偉人たちの「欠点」に学ぶ、より良い人生のあり方(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第3回
The Road to Character
by David Brooks
2015年4月出版
あなたの人生の意味
著:デイヴィッド・ブルックス 訳:夏目大
早川書房、2017年1月出版

ある日、いつものようにスマホをいじっていたら、経営学者の楠木建さんのツイートが流れてきました。

楠木さんは多読家で、本の感想をよくツイートされていますが、ここまで手放しに褒めるのは珍しい。しかも、著者はデイヴィッド・ブルックスさんじゃないですか。New York Timesで論説を書き、NPR(アメリカの非営利・公共のラジオ及びテレビネットワーク)のコメンテーターとして見かけていた、ちょっと保守寄りの知的なおじさまです。日本語の文庫本の帯には「AMAZON.COM & 《NYタイムズ》1位、全米60万部」というコピーがありました。気になって原著の The Road to Character を入手し、パラパラっと目を通し始めました。

ブルックスさんは執筆の動機を「自分は底の浅い人間だし、職業柄、虚栄を張りがちだ。人格者にはなれないけれど、せめて人格を磨く道のりを理解したくて、自分のために執筆した」と述べています。なんて正直なんでしょう。この人の言うことをちゃんと知りたいと思って、しっかり読むことにしました。

(※私は本書の英語版しか読んでいません。本書の内容を日本語で引用している部分は私の抄訳であり、日本語版とは一致しませんので、ご了承ください。)

「利己的な自分」と「利他的な自分」は補完関係にある

本書は、「人には“Adam I”と“Adam II”の2つの面がある」という人間観を基礎においています。一言でいえば、Adam Iとは「社会的成功を目指す私たち」、一方のAdam IIは「人徳を磨き、善き人であろうとする私たち」のこと。これはもともと、ユダヤ教のラビ(指導者)であるジョーゼフ・ソロヴェイチクが提示した概念です。
私たちの中のAdam Iは自らの成功を誇り、人生のゴールをさらなる成功に求めます。Adam II のほうは人生を「自分の倫理的な礎 (moral core) を求める旅路」と捉えており、自分より大切なもののために自分の利得を犠牲にすることもあります。

Adam I とAdam II は対立概念ではありません。「Adam I が花開くには、Adam II を涵養し、Iの土台とすることが必要だ」と、この2つが補完関係にあることをブルックスさんは指摘しています。

しかし、この2つを同時に追求するのは、難しい。それぞれの論理が、真逆の構造だからです。
Adam I の論理は、努力をすれば報われる、練習を重ねれば上達する、だから自分を信じて自分の価値を高めよう、という功利的な論理です。一方のAdam II の論理は真逆。成功の先には「奢り」という失敗が待ち構えている。失敗の先には「謙虚さ」という人生の果実がある。まず自分を捨てなければ、“本当の自分”には出会えないーー。
Adam I は「私は人生で何を成すべきか」を問う。それに対し、Adam II は「人生は私に何を問うているのか。この状況は私に何を求めているのか」を問うのです。

現代のアメリカ社会や日本社会では、Adam I が強く求められます。けれども現代の私たちが過去の世代に比べて、人徳的に劣っているかといえば、そんなことはない。ただ、過去の世代が脈々と受け継いてきた、Adam II を理解するための豊かな語彙や、心を鍛錬するための考え方を、私たちは見失ってしまった。人徳に関する理解の解像度が粗くなり、雑な表現しかできなくなっているーー。ブルックスさんはこのように問題提起しています。

偉業を成し遂げた人物も、実は「ダメ人間」だった

著者のブルックスさんは、人格を磨くような語彙、考え方、生き方を求めて、各章一人ないし二人ずつ歴史上の人物を取り上げ、その生き様を深く掘り下げていきます。各章の前半はその人物の人生における内面の旅をたどり、後半ではその人物が人生を通して磨いたAdam II の資質を解説します。どの人物も、大いなる欠陥や弱さがあり、そのために失敗や苦労もします。でも、それぞれに、よりよい人間であろうと努力する。それが結果的に、偉業の原動力となるのです。印象に残ったエピソードを2つ、ご紹介します。

まず、アメリカのドワイト・アイゼンハワー大統領と、その母、アイダ・アイゼンハワーを取り上げた章では、ドワイト少年が10歳のときのエピソードが紹介されています。彼はある日、ちょっとしたことで癇癪を起こし、手が血だらけになるまで木に拳を叩きつけ、泣き続けたことがありました。母のアイダは、息子の手当てをしながら「『怒り』や『嫌悪』をコントロールできるようになろうね」と静かに諭します。
後に76歳になったアイゼンハワー大統領は、回想録の中で、成人後もキレやすかった自分の性癖に触れつつ、この時の母との会話を「人生でもっとも思い出深い」と記しました。
ここから著者のブルックスさんは、「error(間違い)は個人の領域だが、sin(罪)はcommunal……つまり共同体の課題だ」というテーマを示します。人は誰しも「怒り」や「浅慮さ」といった罪を抱えて生きている。罪を理解することは、罪を犯す他者に深い共感を持つことだ、と。アイゼンハワー大統領が老境にあって10歳の頃の思い出を語ったのは、罪を介して母と深い共感で繋がったからではないでしょうか。

