番組の打ち切りをADはどう見るのか

こんばんは。毎日何を書こうか悩みつつ、アレもコレも考えていると時系列がバラバラに・・

随時更新しますので、ご興味がある方は是非フォローお願いします。



本日は番組の打ち切りについて、書こうと思います。

ここ数年、長年続いたバラエティ番組の打ち切りラッシュがありました。

めちゃイケ、笑っていいとも、みなさんのおかげでしたを筆頭に、全ての番組が伝説となったと思います。(全部8chじゃないかというのはさておき)


みなさんはそれぞれの番組にどのような思い出があるでしょうか。

私は全ての番組が好きだったので、とても残念な気持ちと、

いつのまにか、放送されているのが当たり前で、放送時間になってもテレビの前で待機していなかった自分に反省したり・・という思いでした。


特に、笑っていいともは全国民が愛した番組だと思います。

その最終回で、今でも心に残っているスピーチがあります。

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やっぱり、バラエティって非常に残酷なものだなとも思います。
おかげさまで歌もやらさせてもらって、お芝居もやらさせてもらって、バラエティもやらさせてもらって、
歌の世界っていうのは、いずれライブとかやれば最終日があって、
ドラマもクランクアップがあって、映画もオールアップがあって、
始める時に、そこのゴールに向かって、それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。
でもバラエティは、終わらない事を目指して、進むジャンルなんじゃないかなと。(抜粋)


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こちらは、長年この番組のレギュラーを務めた、中居正広さんの言葉です。

この生放送がされている時、私はそのテレビ局にいました。

この日は過去にないレベルで、多くの関係者がそのスタジオ、楽屋にいました。

そして、全国民が、感謝と寂しさ、様々なの思いで、番組を視聴していたかと思います。

このスピーチがされたとき、多くのバラエティ関係者が息を飲みました。

バラエティ番組とは人を笑わすもので、その裏側にある苦労や辛さは今まで語られていなかったのも、その理由かと思います。

人々が笑顔になる一方で、日々、四苦八苦して働いているスタッフが、一番

感じている思いを、国民的スターである中居正広さんが発したということ自体が、とても衝撃的でした。




話は私の体験談に戻ります。

私が担当していた番組は、私がADとして配属して数ヶ月後に打ち切りとなりました。

配属から2ヶ月経ったころ、私も仕事に慣れ始め、多くの作業をこなすようになりました。たくさんの雑用を進める中で、嬉しいこと、楽しいこともたくさんあれば、辛いことや悩み事もありました。

そんな中で、常に思っていたのは、

「この仕事にゴールはあるのか。」

ということです。

一般的なサラリーマンの数百倍、刺激的な経験はさせて頂きました。

が、この地獄のような労働にいつ終わりが来るのか、常々考えていました。

ディレクターになれる道筋も見えず、ただただ辛い日々。

いつしか私は、早くこの番組が終わればいいのに・・

と考えるようになりました。


そんな気持ちと同時に、番組の視聴率は右肩下がりに落ちていきました。

元々平均して10〜12%、スペシャル回では13%以上の視聴率であったこの番組も、私が担当となって3ヶ月後にはその半分となっていました。

また、とあるスペシャル回では5.4%という視聴率で、過去最低の数字であったことも話題となりました。


番組の視聴率が落ちると、テコ入れが入ります。

それまで強気だった総合演出の発言力も弱くなり、プロデューサーの意見が通るようになってきます。そうなると、小手先の知識に頼ることなります。

テレビ業界では昔から

「ラーメン」「動物」「子供」

この3つを出せば視聴率が取れると言われています。

まさにその通りに、番組ではテコ入れとしてこの3つを使った企画が実施されました。

また、数多くのゲストをキャスティングしていきました。


結果、番組の良さは消え、レギュラー出演者の影も薄くなり、これまでのファンも離れ、テコ入れから3ヶ月後には番組の打ち切りが決まりました。


番組の打ち切りがADに伝えられるのは、打ち切りの1ヶ月半前くらいの時期でした。

それまでもテコ入れの影響もあり、なんとなく終わるのではないかという噂もスタッフ内ではありましたが、いざ終わるというアナウンスがされた時の私は、正直ホッとしていました。


ようやくこの地獄から解放される。


そんな醜い考えで、私は残りの1ヶ月半を過ごすことになります。


中居さんの言葉のように、バラエティ番組には終わりがありません。

終わりがあるとすれば、それは悲しい結末を迎える時です。

それはどんな長寿番組であっても、同じです。

他の番組と違い、戦って、戦って、戦い続けるしか道はありません。

そんな世界で働く全てのスタッフ、出演者の方を、私は心から尊敬しています。




番組の最後の収録が終わった夜、出演者と関係スタッフ全員で打ち上げが行われました。

それまで出演者とロクに会話もしたことがありませんでしたが、その日だけは別でした。

レギュラー出演者から、労いの言葉を頂き、あの企画がよかっただとか、君はこんな人だったんだね、だとか、ほんの20分程度の会話でしたが、一生の宝物です。


また、後日、最終回の編集が終わった時、総合演出がADをひとつの会議室に集めました。

この方は、私からすると、とてつもなくおっかない人です。

面白いこと、やりたいことをするためには方法を選ばない。傍若無人。

そんな方が、涙をこらえながら、我々に感謝の言葉を述べました。

「番組が終わってしまって申し訳ない。全ては俺の責任。これまでたくさんのサポートをしてくれてありがとう。この番組での経験は絶対に次に生きるから、これからも頑張ってほしい」

この番組を担当したAD全員が、この言葉を胸に刻み、次の道へ進みました。




以上が私の番組打ち切りの体験談です。

この数日後、私にとってまた大きな転機が訪れました。

それはまた後日、書き進めていきます。

本日も読んで頂き、ありがとうございました。