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誰を殺してしまったのかーーそれは彼女にもわからない(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」 第3回
"Skin Deep" (皮一重)by Liz Nugent
2018年4月出版

偏見ないしは先入観かも知れないけれど、アイルランドには語りのうまい作家が多いような気がする。またイングランドからは窺い知れぬ暗がりを、それぞれが秘めているようにも思う。
ーーというふうなことをアイルランド出身の友人につぶやいたら、「“おしゃべりでビンボー”って言いたいんだろ?」と要約された。そうそう、辛辣な面もあった。

そんなアイルランド人作家の美点をもれなくそなえ、最初から最後のページまで胸騒ぎが続く、ダークでサイコロジカルなミステリーである。

主人公兼語り手のデリアは1966年生まれの女性。アイルランド西海岸沖の過疎の小島に住み、3人の弟を従え、父親に溺愛された美少女だった。

だが、この小説は2011年頃の南仏ニースで幕を開ける。そのときにはすでにデリアが殺人を犯し、彼女は動顛(どうてん)している。殺人現場から逃げ出した彼女の所持金は25ユーロしかない。彼女は胸の動悸をおさえ、海岸前のホテル・ネグレスコへ平然を装って入ってゆく。「お前は私にとって特別な女の子なんだよ、デリア」と昔、父親が彼女の髪を梳りながら繰り返した言葉を思いだして毅然とし、胸を張ってネグレスコのバーへ向かう。彼女は空腹だ。25ユーロでは何も食べられない。ある男性客がステーキに手をつけずにテーブルを立ったのを見逃さず、彼女は席を移動してそのステーキにかぶりつく。

殺人直後の無銭飲食という異様な光景は、古今東西あまたあるミステリーのなかでも珍しいだろう。アイルランドの暗い小島から明るいコートダジュールへの飛躍、というコントラストも謎めいている。当然のことながら、その謎は、自らの半生40数年を回想するデリアの語りが解明してゆくことになる。もちろん殺人事件である。だが読者はデリアが犯人だとわかっている。だからこれは犯人探し(Who done it?)の小説ではない。なぜデリアが人殺しをするに到ったか、その過程を解き明かす小説(How done it?)なのである。
大事なことをひとつ言い忘れていた。殺された被害者が誰なのか、最後までわからない。実はデリア自身もわからなかったくらいだ。よって本作品は、誰が殺されたのか(Who was killed?)、終結部までわからないタイプのミステリーでもある。

(※これ以降の記述を“ネタバレ”と感じる方もいるかもしれません。本書の購読を決意した方々はここでやめてください。ただ、秘めるべき個所は隠す書き方に努めたので、原書講読の手引きとして有用かも知れないと思われる方は読み進めてください)

「ソシオパスの告白」で少しずつ露わになる真実

デリアの少女時代に戻ろう。彼女はある悲劇に見舞われて家族を失い、9歳のときにアイルランド本島の孤児院に入る。その後比較的めぐまれた夫婦が里親になってくれ、平穏な学生生活を送ることもできた。学校ではその美貌に惹かれる男子生徒もひとかたならず、町で一番裕福なホテルのオーナー、ラッセル家の次男ハリーがデリアの最初のボーイフレンドとなる。だが、オックスフォード大学を卒業しロンドンのシティで投資部門に勤めるやり手の長男ピーターがデリアに横恋慕し、ハリーをだしぬいてデリアと結婚する。
新夫婦はロンドンに引っ越すが、田舎者のアイルランド人夫妻にとってイングランドの首都での暮らしには気詰まりな面も多い。体面をたもち見栄を張るために(デリアには「孤児」という恥を隠したい気持ちもある)、背伸びした生活にはまりこむ。
ふたりのあいだには息子ジェームズも誕生したが、夫ピーターの事業も夫婦仲も破綻してゆく。ピーター不在時に発生した火災でデリアは責めを受けることになり、これが離婚の決定打となる。火事のせいで息子ジェームズもデリア自身もケロイドの残る火傷を負う。ジェームズはピーターが引き取ることになった。
美貌と金を失ったデリアは、知人を頼ってニースへ移り住む。マフィアとつながりのある男と同棲したり不幸が続いたけれど、ある日裕福な英国人画家フレディが彼女に眼を留め、「モデルになってくれ」と懇願する。その老人に性的な動機はいっさいなく、美と醜が共存するデリアの顔に絵画の対象として尽きせぬ興味を抱いたのだ。デリアは長いあいだモデルとしての務めを果たす。だがある時期から、デリアは整形手術でかつての美貌を取り戻そうと考えていた。これが最終的な悲劇の始まりだったーー。

おそらく、主人公デリアに感情移入する読者はいないだろう。美女なのかもしれないが、冷酷で計算高く利用できるものは利用するという生き方で、愛すべき側面が見当たらない。それでも本小説の、読み手をとらえて離さない理由の半分は「ソシオパスの告白」という面に魅せられること。そして残り半分は冒頭で述べたように、とにもかくにもうますぎるストーリー展開の腕前ゆえだろう。


執筆者プロフィール:
園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。通算26年ロンドン在住。翻訳書にリチャード・リーヴス『アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流』(いずれも白水社)。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』のロンドンを担当。


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