台湾

越境した「孤独死」――届かなかったSOS (倉本知明)

翻訳者自らが語る! おすすめ翻訳書の魅力 第2回
生之靜物
王聰威 2016年11月出版
ここにいる
著:王聡威 訳:倉本知明
白水社、2018年8月16日発売

新聞の三面記事を熱心に読み込み、それを創作の糧にしていたドストエフスキーがそうであったように、新聞記事の余白には文学が介入する余地が大きい。そして、一旦それが文学の形に落とし込まれれば、『罪と罰』におけるラスコーリニコフの犯罪が19世紀のロシア社会を理解する手がかりとなるように、個人的な体験であったはずの事件はしばしばその時代を象徴する出来事となっていく。では、現代を象徴する事件とはいったい何だろうか? オレオレ詐欺か、セクハラか? それとも、動機なき通り魔殺人?

台湾の実力派作家、王聡威の描いた『ここにいる』は、2013年に大阪で実際に起こった「母子餓死事件」をモチーフに、現代社会の孤独の問題に焦点を当てた長篇小説だ。28歳の母親が夫の暴力が原因で幼い息子を連れて家出した後、誰に頼ることもなく大阪市内のマンションで餓死するなど、事件は当初から不可解さに満ちていた。マスコミは事件を日本の「無縁社会」を象徴する出来事として報道したが、その余波は遠く台湾まで及び、当時偶然事件に関心を持ったひとりの台湾人作家の手によって、その謎に満ちた余白が埋められていったのだった。

王聡威は台湾を代表する文芸雑誌「聯合文学」の敏腕編集長で、幅広い創作手法を駆使することに定評がある作家である。日本で起こった孤独死の問題を描くにあたって、彼は「Twitterを使って小説を執筆した」と述べているが、SNSの発信文のような短い文章をいくつも組み合わせ、作品全体を異なる個人の「つぶやき」の組み合わせのような構造にすることによって、餓死した女性の孤独を多角的に浮かび上がらせている。
個々人の「つぶやき」によって進行する物語は、同時に個人の主観によって描き出された真実であって、客観的な目撃者のいない「藪の中」にある。物語では舞台を大阪から台北へと書き換え、孤独死した女性を「美君(メイジュン)」という名の30代の平凡な台湾人女性に置き換えることで、女性の抱えた孤独を日本社会固有の問題ではなく、時代的な問題として捉え直している。

実際、孤独死の問題を日本特有の問題と考えるのは間違いだろう。従来日本社会特有の現象であるとされた孤独死をめぐる問題は、血縁とそれに基づいた「宗族関係」が人間関係の基礎となってきた華人社会においても、確実に起こりつつある。日本で同様の事件が起こる度、台湾の新聞メディアはセンセーショナルにその凄惨さを報道しているが、そこからはむしろ彼ら自身の潜在的な危機感が感じ取れる。

SNSが加速させる“現代の孤独”の複雑さ

夫の暴力が原因で家を飛び出した美君は、両親との折り合いも悪く、また社内でも孤立したお局さまとして描かれ、台湾の社会に網の目のように広がる「社区」と呼ばれるコミュニティにおいても家庭と同じように居場所を見つけることができずにいる。糸の切れた凧のように都市空間を漂い続ける美君は、自身が「ここにいる」ことをそっと周囲に伝え続けるが、最終的に誰にも見つけられる(気にかけられる)ことなく、幼い娘とともに命を落とす。

現代における孤独が複雑な点は、人々が物理的に社会から隔離され、他者との接触が許されていないわけではなく、SNSなどを通じて人間関係はむしろ即時的で広範に及びながらも、そうした現実世界や仮想上でのつながりが決して孤独を癒すツールとはならないどころか、むしろ孤独を加速させる原因となっていることにある。本書における美君がまさにそうであったように、ほんのわずかのアクションを起こせば助かる位置にいながら、彼らは他者に助けを求めることを過剰に恥じ、自らそのつながりを断ち切ってしまうところに現代の孤独が持つ複雑さがある。

他者へのSOSを“恥”だと感じるこうした感情は、作品では美君の自意識と承認欲求の高さによって説明されている。「他人からこう見られたい」「こんな自分でありたい」といった承認欲求と、家庭からも職場からも逃亡せざるを得なくなった現状とのギャップに過剰なまでに羞恥心を覚える美君の自意識は、ある意味で現代人全般に共通する感覚である(私も定職につけずにいた20代、卑小な自尊心から両親や友人たちに合わせる顔がなかった)。

一方、こうした承認欲求が台湾社会が戒厳令の解除によって急速に民主化され、いわゆる「台湾意識」を向上させていた時期と見事に重なり合っている点も考慮する必要がある。主人公は作者である王聡威とほぼ同時代を生きた人物として設定されているが、1972年生まれの王聡威が小学校に上がった頃、故郷の高雄では民主化運動家たちが国民党政府に弾圧・逮捕された美麗島事件(1979年)が発生、高校時代には戒厳令が解除(1987年)され、大学時代には国民党独裁体制を支えた国民大会の解散を求めた野百合学生運動(1990年)が起こるなど、その青春時代は民主化闘争の真っ只中にあった。
美君の感じる孤独とは、他者の視線のなかで承認欲求を求めるすべての人々に共通する悲劇であると同時に、社会全体が台湾意識といった新たな自己認識を築き上げようとしていた時代に対する、一種のアンチテーゼにもなっている。

ちぐはぐな日常に潜む「悲劇」の所以

暗い孤独に身を浸す美君の「つぶやき」は、断片的で一貫性を欠いている上に、「つぶやき」に幾重にも重なっていく反り合わない「私」たちの証言が、美君と他者との間に広がる距離を余計に広めている。本作はまさに、こうしたちぐはぐな「私」たちの証言によって美君の生きていた日常をテクストにおいて再現しようとしている。そういった日常の再現の中にこそ、若く健康な母子がなぜ、自ら他者とのつながりを断ち切って死を選んだのかといった事件への答えが隠されている。


執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学助理教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)がある。

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