サンダ_キャッツ発酵教室

広大な「発酵世界」への入り口として 『サンダー・キャッツの発酵教室』

担当編集者が語る!注目翻訳書 第22回
サンダー・キャッツの発酵教室
著:サンダー・エリックス・キャッツ 訳:和田侑子、谷奈緒子
ferment books 2018年10月出版

“fermentation”という英単語のふたつの意味

“fermentation”という英単語にはふたつの意味がある。まず、酒やパンや味噌といった食品をつくる際に不可欠な工程である「発酵」。そして第二の意味は、社会的な「動乱」「蜂起」「混乱」だ。日本語の「発酵」という言葉にはない、ちょっと不穏とも思えるニュアンスは、“ferment”という英単語のもつ「ものごとをわき立たせる」といったコアイメージゆえだが、著者のサンダー・エリックス・キャッツ氏は、本書後半の“AGITATION”と題したコラムページでこのことに触れたうえ、こんなふうに書く。

発酵食品がブクブクと泡をたてている。そんな菌や酵母たちが起こす変容の魔法を目にすることがあったら、想像してみよう、社会秩序に対して変容の泡を放ち、人びとを揺り動かす変革の担い手となった自分を。発酵食品をつくって、家族、友人、仲間たちに元気を与えよう。人びとに生命を謳歌させるパワーを秘めた素朴な発酵食品は、スーパーマーケットの棚に並んだ生命力のない工業製品とは正反対の存在なのだ。
変容をもたらす菌や酵母たちの活動からインスピレーションを得たら、こんどは、みずからの生きかたに変革をもたらす番だ。

太古から続く人類の営みである発酵に親しむことは、産業化され尽くした現代人の食生活を見直すきっかけになる。それだけでなく、本書において「発酵/fermentation」は、我われの食、さらには社会を変革する行為そのもののメタファーなのだ。

ザワークラウトは天然発酵のシンボル

本書は、『発酵の技法』『天然発酵の世界』の著者として知られ、アメリカにおける発酵食文化のマスターとして尊敬されるサンダー・キャッツ氏の処女作であり、ベーシックな発酵の技法をやさしく解説してくれる、上記2冊の基礎編とも言える内容だ。

ザワークラウト、味噌、サワー種のパン、ヨーグルト、テンペなど、よく知られる発酵食品のつくりかたを記したテキストには、前述したような著者の哲学が感じられ、一般的なレシピ書とはかなり異なったテイストがある。

発酵というと、専用のイーストなどをスターターとし、厳密な殺菌や温度管理のもとに行われる専門技術であり、アマチュアにはとても難しいものと思われがちだ。しかし、「発酵リバイバリスト」を自称する著者が愛するのは、そうした技術のなかった大昔から続けられてきたシンプルで、簡単で、誰にでも行うことのできる伝統的な天然発酵の技法であり、そのシンボルのような発酵食品が、本書の冒頭に「つくりかた」が掲載されている、千切りキャベツの漬物、ザワークラウトである。

ザワークラウトの材料はキャベツと塩だけ。キャベツの葉に棲んでいる、人間の目には見えない常在菌が発酵をスタートさせ、塩分に助けられながら乳酸菌をまねき、やがて爽やかな酸味と滋味のある、おいしいザワークラウトができあがる。ビタミン類を多く含み、消化促進効果もあって健康にも良い。ザワークラウトが大好きな著者のニックネームは「サンダークラウト」だ。

変容の過程を観察し、味わい、楽しむことが発酵

本書には、「塩:大さじ3」などの計量が目安としていちおう記されているが、「ぼくはといえば一度も塩の量をはかったことはない」なんてセリフも。大事なのは、専門家の設計した計量やレシピの正確なトレースではなく、みずから起こした発酵という変容の過程を観察し、調整し、その結果物である発酵食品を確認し、味わい、楽しむこと。このプロセスにこそ発酵の本質が横たわっている。そう言いたいのだろう。

