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カネ儲けは悪いこと? ハーバード教授が教える金融の本質(関美和)

翻訳者 関美和のおすすめ本! 第3回
The Wisdom of Finance: Discovering Humanity in the World of Risk and Return” (金融の知恵)
by Mihir Desai(ミアール・デザイー)2017年5月出版
※日本語版は2018年11月中旬頃発売予定。ダイヤモンド社

「株屋と政治家にはなるな」と父はよく言っていた。株で何度も失敗したらしい。証券会社の人が訪ねてくると、たいてい機嫌が悪かった。証券会社の人が嫌いなら、株なんてやめればいいのに、と子供心に思ったことを憶えている。父は「今度儲けたらやめる」と言いながら、儲けても損してもダラダラと続けていた。

わたしはその「株屋」になった。父に反抗するつもりはまったくなかったが、アメリカの投資銀行で働いていた人たちは、わたしの目にはキラキラとかっこよく輝いて見えた。わたしはビジネススクールを出て、ウォール街で働いた。日本に戻って金融で10年もキャリアを積んだころだっただろうか。友人の夕食会で隣に座った少し年上の男性に、「金融の仕事は面白いですか?」と聞かれた。小さなアメリカ系の投資顧問会社の日本支店長になっていたわたしを、友人が大げさに「ファンドの社長さん」と紹介してくれていたのだ。

わたしは呑気に「はい、面白いです」と元気よく答えたと思う。その時に男性が見せたちょっと意地悪な表情に思い当たったのは、あとになってからだ。
「ほー、カネを稼ぐのがそんなに楽しい?」おっとっと。そっちか。この手の嫌味を言われたことはそれまでにも何度かあった。さて、今日はどう答えよう?
「えぇっと……そうですね、自分の分析が当たると気持ちがいいですし、年金を預けて下さる受給者のためにもなりますし……」
「そんなにカネ儲けが面白いかねぇ」。こんどはトゲがはっきりと聞き取れた。あぁ、この人にとってはカネ儲けは悪いことなんだ。でも、ファンドマネジャーがおカネを儲けなかったら、年金が減ってみんなが困るんだよー。そう言いたかったけれど、やめておいた。
「いや、わたし運用下手くそなんで、そんなに儲かりませんよ」と流して、そこで話は終わった。

投資や運用を、まるで後ろめたいことのように思っている人が世の中にはいる。他人のおカネで(自分のおカネでも)大金を稼ぎ出す金融人を、詐欺師のように思っている人もいる。市場と金融はうさんくさいものだから、「いい人生」を送りたければ、そこに近づかない方がいいと思っている人は多い。

小説や映画にみる「金融の基本概念」

「そんな考えは間違っている」ときっぱりと言ってくれたのが、ハーバード・ビジネス・スクールでファイナンスを教えているミアール・デザイー教授だ。世間の思い込みとは反対に、「ファイナンス(=金融)はいい人生を送るための知恵を授けてくれる」とデザイー教授は言う。金融の知恵が人生にどう応用できるのかをわかりやすく教えてくれるのが、この“The Wisdom of Finance”だ。この本には方程式もなければ、グラフもない。数字もほとんど出てこない。経済学の理論も「ブラックショールズモデル」の解説もない。金融の核になる基本概念を、文学作品や映画のストーリーに紐づけて、誰にでもわかるように説明してくれる。

リスクと保険の基本概念は、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』、「リスク分散とオプション」には、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』を。価値創造とバリュエーションについては、聖書の「タラントのたとえ」を用いて解説。現代の資本主義で最も大きな問題とされるプリンシパル‐エージェント理論については、大ヒットミュージカル『ザ・プロデューサーズ』で解説している。M&Aは映画『ワーキング・ガール』だし、倒産については、ギリシャ悲劇にたとえる。「レバレッジの力と危険」についてはカズオ・イシグロの『日の名残り』を引用し、最後に「いい人生を送るためにファイナンスをどう使うか」については、ウィラ・キャザーの『おお、開拓者よ』で語る。
 
人生は複雑で、ぐちゃぐちゃで、とりとめがない。そんなぐちゃぐちゃな人生に秩序をもたらしてくれるのが金融だ、とデザイー教授は言う。 
金融はもともとカネ儲けの道具ではなかった。ひとりでは抱えきれないリスクから、自分や家族や仲間たちを守るためのイノベーションが保険だ。また、金融は大切なリスク管理の手法をわたしたちに教えてくれる。それが分散とオプションだ。今手元にないリソースを使って、夢や希望をかなえ、より充実した人生を送る力を授けてくれるのがレバレッジだ。人生の不確実さを受け入れ、失敗者にチャンスを与えるのが倒産という仕組みだ。
金融における「価値創造」とは、自分に期待されたものより多くを相手にお返しすることだ、とデザイー教授は言っている。そして、「価値(ヴァリュエーション)」は、過去と今ではなく未来にある。そして市場はランダムであることを知り、自分の能力と結果を混同しないことが金融の本質だとも言っている。

「金融の本質を知る」とは、謙虚になること

さて、例の「カネ儲けは楽しいか?」というのは質問ではなくてただのイヤミなのだけど、この言葉には、ひとつの真実がある。それは、投資銀行や運用業界で働く人たちが実際に大金を手にしているということだ。それを、運ではなく「自分の努力と才能のおかげだ」と信じている人も少なくない。
本書の最終章に登場する『おお、開拓者よ』の主人公アレクサンドラは、そんなステレオタイプな金融人とは正反対でありながら、金融を使って実りある人生を送る「究極のヒーロー」だ。彼女は経験と分析からリスクを見極め、レバレッジを使って愛する人たちの人生を豊かにした。分散とオプションの価値を知り、大きな決断をためらわず下した。自分はこの世にいる短い間の資本の守り手であることを自覚し、成功を自分の手柄にしなかった。そして家族や近しい友人との関係に投資し続けた。

「金融の本質を知る」とは、謙虚になることだと“Wisdom of Finance”は教えてくれる。金融の初心者には入門書として楽しめるし、すでに金融の世界で働いている人には、改めて金融の賢さと美しさを思い出させてくれるだろう。



執筆者プロフィール:関美和 Seki Miwa
翻訳家。杏林大学准教授。慶應義塾大学文学部・法学部卒業。ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める。翻訳書にリー・ギャラガー『Airbnb Story』(日経BP社)、『お父さんが教える13歳からの金融入門』(日本経済新聞出版社)、ピーター・ティール『ゼロ・トゥ・ワン』(NHK出版)、ほか多数。


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