『日本料理大全』――日本人も知らない「本当の日本料理」とは何か?

担当編集者が語る!注目翻訳書 第9回
日本料理大全
著: NPO法人日本料理アカデミー (著, 監修), 熊倉功夫 (著), 伏木 亨 (著),仲田雅博 (著), シュハリ・イニシアティブ株式会社 (編集)
シュハリ・イニシアティブ株式会社 2015年1月出版

健康志向の高まりやユネスコ無形文化遺産登録(「和食;日本人の伝統的な食文化」)の追い風も受け、海外での和食の人気はいっそう高まっています。
“Sushi”や“Tempura”はもちろん、
“Sashimi”、“Tonkatsu”、“Dashi”、“Umami”など、欧米で通じる料理や用語もどんどん増えており、個人的な体験では最近パリの気軽なレストランのメニューに“Binchotan”を発見し、「ここまで!」と驚きました。

人気もそのはず、2017年時点で海外には日本料理店が約12万店もあるのです。しかも2015年の調査時の約9万店から3割増と、その勢いは止まりません(2017年農林水産省調査より)。しかし、そのうち日本人経営の料理店はごく少ないといわれています。みなさんも海外の「日本料理店」で、のびたうどんやスパイスたっぷりの焼き魚が出てきて、「これが和食?」と首をかしげた経験をお持ちでしょう。

日本料理の正しい知識と文化を海外に

もちろん、海外で日本料理が広まるには外国人の料理人の力が必要です。実際、プロの料理人を志す外国人は増えており、京都市は全国で唯一、京都市内に限って「外国人の日本料理店での就労」の特別措置が認められています。懐石料理店の菊乃井主人の村田吉弘氏が理事長を務め、多くの料理店が参加する特定非営利活動法人〈日本料理アカデミー〉は京都市と連携をとり、日本料理を学びたい外国人を京都の料理店に受け入れるほか、海外シェフを招聘して研修を行うなど、日本料理の発展と食文化の普及に努めています。

そのような背景を受け、「日本料理の正しい知識と文化を海外に伝えたい」と生まれたのが、〈日本料理アカデミー〉監修によるComplete Japanese Cuisine(日本版『日本料理大全』)シリーズです。2015年の“Introduction to Japanese Cuisine”(日本版『日本料理大全 プロローグ』)に始まり、“Flavor and Seasonings”(日本版『だしとうま味、調味料』)、“MukoitaⅠ”(日本版『向板Ⅰ』)、“MukoitaⅡ”(日本版『向板Ⅱ』)と、これまで全4作の英語版と日本語版が刊行されています(『プロローグ』はイタリア語版も刊行)。

日本料理のレシピ本の英文書は数多く刊行されていますが、寿司やラーメン、味噌汁など家庭向けのカジュアルなものが主流です。本格的な料理書は、辻調理師専門学校の創設者、辻静雄氏による名著“Japanese Cooking: A Simple Art”(初版1980年、改訂版2012年刊行)が知られていますが、それ以降はほとんどありませんでした。そこで、〈日本料理アカデミー〉の会員である料理人が集まり、日本から世界に向けて発信する日本料理の専門書のシリーズをつくることになったのです。料理人だけでなく、科学者や歴史学者も参加し、各巻のテーマに沿って日本料理の技法のほか、科学、歴史・文化まで系統立てて解説している点も画期的といえるでしょう。

現代に伝わる日本料理の精神

では、日本料理の特徴とは何でしょうか? まず、動物性脂肪が少なく、あっても魚のように不飽和脂肪酸を多く含むので、身体によいとされます。また、湿潤な気候のために味噌や醤油といった独自の発酵調味料が発達し、漬物、納豆など発酵食品の文化も生みだしました。豊かで澄んだ水にも恵まれ、さらに軟水であることも大きな特徴です。軟水は昆布への浸透がよいので、うま味を引きだし、おいしいだしがとれるのです(『日本料理大全 プロローグ』より抜粋)。

いわれてみるとたしかに納得ですが、本書を担当するまで、日本の風土や歴史など考えずに毎日ごはんをおいしく食べていました。まさにいま人気のチコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られる典型です。でも、日本人のどれくらいが日本料理の成り立ちを理解しているでしょうか? 日本料理大全シリーズでは、そのような日本料理の文化や背景もふまえ、「日本の風土そのものが日本料理の原点」と伝えます。