著者はさらに、「先人たちは、罪にもさまざまな種類があり、それぞれに適した処方箋があることも知っていた」と続けます。例えば、怒りは野獣に似て、抑制するしつけが必要だ。それに対し、浮気や裏切りは社会関係を損なう罪だ。時間をかけて信頼関係を作り直すしかない……といったように。Sin (罪)は、個人に押し付けるのではなく、家庭や地域など共同体で助け合いながら、共に戦うものなのです。

印象に残ったエピソードを、もうひとつご紹介しますね。ベイヤード・ラスティンという公民権運動家の話です。
ラスティンは、I have a Dream の演説で有名なキング牧師の先輩格にあたります。ラスティンは若い頃、公民権運動のスター的存在でした。ところが、彼は性的に奔放で、スキャンダラスな悪評が絶えません。40歳代になって、車の中で、男性3人でオーラルセックスをしているところを警察に見つかり逮捕され、とうとう公民権運動から事実上追放されてしまいます。ラスティンはその後、長い時間をかけて自分の傲慢さを真摯に反省し、再び公民権運動に裏方として貢献するようになりました。やがて彼は、キング師の演説が行われた25万人の大デモ行進計画を、実質的に取りまとめる役割を担います。その頃ラスティンは50歳代になっており、深い謙虚さを身につけていました。
「成功を収めようとする最高の瞬間に、自分たちが正義であるからこそ独善という罪を犯すだろう、ということを彼らは理解していた…」と、著者は指摘しています。

ここまでお読みいただいて、本書を、なんだか堅苦しくて教条的な、小学校の道徳のようだ、と感じられた方もいらっしゃるかもしれません。でも、私はこの本をワクワクしながら読み進めました。本書で取り上げている人物一人ひとりの Adam II の物語が、「立派な人格者が偉業を成し遂げた」ような単純な構造とは、対極にあるからです。

登場人物の多くは、ある面から見れば、かなりのダメ人間でした。先に触れた、癇癪持ちのアイゼンハワーや、奔放なラスティンだけではありません。
4~5世紀のキリスト教哲学者、アウグスティヌスは、30歳を過ぎてから宗教家としてブレークスルー体験をしますが、それをまず母親に報告するようなマザコンでした。
18世紀イギリス文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンは、顔に大きな傷がある醜男で、チックがひどく、服装はだらしなく、粗暴で感情の起伏が激しい人物でした。
20世紀アメリカの慈善家、ドロシー・デイは20歳代の頃、アパートを汚部屋にしては、どうしようもなくなって引っ越すことを繰り返していました。
もし、こんな人たちが職場にいたら「ねえねえ、あの人ってさ……」と格好のターゲットになりそうです。

こうしたダメ人間たちが、結果的に歴史に名を残すことになった経緯も、単純な立身出世物語ではありません。登場人物たちは、基本的には、強みも欠陥もある普通の人として暮らしていました。やがて、彼らには、幸運な出会い、あるいは「たまたま近所で事故があった」といった偶然をきっかけに、「人生は、私に何を求めているのか」と自問する状況が訪れます。読んでいるこちらからすれば、彼らが天職に出会う瞬間なのですが、その場に直面した本人は、必ずしもそれを理解していない。「やるべきか悩んでぐずぐず……」、あるいは「気がついたらそうなってしまった」感じなのです。天啓を受けてビジョンに向かって邁進した、なんていう物語ではないところに、私は親近感を覚えました。

人は“欠点”と折り合いをつけながら、成熟していける

著者は、登場人物たちが偉業を成し遂げた原動力を、その人物のAdam IIの面、すなわち「内面の成熟」に見出し、その人物がどのような資質をどんな道のりを経て磨いたか、丁寧に言語化しています。
著者が「人生は moral drama だ」と何度も強調している通り、登場人物ご本人の生涯にわたる内省と努力に加え、家族や友人の支え、あるいは周囲との葛藤が、人間的な成長をもたらすのです。私は、実在した人物が、挫折や不運を経て、欠点と折り合いをつけながら人間的に成熟していくドラマに惹きつけられました。また、自分のこれまでの経験を新たな角度から見直す機会にもなりました。

私は、未熟で偏った人間ですが、それでも「今よりも成熟した人物になりたい」と、ぼんやり思いながら生きています。でも、失敗しても周りのせいにして、自分の未熟さを認められないことがよくありますし、やっと自分の未熟さに気づいても、都度、行き当たりばったりの対応をしてきました。本1冊読んだだけで人間的に成長するわけではありませんが、本書を通して、論理と心身の実感の両面で、「人格の涵養」に関する理解の解像度が上がった感じがします。

本書の主役は、 moral (倫理)、sin(罪)、dignity(尊厳)といった、人間性に関する概念です。こうした概念を表す言葉は、英語と日本語ではニュアンスが異なって感じられることが少なくありません。日本語版を読むときも英語版も参照して、違いを味わう。そんな楽しみ方もあるのではないでしょうか。

執筆者プロフィール:篠田真貴子 Makiko Shinoda
(株)ほぼ日取締役CFO。小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。

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