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人生のデザインはとても現実的だった 前へ進む力を授けてくれる「人生のデザイン」 (武井涼子)

武井涼子のビジネス書、ときどきオペラ 第2回『LIFE DESIGN(ライフデザイン) ――スタンフォード式 最高の人生設計』著:ビル・バーネット、デイヴ・エヴァンズ 訳: 千葉敏生 早川書房 2017年9月出版

3泊5日のスケジュールでサンフランシスコに来ている。「ライフデザイン」の研修を受けるためだ。スタンフォード大学デザイン・スクールのエグゼクティブ・ディレクターであるビル・バーネット氏らが行っている、1学期分の授業内容を、社会人向けに作り直し、一日なんと9時間半をかけて駆け足で経験する集中研修である。
日本でも大人気の本となったこの「ライフデザイン」の授業は、スタンフォード大学の中でも最も人気のある授業で、すでに10年以上の実績がある。いよいよそれが社会人にも適用され研修として始まったのだ。
 
内容は本の中身と全く一緒。まずは一人で自分の現状となりたい方向性を感覚でつかむ。
具体的には「仕事」「遊び」「愛」「健康」のゲージのうち、今はどれが満タンでどれが足りないか、今後、自分はどのゲージをどれくらいにキープしたいかを大まかにつかむのだ。もちろん、「全部満タン」を志向する必要はない。自分がどの項目をどれくらい重視したいかを決めるだけである。
そして、3人のチームで仕事観と人生観を合わせて、自身の進むべき方向性を導き出し、受容する。これが出発点である。
続いて具体的なプランを三つ作り、その中から解くべき問題を一つ取りだして、5、6人のチームで力を合わせてプロトタイプを作る。そして、7日以内にテストするアクションを作り、ペアを作ってアクションを互いにレポートする相手を決める。一日コースだから駆け足だが、デザイン思考のプロセスを一つ一つ自分の人生でやるのは面白かった。

「正解はない」ライフデザインとマーケティングの類似性

この本に大いに興味を持ったのは、私がマーケティングのクラスで受講生に毎回言っているのと全く同じことが、「人生」を主語にして書いてあったからだ。本当に同じようなアプローチで人生がデザインできるのか、知りたくなった。そもそもマーケティング活動に一つの正解はない。ただ、何かを活動として選択する必要があり、それを選んだ時点で他の選択肢は消える。石原さとみをイメージキャラクターに選んだら、綾瀬はるかは同時には選べない。それだけのことである。バーネット氏も「人生にも正解はない」という。ただ、何かを選んだら他はできない。例えば、声楽科と社会学科に同時に通うことはできないのだ。

だからこそ、マーケティングには常に見直しが必要だし、「こうありたい」というブランド理念さえしっかり保てていれば、どんどん効果的な内容に変えていって構わない。もっと言うと、時代と共に理念も移ろいゆくから、不変に見える理念すら、見直しを行う必要があるタイミングが来る。常に今、何をするのが最も現実的かつ効果的か、全体を俯瞰しながら何かを行い、先に進み続けなくてはいけない。
以上が私のマーケティングに対する考え方だが、果たして「ライフデザイン」の授業には、類似点があるのだろうか。そんなことを考えながら、研修を受けた。するとやはり、まったく同じことが「マーケティング」を「人生」に替え、「ブランド理念」を「仕事観と人生観の接点」に置き換えて語られたのだ。マーケティングでも実行プランを作るが、人生にもオデッセイプランが必要だ。なるほど、考えれば“商品の人生”を形作るのがマーケティングなのだから、そうか、同じアプローチでいいのだと得心した。

研修を受けてあらためて思ったのは、ライフデザインの考え方は、過大な夢は見させないが、「前に進む力」を与えてくれるということだ。バーネット氏は「デザインの力は前に進む力だ」と何度も強調していた。魔法の薬なんて人生にない。常に全体を俯瞰し、必要なところを細かく見直しながら、前に進むことこそが大事なのだ。

