AD生活3日目 なぜADになったのか

本日はAD勤務3日目のお話です。

昨日のノートでは、あるきっかけでマネージャーを志したというお話をしましたが、なぜ私がマネージャーではなく、ADになったのかお話します。

私は普通の四年制大学に通っていました。大学受験の時は、テレビが好きすぎてお笑い芸人になろう!と考えて行動した時期も実はありましたが、結局その一歩を踏み出せず、普通の大学生として過ごす決断をしました。
単純に怖かったのだと思います。その道に進むリスクを取れなかった。今でも、あの時違う決断をしていたらどんな人生だったのか、考える瞬間があります。

大学生活もぼちぼちに過ごし、就活が始まる時期、芸能マネージャーになるか、普通のサラリーマンになるか葛藤する自分がいました。
結局のところ、まずはサラリーマンとしての内定をもらい、残された時間で大手芸能事務所の新卒採用試験を受けました。
ナベプロ、ホリプロや、一般的に知れ渡った事務所が中心でしたが、軒並み落ちました。当たり前です。周りは慶應、早稲田以上の学歴ばかりでしたので…
また、私の就活の年は東北の震災の翌年ということもあり、いわゆる就職氷河期でした。

ちなみに、ナベプロの2次試験の筆記テストはかなり特殊で、中山秀征さんの名前を漢字で書きなさい、という問題があったのを未だに覚えています。

唯一最終試験まで残ったとある事務所がありました。名前は伏せますが、最終試験はペアを組まされて役員に漫才を披露するという過酷なものでした。笑

結果だけ言うと、無事笑いを取り合格となるのですが、その事務所のマネージャーの業務内容は私のイメージとは少し違い、内定後にお断りのお話をしました。が、だったらADはどう?というお話を頂きADになったのです。

というのも、タレントのマネージャーになるのは実はかなり狭き門で、大きな事務所で新卒採用が数名ずつ、その他は業界経験者優遇の中途採用がメインだったのです。
いつか希望の会社でマネージャーになるために、ADとして業界の経験を積みマネージャーになる!という思いから私はADとなりました。

サラリーマンになるという選択肢は、いつの間にか消えていました。やりたいことをやる、夢を叶えるという思いだけで決断した若気の至りでしたが、今はこの決断は正解だったと思っています。


AD3日目。

疲れ切った私でしたが、なんとかディレクターから指示されていた国内全ての冷凍食品リストの資料を完成させ、会議で提出しました。
きっと褒められる。そう考えていましたが現実は甘くなく、その資料を使う企画はボツとなり、私の徹夜の労力は一瞬にして無駄になりました。

しかし、落ち込む暇もなく、翌日、翌々日と連続で行われる収録の準備に駆り出されました。
楽屋に準備するティッシュ、ウェットティッシュ、灰皿、飲み物と軽食、出演者の名前を書いたバリや、スタジオの前室(収録直前の待機場所)のセッティングなど、新人だけでは6時間かかる作業でした。

また、その作業が終わると次は50部ずつ、撮影する企画毎の台本印刷作業がありました。
全て終わったのは28時頃。お風呂を済ませ、2時間後の出演者入り時間まで休憩時間となりました。

喫煙所で一服しながら同期の新人ADと愚痴を言いつつ、寝る場所もないためそのまま喫煙ルームの床で1時間ほど寝ました。

一体いつまでこの地獄は続くのか、終わらぬゴールを、働かない頭で考えながら、3日目は終わりました。

本日は以上です。4日目、5日目は番組の収録のお話です。
読んで頂き誠にありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?