川上純子さん

「失われた20年」からの脱却を阻んでいたのは「ジェンダーギャップ」だった(川上純子)

翻訳者自らが語る! おすすめ翻訳書の魅力 第9回
日本の未来は女性が決める!』 著:ビル・エモット 訳: 川上 純子
日本経済新聞出版社 2019年6月20日発売

社会・経済の分析から見えてきた、日本経済低迷の「真の原因」

ビル・エモットといえば英国エコノミスト誌の元・名編集長にして国際政治・経済のビジョナリーとして知られる世界的ジャーナリストです。その彼の最新作のテーマが「日本の女性」だと知り、意外に思った人は少なくないのではないでしょうか。マクロ政治・経済を得意分野とする著者が、今回なぜ日本の女性というテーマをとりあげたのか。それは、著者がさまざまな資料や統計をもとに考察と分析を重ねた結果、女性の社会進出を阻む日本社会の現状こそが、「失われた20年」と呼ばれる日本経済低迷の根本的原因だと気づいたからでした。

少子高齢化による労働力不足は日本の生産力の低下をもたらしました。しかし、少子高齢化に直面している先進国は日本だけではありません。なぜ日本だけがこれほど労働力不足に苦しんでいるのか? その理由をつきとめるべく、著者が統計や資料を丹念に分析して見えてきたのは、他国にはみられない特異な事情、すなわち、人口の半分を占める女性という「人的資本」を活用できていないという実態でした。

ロールモデルが示す「女性がリーダーになるために必要なこと」

日本がジェンダーギャップの大きい国、つまり女性が生きにくい国であることは、世界経済フォーラムによるジェンダーギャップ指数ランキングが110位(2018年)であることからも明らかです。これは先進国としてはありえない低さです。 

しかし、同時に著者は、そんな状況が変わりつつある兆しも指摘します。それは、男性と同じレベルの学歴を持つ女性の数が、ある世代を境目にはっきりと増えているという事実です。それがどの世代なのかについてはぜひ本書をお読みいただきたいと思いますが、彼女たちが社会を支える力を発揮するためには、男性がそうであるように、リーダーの素質がある人を真のリーダーとして育成していく必要があります。

そこで、女性リーダーの育成に必要な取り組みを探るため、著者は日本社会においてすでにリーダーになっている女性たちにインタビューしていきます。著者にとって彼女たちは、日本における女性の社会進出を考察するケーススタディの対象であるだけでなく、これから活躍すべき世代の女性たちのロールモデルとなる存在です。取り上げられているのは以下の方々です。

馬場加奈子さん(学生服リユース「さくらや」を起業)
石坂典子さん(産廃処理会社「石坂産業」を経営)
及川秀子さん(「オイカワデニム」を起業・経営)
河野奈保さん(「楽天」執行役員)
樋口宏江さん(「志摩観光ホテルグループ」総料理長)
寺田千代乃さん(「アート引越センター」を起業・経営)
厚子東光フィッシュさん(女性リーダー育成支援団体JWLIを運営)
林千晶さん(「ロフトワーク」を起業・経営)
御手洗瑞子さん(「気仙沼ニッティング」を起業・経営)
中村紀子さん(「ポピンズ」を起業・経営)
小池百合子さん(東京都知事)
国谷裕子さん(ジャーナリスト)
林文子さん(横浜市長)
篠田桃紅さん(アーティスト)
西本智実さん(指揮者)
河瀨直美さん(映画監督)
三好真理さん(外交官・アイルランド大使)
長有紀枝さん(国際NGO代表、政治学者/立教大学教授)
黒田玲子さん(生物物理学者・東京理科大学教授)
河合江里子さん(国際機関勤務を経て京都大学教授)
小川理子さん(「パナソニック」役員)

起業家、経営者、政治家、外交官、ニュースキャスター、知事、アーティスト、映画監督、指揮者など職業はさまざまですが、共通しているのは「自分の力で道を切り開いてきた人たち」だということ。それぞれのスタイルで強い意志とリーダーシップを発揮している「本物のロールモデル」の方々を探し出しているところに、著者のジャーナリストとしての目の確かさを感じます。

愛知県の意外な「先進的試み」

もう一つ、私が驚いたのが、愛知県で始まっている取り組みです。一般的に愛知県は男尊女卑的傾向が強い土地柄と言われています。 例えば、8月に開幕する「あいちトリエンナーレ」では、芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さんが「ジェンダー平等」をテーマに掲げて話題を呼んでいますが、その津田さんがツイッターで「愛知県は強烈な男尊女卑社会だと思うので、ここでジェンダー平等を達成することに大きな意味があると思っています」とつぶやいていました。

実は私自身、名古屋の郊外に育ち、80年代に東京の四大へ進学することが決まったときには、地元の知り合いに「なんて無駄なことを。女の子は地元の短大で充分なのに」と言われました。当時は確かに「女子は早く嫁に行くのが幸せ」という空気が強くありました。

ところが、著者の取材によれば、そんな愛知県で今、名古屋大学が中心となり、地元の中学校や高校も巻き込んだ、全国でも先進的な女性研究者支援モデル育成事業が展開されているのです。詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいですが、5年、10年後には大きな変化を生み出しうる、地道な取り組みが進んでいます。このことからも、著者がこの国の変化の兆しを丹念に拾って取材していることがわかると思います。

男女の両方を幸せにする「ヒューマノミクス」実現のための10の提案

もうすぐ、かつてないほど多くの女性たちが社会に進出し、これまでにない活躍をする時代がやってきます。いや、やってこなければ日本に未来はありません。そのために日本社会が変わるべき/変えるべきことは何か? その処方箋として著者が示すのが「ヒューマノミクス」、つまり「人間らしく豊かな生き方と両立できる経済」です。保育所問題などすでに顕在化している問題はもちろん、非正規雇用、教育、企業の人事施策など、多面的かつ具体的な10の提案を行っています。

男女のどちらかが抑圧されたり割りを食ったりする社会は、結局のところ男女双方にとって幸せな社会にはならないはず。女性が活躍する社会は、男性にとっても生きやすい社会をもたらすはずだと確信させてくれる内容です。

執筆者プロフィール:川上純子 Junko Kawakami
津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業後、出版社勤務を経て、シカゴ大学大学院人文学科修士課程修了。フリーランスで翻訳・編集の仕事に携わる。訳書にコリー・オルセン『トールキンの「ホビット」を探して』(角川学芸出版)、アル・ライズ&ジャック・トラウト『ポジショニング戦略』(海と月社) ほか多数。ビル・エモット&ピーター・タスカ『日本の選択』の編集を担当して以来エモット氏と交流があり、今回の著書『日本の未来は女性が決める!』の翻訳を担当した。

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