人生に唯一の進むべき情熱を見つけられる人は、「自分は何者か、どうなりたいのか」を子どもの時から常に問われつづけるアメリカですら、たった2割にすぎないそうだ。だから、興味は分かれたままでかまわないし、情熱は移り変わって当然。それに、本当はだれもが望めば何にでもなれるわけじゃない。あまり過大な夢を見ても、そもそも「重力がつらい。どうにか無重力にできないか?」といった解くことができない問題を解くのと同じで、何にもならない。
「ライフデザイン」は、一足飛びに青い鳥を求めるような無謀なことをするのではない。デザインの力を最大限生かして、現実の中で、逆風においても少しでも先を見て信じる方向を見出し、前へ進む力、また、常に進み方を見直し続ける力を身につけようという、とても地に足がついた現実的なものだった。

他者との相互作用によって明らかになる「自分にとって大切なこと」

なお、研修内容は本と一緒ではあるが、実際に参加してよかったのは、共感やフィードバックといった、他者とのインタラクションが得られた所だ。30名ほどの受講生は、アメリカの各地だけでなく、カナダ、チェコ、シンガポール、上海と世界中からあつまっていて、年齢も20代から60代まで多様性に富んでいた。男女もちょうど半々くらい。私と同じチームになったメンバーは、もともとレストランを経営していたが、今はシカゴで囚人に料理のやり方を教えて独立支援をしている60過ぎの女性と、カナダで子ども向けにライフデザインを提供したいと受講に来ている30代の男性だった。
バックグラウンドがあまりに異なり、しかも、お互いのことを知らないからこそ、てらいもなく自分の価値観を披露できる。全く異なる視点からのアドバイスは、私にとっても他の二人にとっても気付きが多く、話は大いに盛り上がった。実際、人生観と仕事観を披露しあってみると、本当に自分にとって大切なことや、おおまかな今後の方向性が明らかになったから驚きだ。今後の研修仲間とのやりとりも楽しみである。

バーネット氏は、元アップルのプロダクト・デザイナーだ。カリフォルニア風のややラフな服装に、長身、理知的でファッショナブルなメガネ姿。いかにも西海岸の大学の先生といった風情。もの静かながらも、人を引き付ける話術はさすがである。またバーネット氏とともにセミナーで登場された奥さまベンジャミン氏は小柄で柔らかさがありながらも、朗らかで外交的。受講生みんなに優しく接する母親のような風情である。彼女もコンサルティング会社などに長く勤めたビジネス・エグゼクティブ。プレゼンテーションも魅力的でわかりやすい。
お二人は、もう60歳を超えている。「年収もアップル時代と比べたら半分だけど、やりたいことができているから幸せだ。家族との愛も常に感じられる」といいながら、奥さまとの阿吽の呼吸でセミナーを進めるバーネット氏は、自身のゲージの「愛」が満タン。とても素敵なカップルだった。氏は今、「ライフデザイン」の続編を書いているそうである。来年の春ごろアメリカで出版予定とのこと。こちらも楽しみである。

執筆者プロフィール:武井涼子 Ryoko Takeiグロービス経営大学院 准教授/声楽家。東京大学卒業後、電通等を経て、コロンビア大学でMBAを取得。帰国後は、マッキンゼーとウォルト・ディズニーでブランド・マネジメントと事業開発を行う。現在は、グロービスと東洋大学で教鞭をとる。アドテックをはじめイベント登壇も多く、News Picksのマーケティング分野プロピッカーとして2万4千人以上のフォロワーを持つ。一方、声楽家としてはコンサートやオペラで演奏活動を行いつつ、毎年メトロポリタン歌劇場の副指揮者等と「TIVAA サマー・ワークショップ」を実施。また、日本歌曲を世界に紹介する「Foster Japanese Songsプロジェクト」をプロデュース。そのマルチな活動は、Wall Street Journal、日経新聞など各種メディアでも取り上げられる。著書:『ここからはじめる実践マーケティング入門』 (ディスカヴァー21)『ビジネススクールで武器としてのITスキル』(ダイヤモンド社、共著)CD:「日本の唄〜花の如く」(opus55)。二期会、日本演奏連盟会員。www.ryokotakei.com

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