見出し画像

他人を信じてしまいがちな私たちが、知っておくべき理論とは(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第18回
"Talking to Strangers: What We Should Know about the People We Don't Know"
(他人との会話:見知らぬ人について私たちが知っておくべきこと)
by Malcolm Gladwell(マルコム・グラッドウェル) 2019年9月出版
*日本語版は2020年4月刊行予定 光文社

マルコム・グラッドウェルは、現代の米国を代表するジャーナリストのひとりだ。

ティッピング・ポイント』や『第1感』などのヒット作で知られる彼の最新作が、今回紹介する本書"Talking to Strangers"である。本作のテーマは「見知らぬ他人と話すことがなぜ難しいか」だ。

グラッドウェルの著作の魅力は、一見無関係に見える豊富な事例の中に共通する法則を発見して、現実を見る新たな視点を教えてくれることだと思う。本書もしびれるような面白さである。

なぜ他人の嘘を見抜けないのか?

本書で繰り返し登場するのは、心理学者のティム・レヴァインが提唱する「トゥルース・デフォルト」(Truth-Default Theory)という理論だ。

簡単に言うと、人間は他人が本当と嘘のどちらを語っているかを、ゼロからフラットに証拠を積み上げて判断するわけではない。まず「デフォルトで」信用して、真実でないと判断するだけの十分な情報があったときにはじめて、嘘だと考える。

つまり、我々は、見知らぬ他人であっても「信用してしまうのがデフォルト」なのだ。そうでなければ、社会は成り立たない。例えば他人を全て犯罪者だと考えていたら電車にも乗れないだろう。

本書ではこの理論のケーススタディとして、米国史上最大の投資詐欺事件と呼ばれるバーナード・マドフの事件や、教え子への性的虐待で糾弾されたアメリカンフットボールコーチのジェリー・サンダスキーの事件を分析する。

そこで明らかになるのは「犯人がいかに巧妙に被害者をだましていたか」ではない。あとから検証すれば明確な落ち度がいくつもあったのに「なぜ嘘が(ある時点まで)ばれなかったか」である。

キューバのスパイを、いかにCIAは見落とし続けたか。英国の首相ネヴィル・チェンバレンは、いかにヒトラーを信用して第二次世界大戦に突入してしまったか。そうした古今東西の事例も通じて、本書は「デフォルトの信用が覆るのがいかに難しいか」を物語る。

「あらゆる人を疑え」がもたらした悲劇

さて、このトゥルース・デフォルト理論の紹介だけでも本書は十分に読み応えがある。しかし、実はこの理論は本書にとって、ある事件を分析するための「材料集め」である。

その事件とは、サンドラ・ブランドという黒人女性に関する2015年の事件だ。車線変更時にライトをつけなかったという理由で、白人男性の警官から車を停めるように彼女は指示された。そして2人は激しい口論となり、彼女は逮捕され、3日後に留置所で自殺した。

この事件は、白人警官による黒人への暴力が社会問題となっていた時期に発生したため、警官の差別意識という文脈で語られた。けれども、この事件には、もっと大きな何かがあったのではないかと本書は語る。

グラッドウェルが検証したところ、この警官がいた地域では「干し草の中から針を探す」(needle in a haystack)ように、少しでも不審な点がある人物は重要な犯罪者としての可能性を疑ってかかるように指導がなされていた。

これは、警官たちにとって「デフォルトで他人を信用してしまう」習性との戦いだ。皮肉なことに、その戦いを忠実に遂行して、「全員をあたかも犯罪者として疑うこと」に徹することに成功した人間こそ、この警官だったのではないかと本書は分析する。

だとすれば、これは「悪い警官が黒人女性の権利を侵害した」だけの事件ではなかったとグラッドウェルは語る。それは、「他人をどう信用して付き合うか」についての、社会の失敗(collective failure)だったのだ。

良い社会とは何か

グラッドウェルは、この事件の分析を通して、良い社会とは何かの問いかけをしているのかもしれない。デフォルトで他人を信用してしまう私たちは、他人の真意を見抜くことがとても下手だ。だから、例えば隣人が犯罪者であることを見過ごして、重大な損害を被る時がある。

では、私たちの社会は、警官などの監視人に対して、あらゆる不審な行動を警告するよう要求すべきなのだろうか。デフォルトをオフにしない監視人を非難すべきなのだろうか。

その結果として生まれたのが「見知らぬ他人を犯罪者扱いする」ように訓練された警察官で、私たちの社会が支払った代償が、サンドラ・ブランドだったのではないか。グラッドウェルはそんな問いかけをしているのだと思う。

マルコム・グラッドウェル著"Talking to Strangers"は、2019年9月に発売された一冊。本書の表現を借りれば、「他人を知るのは、簡単じゃない」(Strangers are not easy.)ことがよくわかる、素晴らしい作品である。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

この記事が参加している募集

読書感想文

よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。