どうやらレオナルドは、モナリザの唇の横にある仕掛けをこっそりと施していたのだ。

私自身、幼い頃にモナリザから目が離せなくなり、それは眉がないからかも、などとあれこれ不思議に思っていたことがあった(注・本書によると、眉はもともとはあったそう)。その秘密が、美術評論というより科学によって解明されたという事実に衝撃を受けた。レオナルドは、科学が進歩しアイザックソンが現れるまで500年ものあいだ、自らの制作意図が読み解かれるのを、ひたすら待ち続けていたということなのか。

ビル・ゲイツは「今までたくさんのダ・ヴィンチ本を読んできたが、彼の人生と作品をここまで多面的に描いたのは本書だけだ」と絶賛している。レオナルドは芸術と科学を結び、イノベーションを起こした。それを解き明かした本書もまた、読書前後では世界観がガラリと変わるほどにイノベーティブな一冊なのである。

執筆者:衣川理花(文藝春秋 翻訳出版部)


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