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かつて日本人だった少年たちがたどった「戦後」(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第4回
睡眠的航線』(眠りの航路)著:呉明益 2007年出版

戦時中、兵士として戦場で美しく散華することを夢想していた三島由紀夫は、従来の虚弱体質がたたって、入営検査で気管支炎を肺浸潤と誤診されてしまい、敗戦当時は神奈川県高座郡にあった海軍工廠(軍需工場)で勤労動員されていた。彼は当時の様子をその自伝的小説『仮面の告白』において次のように描写している。

私は図書館係と穴掘り作業に従事していた。部品工場を疎開するための大きな横穴壕を、台湾人の少年工たちと一緒に掘るのであった。この十二三歳の小悪魔どもは私にとってこの上ない友だった。かれらは私に台湾語を教え、私は彼らにお伽噺をきかせてやった。

三島由紀夫に台湾語を教えていた「この十二三歳の小悪魔ども」とは、昭和18年から敗戦に至るまでに、台湾全島から海を越えて高座海軍工廠に派遣されていた8400人にも上る台湾人少年工たちを指している。第二次大戦時中、国内の深刻な労働力不足に直面した日本政府は、植民地における労働力を内地に転用する方針を採っていたが、そこで目をつけたのが当時日本の植民地であった台湾の少年たちだった。高座海軍工廠で働けば「半読半工」で上級学校卒業の証明書を得られ、将来は航空技師への道も開かれるといった日本政府の宣伝を信じて、平均年齢14、15歳の子供たちが次々と日本へと渡っていったのだった。

日本の勝利を信じていた少年工たちは、B29を撃墜する新式戦闘機「雷電」の製造に携わったが、戦後は皮肉にも「戦勝国民」の身分で「祖国」に復帰した台湾へ帰郷することになる。しかし、日本の戦争に協力した少年工たちの多くは、戦後戒厳令が敷かれた台湾では「漢奸(民族的裏切り者)」と見なされ、苦難の日々を送ることになってしまった。

こうした忘れられた歴史の一端にスポットを当てたのが、呉明益の長篇小説『睡眠的航線(眠りの航路)』だ。現代台湾を代表する作家である呉明益の作品は、すでに日本でもいくつか邦訳が出版されている。1980年代初頭の台北・中華商場を舞台とした短篇小説集『歩道橋の魔術師』や、激動の台湾百年史を一台の自転車をめぐる記憶に凝縮した長篇小説『自転車泥棒』など、呉明益は歴史とファンタジーを融合させたユニークな作品を次々と発表してきた。その作品は日本のみならず、フランスや英国などでも翻訳が出され、前述した『自転車泥棒』は英国ブッカー賞にもノミネートされたことで話題となった。

眠れぬ夜に浮かびあがる「父」の記憶

物語は台湾人少年工の三郎とその息子である「僕」を軸に進んでいく。台北で暮らすフリーライターの「僕」は、ある日自身の睡眠状態に異常が起きていることに気づくが、やがてその意識は米軍の空襲に怯えながら日本軍の戦闘機製造に携わっていた三郎の人生と交差していく。コントロールできなくなってしまった睡眠の原因を探るために、「僕」は遠く日本にまで足を運ぶが、初めて訪れた日本の地で生涯寡黙がちであった父が生涯語ることのなかった過去を追憶することになる。

睡眠的航線』は、いわば歴史が生み出した瑣末な記憶(あるいは傷跡)の欠片が夢となって、異なる価値観のなかで生きてきた父子を結びつけていく様子が描かれている。夢のなかに浮かび上がる三郎の記憶は、戦後台湾社会では語ることがはばかられて来た歴史の裏側、あるいは正史のなかに居場所を失ってしまった人々の記憶が照射する過去の断片である。そのために、物語には日本軍の捕虜となったB29の搭乗員など、日本や台湾とは異なる立場にある人間たちの視点だけでなく、カメや観音菩薩といった人間ならざる者たちの視点まで挿入されている。

夢を通じて父子の間に広がる巨大なギャップを埋めていく『睡眠的航線』は、そうした正史からは零れたオルタナティブな歴史を語る作品である。その上で、被害者や加害者といった枠組みを越えて、戦争を直接体験したことのない現代の読者たちが、その悲惨な記憶を所属する集団へのアイデンティティに取り込まれることなく、共有できるのかを問うた作品といえる。戦争の加害を語るにせよ被害を語るにせよ、それが日本人や中国人、台湾人といった「我々」の物語として認知された瞬間、それは戦争を継続するメカニズムに加担することになるのかもしれない。

語られなかった戦争体験と行き場を失った帰属意識

それでは、被害者とも加害者とも言い切れない三郎たち台湾人少年工たちにとって、あの戦争はいったい何だったのだろう? 玉音放送が流れたその日、三郎は「平岡君」と呼ばれる勤労動員された東京帝大の学生と言葉を交わしている。少年工たちに日本の怪奇談やギリシア神話を語って聞かせていた平岡君は、物語において台湾人少年工を「この上ない友」と呼んでいた三島由紀夫を思わせる人物として登場している(三島由紀夫の本名は平岡公威)。三郎は「なぜ我々は米国に負けたのか」と平岡君に尋ねるが、彼はただ天皇の神聖さを語ることでそれに応えようとする。しかし、すでに「我々」の一員から切り離された三郎にとって、その神聖さはすでに意味を失ってしまっているのだ。

失意のただなかにある平岡君は、三島由紀夫が敗戦時に実際に執筆していたとされる短篇小説「岬にての物語」の内容を三郎に語って聞かせる。生き残ってしまった戸惑いを語ることによって解消しようとした平岡君に対して、天皇から見捨てられ、日本人ですらなくなってしまったことで、語ることも禁じられてしまった三郎は、戦後の台湾社会でただ寡黙に生きていくしかない(三郎たち少年工は自己表現手段としての日本語すら奪われることになる)。

かつての「十二三歳の小悪魔ども」もいまでは平均年齢が90歳前後になって、その多くが鬼籍に入っている。かつて日本人だった「彼ら」の人生は決して「我々」の物語に回収されることなく、異なる解釈をもつ正史の間をいまも漂流し続けている。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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