人は相反する考え方をどこまで受容できるのか(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第4回
Uncensored”(無修正)
by Zachary R. Wood(ザカリー・R・ウッド)
2018年6月出版

すごい本を読んでしまった。

Uncensored』を読み終わった直後、私は思わずFacebookにそう投稿しました。
たいした思い入れがあって手に取った本ではありません。私が加入しているブッククラブ(※)から送られて来たのです。これまでブッククラブから受け取った本も、私の好みに合うものばかりとは限らなかったので、本書もさほど期待せず、ぱらっと内容を確認するくらいのつもりで開きました。ところがどっこい、通勤中、昼休み、そしてお風呂の中でも読み続けてしまうほど、夢中になっていました。
(※Next Big Idea Club 。アメリカのビジネス書のベストセラー作家であるダニエル・ピンク、アダム・グラント、スーザン・ケイン、マルコム・グラッドウェルの4人が主宰している)

本書の著者のザカリー・ウッドさんは、アメリカのリベラルアーツ教育のトップ校であるウィリアムス大学を今年卒業したばかりの、アフリカ系アメリカ人の青年です。本書は、ウッドさんが大学に在学中、敢えて白人至上主義者や女性差別を支持する学者を講演に招き、物議を醸しだした件を振り返るところから始まります。極端な思想をもつ講演者を迎えることを問題視する学生たちが、学内で反対運動を展開し、最終的に学長が講演にストップをかけました。
白人至上主義も、女性差別も、ウッドさん個人の考えとは全く相容れません。それなのになぜ彼は、このような講演を企画したのでしょうか。それは、自分の主義主張と真っ向から対立する考えの持ち主と頑張って対話することで、言わば「敵を知り」自分の考えを洗練させるべきだと考えたから。この件は、大学の言論の自由はどこまで奨励され、許容されるのか、という議論を巻き起こし、アメリカのメディアで活発に取り上げられました。
ウッドさん自身、執筆した論考がワシントン・ポスト紙ウォールストリートジャーナル紙に掲載され、アメリカ議会の上院司法委員会で証言し、TEDでも講演しました。
注目を集める中で、ウッドさんがいつも受ける質問は「あなたの一貫したその姿勢はどこから来るのか」。その質問に答えるため、彼は、自分の生い立ちについて本書を執筆したのです。

“ハードモード”な境遇から培われた俯瞰力と共感性

ウッドさんの経歴を表面的に眺めると、裕福ではないが教育熱心な親のもと、奨学金を得て小学校から私立の進学校に通った。高校ではちょっとしたトラブルが原因で退学したものの、通信制高校を卒業して名門大学に見事入学……という感じです。これだけ読めば、まあ、恵まれた家庭の優秀なおぼっちゃまね、と思うじゃないですか。
ところが、現実は全く異なります。

・母子家庭で、母に精神的に虐待される。後に母は統合失調症であることが判明。
・高校に入る頃に児童相談所が介入し、母と暮らしてきたデトロイトから、ワシントンDCの父親の家庭に移る。
・父は大卒で経理の仕事をするホワイトカラーでありながら、様々な事情が重なって経済的に困窮。
・彼は、雨漏りのする家で、洗濯機もなく、制服を毎晩手洗いする生活。同級生たちは、10ベッドルームの豪邸でお手伝いさんや運転手さんに囲まれて暮らしている。
・同級生は白人。お手伝いさんは黒人。彼も、黒人。
・通学は片道2時間半。住まいはDCの中で最も治安の悪い地区。学校はDC郊外の最も裕福な地区。それぞれの世界で通用するよう、毎日モードチェンジしないと身の危険が迫る。

ウッドさんの母は精神疾患の影響で感情の起伏が異常に激しかったため、彼は幼い頃から、母の気分を常に読み取り、地雷を踏まないように気を張って暮らしていました。ウッドさんは思春期を迎えて徐々に母の異常さに気づき、とうとう学校のカウンセラーに相談。それがきっかけで児童相談所が介入することになったのです。
その一方で、ウッドさんが小学校4年生で奨学金を得て私立校に進学できたのは、母の慧眼と決断、そして交渉力があったおかげです。ウッドさんの母は知性が高く教育熱心でした。裕福な白人の子たちばかりの学校の中でもうまくやっていけたのは、母がそうした環境における正しい言葉遣い、礼儀作法、身だしなみなどを徹底的にしつけてくれたからです。
ウッドさんにとって、母は生きる道を切り開いてくれ、力を授けてくれた偉大な存在であり、同時に幼い頃から自分を苦しめ、混乱させた存在でもありました。
感謝と、恐怖と、嫌悪感。母に対して非常に複雑な感情を抱きながらも、ウッドさんは、自分の置かれた状況を俯瞰する力と、母への共感を高めることで、葛藤を乗り越えようとしている。そのことが本書を通して伝わってきます。

