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虚実に覆われたアメリカの実態(新元良一)

「新元良一のアメリカ通信」第3回
My Year of Rest and Relaxation
by Ottessa Moshfegh (オテッサ・モシュフェグ) 2018年7月出版

オテッサ・モシュフェグの長編小説『My Year of Rest and Relaxation』を読んで、2000年という時代設定に思いをはせるのは僕だけではないだろう。
そこには、たしかにノスタルジーがある。周知の通り、1年後にニューヨークと首都ワシントンDCで同時多発テロが起こり、それ以来多くのものが変わった。トランプ現政権の厳しい移民政策の背景には、国を大きく揺り動かしたこの惨劇が存在し、そもそも彼を大統領という権力者に就かせた原動力とも言われている。そんなトランプが大統領でなかった時代、テロもなかった時代を、我々はロマンティックに回想したくなる。
だが一方で、すでに現在起こっている混乱は2000年当時、既に芽生えていたといった見方もできる。
その10年ほど前にベルリンの壁が崩壊し、やがてソ連の崩壊、冷戦時代の終結へと至り、唯一の超大国となったアメリカは我が世の春を迎えていた。軍事力だけでなく、90年代末にシリコン・バレーを中心としたIT企業が台頭し、経済と文化両面で影響を与え始めるなど、向かうところ敵なしと思えた時代であった。
ところがそんな栄光も繁栄も、薄っぺらいものでしかなく、フタを開けてみれば、中身は空疎な状態がまかり通っていた、そんな虚実に覆われたアメリカの実態に本作は光をあてる。

舞台は「9.11以前」のニューヨーク

主人公である20代の白人女性は、郊外で暮らす裕福な家庭で育った。ニューヨークの名門大学へ進んでアートを学び、卒業後は市内のギャラリーでアシスタントの仕事に就いた。
容姿も美しく、何不自由ない生活を送っていた彼女だったが、ある日突然、マンハッタンの自宅アパートで“冬眠生活”に入った。ギャラリーを退職し、ほかの仕事にも就こうともせず、出かけるのは自宅近くのエジプト人が経営する店にコーヒーを買いに行くとき、あるいは、睡眠誘発の薬をもらいに精神科医のところへ立ち寄るときだけ、という引きこもりの日常を始めた。

怠惰な生活を見かねた友だちのリーバが、彼女を訪ねてきては、外へ出て、社会に溶け込むよう促すが、言われた本人は耳を貸さない。それどころか、外見や考え方などでリーバは自分より劣ると、蔑んだ目で見ている。
自分にとって必要なのは、睡眠だけと信じて疑わない主人公が、眠りの世界に“目覚めた”のは、ギャラリーに勤めていた頃だ。上司の目を盗み、隠れた場所で深い眠りに入り、虚無(nothingness)に浸れたときほどの多幸感はほかでは得られない。だから、リーバや先のエジプト人をのぞいて外部との接触を遮断し、ひたすら自宅に引きこもる生活に身を寄せた。

彼女がなぜ世間に背を向けてしまったのか、と小説を読み進めていけば、誰しもそんな気持ちになる。理由のひとつとして、学生時代から不定期な交際だった日系の銀行に務めるボーイフレンド、トレバーに文字どおり捨てられたことが考えられる。
リーバに対してわがままで尊大な態度をとる主人公だが、このトレバーという青年は、それに輪をかけて傲慢な振る舞いで彼女を翻弄する。大晦日の夜に、ブルックリンで開かれるパーティに彼を誘ったまでは良かったけれど、相手は別のパーティにも行く予定であった。「愛している」と主人公が言ったが最後、同乗していたタクシーから彼女は降ろされ、関係は幕を閉じた。

傷心する彼女だが、それでも冬眠生活に入ったきっかけは、失恋ではないと否定する。そうなれば、やはり学生時代に他界した両親のことが、数年を隔てて、彼女を引きこもりにさせた主因かと思わせる。
大学教授だった父は誰からも尊敬を集めたが、病に倒れ帰らぬ人となった。生前の父と不仲だったアルコール依存症の母は、夫の葬儀の席で隣に座る主人公に、惜別のセレモニーに自分がいることが我慢ならず、悪態をつく。その母も間もなく、親として愛情を注がないまま娘ひとり残して旅立った。

悲劇が重なったことが心に暗い影を落とし、彼女を孤独へと追いやったのか。だが天邪鬼な主人公は、ここでも理由として認めようとしない。無関心で、無感情である自分は、「何に対しても心を開かない人間」と決めつけているかのように立ち振る舞う。

主人公の両親だけでなく、本作は全体を通じて「死」の存在が見え隠れする。リーバの母が亡くなり、彼女の実家があるロングアイランドまで遠出するくだりから、悲しみの念をようやく意識する主人公だが、根本的に無感動で、シニカルな部分は消え去らない。

読み進めるうちに、それはまるで2000年(あるいは、同時多発テロの前年)と設定された頃の社会の空気を、彼女自身が体現しているかのように思えてくる。主人公が勤めていた現代アートの作品を扱うギャラリーで、上司が口にした次の言葉が、そうした時代を見事に言い当てる。
「アート市場は、感情なんてものから移り変ろうとしている。今はプロセスとアイデア、そしてブランド力がものを言うわけ。男らしさがウケる時代なのよ」

ひとりよがりな登場人物たちは今にも通ずる

主人公を筆頭に、元彼氏のトレバー、自身の母といった物語に登場する人たちは、独りよがりで、他人を思いやる気持ちに欠けている。そんな彼らを扱う本作が昨年発表されるやいなや、たちまち話題の書となり、メディアの各方面で年間のベストブックに選定されるほどの評判を得たのも、現在に通じるものがあると評者たちが判断したからだろう。
それは皮肉にも、2000年から根底の部分でアメリカが変わっていないとも捉えられる。その翌年に、歴史を動かすほどの惨事があったにもかかわらず、自分以外の人々への思いやりが持てない、試練からこの国が学んでいない状況を憂う声が、本作から聞こえてくるのだ。

執筆者プロフィール:新元良一 Riyo Niimoto
1959年神戸市生まれ。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務め、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に「あの空を探して」「One author, One book」。


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