コメカの本屋日記 その1 2019/06/25

国分寺駅のそばで、自分の古本屋を始めた。これを書いている6月末の時点で、オープンからちょうど三ヶ月ほどになる。早春書店と名付けた7坪ほどの小さな店舗のなかで、日々仕事を続けている。


大学を卒業してから、新卒で入社した大手の新刊書店チェーンで、10年ほど仕事をした。本を読むのも本屋に行くのも、子どもの頃からもちろん好きだったけれど、就職するに当たって、「自分はこれから何が何でも、絶対に本屋として生きていきたい!」と強く願っていたわけでは別にない。

学生時代の自分はひたすら1980年代のサブカルチャーを掘り起こすことに没頭し、ニューウェーブ風のロックバンドで歌を歌ったり、サブカル批評の真似事のような文章を書いたり、正直言ってあまり人生をきちんと考えているとは言い難いバカな若者だった。とにかく、自分が面白いと思うことを追いかけているばかりで、自分がゆくゆくどういう人間になっていきたいのか、どういう生き方をしていくつもりなのかということを、ロクに考えていなかったと思う。

そういう若者が就職活動を上手くこなせるわけもなく、リーマンショック直前の売り手市場状況下だったにも関わらず、箸にも棒にもまったく掛からなかった。自分自身のなかでも、就職活動をすればするほど、社会のなかで自分が働いていくイメージを掴めなくなっていき、違和感だけが膨らんでいった。

特に一番違和感があったのは、大概どの面接でも、面接官との会話をまったく面白いと思えないことだった。いや、世の中の尺度で言えば、面接を受ける側の人間がそこに面白さを求めるのは完全に間違っていることぐらいは分かっていたんだけど。でも、当時の自分にとってはその「面白くなさ」が、就職に向かう自分の気力を削ぐ一番の原因だったように思う。

面接官たちがぼくのような人間を必要としていないことが、面接での会話のなかからありありと伝わってきた。それはもちろん彼らに悪意があったからではなく、彼らが運営するシステムのなかでは、ぼくのようなタイプの人間が機能する可能性はとても低い、と彼らが判断せざるを得なかったからだろうし、そして実際その判断は正しかったと思う。

ただ唯一、前述の書店チェーンでの面接だけは、面白いと思うことができた。どんなことを話したのか正直言ってほとんど憶えていないんだけど、何というか、会話のキャッチボールが成立している喜びを面接中に覚えたことだけははっきりと記憶している。ただ自分が面白いと思うことを追いかけているだけの人間でしかないぼくを、面接官たちがちょっと面白がっていることが、会話のなかから伝わってきた。その面接を受けているあいだ、「合格したい」ということよりも、「この本屋の人たちとの会話は面白いな」とぼくは思っていたのだった。

そして、唯一面白いと思えたその面接を受けた本屋で、ぼくは10年間仕事をすることになる。その間にあった様々なことはまた改めて書くけれど、少なくともぼくはその10年間のあいだに、「自分なりの基準で何かを面白がること」を、自分のなかで諦めずに済んだ。

「自分なりの基準で何かを面白がること」は、ぼくのなかでものごとの優先順位の一番上にある。自分の基準でものごとを面白がるのを諦めてしまうこと、他人がものごとを面白がる基準に自分の身を委ねてしまうことが、ぼくにとっては一番苦痛なことだ。

本屋という仕事や場所は、「自分なりの基準で何かを面白がること」を、諦めさせるどころかより鼓舞してくれた。いや、実際は日々の業務は地獄のように大変だし、労働としての先行きははっきり言ってまったく明るくない。ただ、面白がることを意地でも諦めたくないから、自分の店を開いてでも本屋を続けようと思ったのだ。この店を通して、どこかの誰かがまたその人なりに勝手に、ものごとを面白がっていってくれたらいいな、と思っているのだ。

いまでは僕は、「自分はこれから何が何でも、絶対に本屋として生きていきたい!」と思っている。


あー、店を開いてからの近況を書こうと思ったら、10年近く前の話をしただけだなコレ。最近のことは、おいおい書いていくつもり。

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