本書をつらぬくこうしたDIY精神は、カウンターカルチャー的なZINE(少部数のパーソナルな冊子)を数多くリリースしているマイクロコズム・パブリッシング(オレゴン州ポートランド)から原書が出版されていることからも納得できる。

ジェームズビアード賞の受賞者で、「世界一のレストラン」と称される「ノーマ」のシェフが主催する食のシンポジウム「MAD」にもスピーカーのひとりとして招かれるほど、世界の料理界から注目されている著者だが、いまでもテネシー州の森のなかにある自由なコミュニティで自給自足の生活を送りながら、全米で、そして世界で草の根的な発酵ワークショップを続けており、そのスピリットは揺らがないようだ。

個人的には、発酵リバイバリストたる著者の哲学や人となりに触れることができるワークショップを、日本でも開催できたら素晴らしいだろうなと思っている(2017年1月に一度だけ東京でワークショップが開催された)。

マイナスと思われる要素から新しい文化が生まれる

発酵ついでに「手前味噌」な話になるが、本書の版元についても少し触れておきたい。ferment booksは翻訳者の和田侑子とわたしの編集ユニットで、「ふたり出版社」として世に出した本としては『味の形 迫川尚子インタビュー』に続いて、これが二冊目になる。ferment books(発酵書店)なる屋号を掲げたのは、発酵をはじめとする食の分野を扱っていきたいという目標と、食品の変容をつかさどる微生物のごとく、文化の変容とその新しいかたちを提示できたらとの願いからだ。わが出版社のコンセプトにぴったりの、この翻訳書を発行(発酵?)できたことは、これ以上ない幸運だった。

また、本書の編集者としては、日本語版特別記事にも注目してもらいたい。来日したキャッツ氏を長野県・木曽地方に案内し、地元の発酵食品をめぐった旅のリポートである。木曽といえば塩を使わない珍しい赤かぶの漬物「すんき」が名物。その仕込を見学し、実際に味わった彼はこんなことを言っている。

「ライフスタイルが食べ物を作り出す関係ってあるよね。例えば木曽町は山が多くて塩が無かった。無かったからこそ生まれるおもしろさがある。ぼくは今の資本主義から孤立した人達の、メインカルチャーからはずれたカルチャーに興味がある」

塩がなかったからこそ生まれた発酵食文化、メインカルチャーから外れていたからこそ生まれたカルチャー。やっぱり、キャッツ氏らしい。常識的な価値基準から見ればマイナスと思われる要素から、新しい文化が生まれる。それは発酵も、社会も、同じなのだろう。

広大な「発酵世界」の入り口として

もしかすると「発酵」は、ある種の哲学や思想とともに語られやすいテーマなのかもしれない。近年、和書のジャンルにおいても、たびたび発酵本が話題になるが、料理や食文化の領域からはみ出す、これまでになかった切り口を持った良書が多い気がする。

たとえば、「発酵デザイナー」小倉ヒラクさんの『発酵文化人類学』も、微生物というミクロの世界と、社会や文化というマクロの世界を、発酵というテーマでつなげていくような本だ。自家製天然酵母パン&クラフトビール&カフェ「タルマーリー」を営む渡邉格さんの『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』 は天然酵母のパンづくりから、貨幣、経済、ビジネス、働きかたへの考察にいたる異例の書。少し前の本だが、発酵を愛する者たちの聖地のような存在である千葉県の酒蔵「寺田本家」の先代当主による『発酵道』は「発酵」と「腐敗」の違いから人生哲学が語られる。

こうした本の読者にも『サンダー・キャッツの発酵教室』が届けば、とても嬉しい。そして、新たに発酵に興味を持った読者に、この本を気に入ってもらえたなら、上記のような和書や、キャッツ氏の『発酵の技法』『天然発酵の世界』をぜひ手に取ってほしい。そして、本書が広大な「発酵世界」のとっつきやすい入り口になれたなら、編集者としてこれ以上に嬉しいことはない。

執筆者:ワダヨシ(ferment books)


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