なぜ彼は「非の打ち所がない子」でなければならなかったのか

ウッドさんは、学校では勉強もスポーツも友達づきあいも素晴らしい「非の打ち所がない」子でした。それは、彼がもともと知的好奇心がとても旺盛だったということ以上に、母の病状の影響で家庭が不安定だったため、学校が彼にとって唯一の「ポジティブな場」だったからです。
学校は、毎日安定してそこにある。学校は、自分の努力が報われ、周りの大人に認められ、友人たちから信頼を得られる唯一の場所。ウッドさんは小4で転校してから、学校で学ぶことが本当に楽しいと心から感じ、自分のエネルギーのすべてを学校生活に注ぎ込んだと書いています。

ウッドさんが優秀な生徒であらねばならない切実な理由が、もう一つありました。それは、人種と経済力の問題です。彼は、裕福な白人家庭の子弟ばかりの私立校に、奨学金を得て通う中流家庭(ワシントンDCに移ってからは貧困家庭)の黒人生徒でした。黒人に対する差別意識がぬぐえない人々に囲まれていますから、普通ならお目こぼしのあるようなちょっとしたミスでも、彼がやってしまうと厳しく糾弾されるでしょう。「非の打ちどころがない」子であり続けなければ、奨学金が途切れてしまうかもしれない。そんなことで良い学校に通えなくなったら、毎日の希望を失い、未来の展望も閉ざされてしまうーー。なんとしてもよい勉強環境を自分で確保しなければ、と必死でした。

一方で、地元では全く異なる緊張感が待ち構えています。ウッドさんが暮らしたワシントンDCの地区は非常に治安が悪く、バス停でも車内でも、飲酒や薬物摂取で挙動がおかしくなっている人とも乗り合わせ、いつ絡まれるか分からない日常でした。学校にいるのとは全く異なる振る舞いをしないと、身の危険が迫る。朝に夕に、危険地区のサバイバルモードと、恵まれた進学校の優等生モードを切り替えていました。

このように、ウッドさんは、自分には理解できないような異なる考えや態度を、頑張って理解し受容する力をつけることでのみ、生き抜いてきたのです。
ウッドさんが高校3年生になった新学期。彼は友人に相談され、つい、「君の志望大学の教授を紹介できるよ」と言ってしまいます。ウッドさんはその教授と面識はあるものの、そこまで親しい関係ではありませんでした。いいところを見せたいと思うあまり、ウッドさんはその教授名でメールアカウントをつくり、教授になりすました偽のメールを書いて友人に送ってしまったのです。数週間後、偽メールのことが学校側にばれてしまいました。ウッドさんは校長から、学校の倫理委員会にかけられるか、自主退学するかを迫られました。倫理委員会にかけられると停学などの処分の可能性があり、そうなったら奨学金が途切れるかもしれませんし、大学の入学審査にも悪影響が及ぶでしょう。自主退学すれば処分歴は残りませんが、彼にとって唯一のまともな社会的居場所である学校に行けなくなってしまう。彼には、この悩みを相談できる相手はまったくなく、一人で考え抜き、最終的に自主退学を選んだのでした。

知性や教養、礼儀は彼の「生き抜く術」だった

冒頭で紹介したように、ウッドさんは大学で「自分の主義主張と真っ向から対立する考えの持ち主と頑張って対話する」ことで、自分の考えを洗練させていくんだ、と行動を起こしました。その原動力は、人生をかけて獲得した、彼の生き様そのものなのです。彼にとっては知性も教養も礼儀も、文字通り、身を守り生き抜くための術でした。恵まれた環境にある者同士が、自分を優位に見せるための“アクセサリー”として教養とかマナーを語るのとは、別次元の迫力があります。

ウッドさんの祖父は児童心理の専門家、祖母は教師、母は修士、父も大卒、本人は進学校で一流の教育を受けています。読者である私と知的環境が近しいだけに、ちょっとした失敗が命取りになる彼の環境と、「失敗から学ぼう」なんて呑気に言っている自分の環境の落差に、愕然としました。私はなんと恵まれているのでしょうか。

ウッドさんご本人の最近の対談動画を見ましたが、慎重に言葉を選び、相手の感じ方や考え方が自分と違うであろうことに配慮しながら、そのうえで自論を物静かに語る様子が印象的でした。「静かにタフ」というのでしょうか、猛々しさのようなものは感じません。小説や詩を読むのも好きだと語っていました。

本書の日本語訳がぜひ出版されることを願っています。出版されたら、ウッドさんと同時代を生きる、私の子どもたちに読ませたいです。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
(株)ほぼ日取締役CFO。小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。


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