たとえば日本には古来より、野菜や木の実を長時間水にさらして、有害な成分や不快な味を取り除く技術が定着しています。現代でも、こんにゃくやかまぼこなど「水にさらす」食品は多くあります。それは水の品質の良さへの信頼もありますが、水で清めることが日本人の清浄を重んじる性質と結びついているからだといいます。刺身や鯉の洗いのように魚を生で食べる習慣も、食材への畏敬があるとされます。神様からいただいた魚を清澄な水で清める。野菜なら同様に水で清めたあと、神聖な火であぶる。そして、なるべく食材を傷つけずに元の形を活かしてシンプルな調理でいただく――それが古代から現代まで息づいている日本料理の精神なのです。

刺身の調理は料理人の最高のステータス

日本では世界でも類を見ないほど多くの魚が獲れ、「新鮮な魚を加熱調理して食べるのはもったいない」と感じる傾向があり、生で食べることに強いこだわりがあります。伝統的な日本料理店の厨房は、刺身、焼物、煮物など調理法によって分担されており、そのうち刺身(懐石の向付)を調理する料理人の呼称である「向板」には、もっとも高いステータスがあたえられ、総料理長を兼ねることも多くあります。それくらい刺身は重要な料理です。

Mukoita”(日本版『向板Ⅰ』『向板Ⅱ』)の巻では、魚をおろして刺身にする工程を中心に解説しています。鯛や鮃(ひらめ)といった代表的な魚をはじめ、ふぐやすっぽん、蟹や鮑などの魚介類、鴨などの鳥類、野菜までまさに切る技法の集大成となっています。
日本料理に使われる魚は本書に収録したもの以外にも多くあり、そのなかでどの魚をどのように海外に紹介するかは、料理人の方々と何度も話しあいを重ねて決まりました。たとえば、本書には日本料理でよく使われる鱸(すずき)は収録されていません。それは鯛と同じ骨格構造なので、鯛のおろし方を紹介すれば応用できるからなのです。魚の基本的な骨格標本ものせており、どの魚がどの分類にあてはまるかを知ると、おろし方も理解できるつくりになっています。

魚の骨格と部位。構造がわかればおろし方も理解できる ( “MukoitaⅠ” p.38-39より)
 
日本料理大全シリーズはどの巻もビジュアルを中心に構成し、日本料理になじみのない海外の読者にも視覚的にわかりやすく伝えているのも大きな特徴です。魚の写真も、生きているうちに、泳いでいる姿がイメージできるよう撮影しています。撮影中、獰猛な鱧にポーズをつけようと格闘するうち、カメラマンさんが針を指に引っかけ、撮影を中断して病院に行くというアクシデントもありました。こうして完成したのがこのページです。

大きな口と鋭い歯をもつ鱧は取り扱い注意( “MukoitaⅡ” p.70-71)

鱧には硬くて長い独特の小骨(肉間骨)が多いのもやっかいな点ですが、料理人を悩ませる「骨切り」の技法も鱧の骨格構造のビジュアルをもとに説明しています。

100年後の料理人たちに想いをのせて

Flavor and Seasonings”(日本版『だしとうま味、調味料』)では、だしの素材としてもっとも重要な昆布と鰹節がどのようにつくられるのかを追って、敦賀の昆布店や焼津の鰹節工場へ取材と撮影に行き、収穫から加工、出荷まで多くの人の手が関わっていることを知りました。さらに、老舗の醤油店の醤油蔵も訪ね、200年以上その蔵に棲(す)みつくカビが醤油の発酵・熟成を担っていることに驚嘆もしました。

自然のままの蔵には醸造菌が棲みつき、醤油の発酵・熟成を助けている
( “Flavor and Seasonings” p.32より)

日本料理大全シリーズはプロの料理人を志す外国人を対象にしたものですが、日本語版がほしいという要望が多く、英文版の刊行後に日本語版の刊行も実現しました。わたしたち日本人でも知らない知識も多く含まれ、ふだん意識していない和食への理解が深まります。オールカラーの美しいビジュアルを眺めるだけでも、日本料理の良さを再発見できるでしょう。
フランス料理書の古典的名著『エスコフィエ』のように「100年間残る日本料理の本をつくりたい」という料理人たちの想いをのせた本『日本料理大全』シリーズが、100年後の日本料理を形作っているとしたら、すごいことではないでしょうか。

執筆者:川上純子(株式会社LETRAS 編集者)


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