ネトウヨになっちゃった人にかける言葉は特にないけど / パンス

 ナンバーガール再結成に関して、僕と同年代の人々が歓喜の声を上げているのと並行して、メンバーだった人がネトウヨなんじゃないのという話が議論を呼んでいます。
 

 僕はナンバーガールというバンドが好きで最後のアルバムまで熱心に買っていたけど、解散後のZAZEN BOYSは2006年のRAW LIFEでいちど観ただけだし、そのときもほかのDJに夢中でチラッと眺めたくらいだし、あまりファン面する資格もなさそうではあります。そして最近では(いちおう日本も含んだ)東アジア各国で生まれる新しいカルチャーを楽しんでいるので、近隣諸国に対する蔑視を表明することを生きがいにしているネトウヨのような存在に対しては怒りさえ覚えど、できればシカトしておきたいというのが本音だったりもします。しかし、歓喜の声を上げていた人たちがモヤッ……とした気持ちを抱えつつ、なんとなくこの問題自体がスルーされて終了みたいな展開もよく見られがちなので、その前にちょいと一言書いておこうかなと考えて重い腰を上げてみた次第です。

 さて、一連の批判がなぜ起こっているのか。アヒト・イナザワのTwitterフォローに杉田水脈などがいるという指摘もありますが、それだけで彼をネトウヨと呼んでしまうのは理由として不十分かと思われます。しかし、彼のバンドVOLA & THE ORIENTAL MACHINEによる「Flag」(2010年)という楽曲の歌詞を読むと、なるほどこれは生粋のネトウヨだと断定せざるを得ません(リリースから10年近く経っていますが、それでもTwitterフォローが上記のようなラインナップなので、とくに考えが変わったってこともないだろうということですね)。出てくる単語「特A」は「特亜」特定アジア諸国を名指すネットスラングでしょうし、「左に傾く君の姿勢の悪さを修正」というのもネトウヨお得意の左派批判。「子供たちの levelの低下 原因作ったの誰だ 二区競争!」これまたネトウヨお馴染みの日教組批判だと思われます。日本教職員組合(日教組)は1994年には文部省との協調路線を取っていますし、現状批判される意味がよくわからないんですが、とにかくカール・シュミット風に言えば「友敵理論」、敵を設定してブチ上がるという行為の反復で成立しているのがネトウヨで、なおかつその「敵」は自由に措定できるものとしてあるのです。そもそも左派とアジア諸国と日教組が同列で批判されているというのも意味不明ですが、彼らのなかではひとまとまりとして認識されているんですね。少し表記を改変しているとはいえ、こんな2chレベルのネトウヨ単語が羅列された楽曲がメジャーレーベルでリリースされるにあたって物言いが入らなかったのか……。と思ってしまいますが、なにせこの国は首相が野党の答弁に対して脈絡なく「日教組!日教組!」と笑顔でヤジを飛ばしているので、その基準に照らし合わせれば問題ないのかもしれませんね。
 

 これらの歌詞はちょいとガレージ入ったポスト・パンク風の演奏に乗せられますが、そのようなサウンドと右派的な歌詞が組み合わされたポップミュージックは世界的に見ても珍しい部類でしょう。とはいえ、イデオロギー的な符丁であるという前提を一旦置いて「ポスト・パンク風の演奏に散文的なイメージの単語が羅列される」楽曲と捉えた場合、ゼロ年代初頭の日本にはありました。ナンバーガールがそうです。かつてそこに在籍していた彼の意識としては、当時の雰囲気の延長上でなおかつ社会派な楽曲を作りました、という感じではないでしょうか。つまり進歩があまりない。ネットで借りてきたであろうチープな単語を並べ立ててるだけ。しかしチープだからダメというのでは批判たり得ないと思います。もう少し歌詞の背景を考えてみますと、この楽曲は「世直し」を志向したいという思いが現れています。「義の名の下に これ一刀両断」とも言っていますし。ネトウヨの多くも、この社会は変わらなければならないという大義名分のもとに言葉を尽くしています。ではそこで変えるべき社会とはなんなのか。
 

 考えてくにあたって少々スケールがデカくなり、歴史の話をします。ネトウヨが理想とする社会というのは(これは一概に定義づけられないのですが)まがりなりにも「ウヨ」右翼と名乗っているだけあって、いちおう戦前の大日本帝国のような、国力・軍事力を持った体制です。戦後日本はアメリカの統治下におかれ、民主化が進められるので、大日本帝国とは遠くなっちゃうのですが、一方でネトウヨはアメリカのことは大好きなので、いったい何なんだという感じですが(逆コースのことなどはとりあえず置いときます)、ネトウヨ以前の右翼勢力も同様のスタイルでやってました。そこで「敵」として定義されるのは、日本国内の革新勢力です。冷戦期は、ソ連の共産主義の影響があるという名目で右翼は彼らを攻撃しました。冷戦が終わるとソ連もなくなってしまい、大元の「敵」がいなくなってしまったのですが、そうなると対象はさらに曖昧になり、90年代は革新勢力の影響下にある知識人たちが「人権派」といった言葉で否定されるようになります。同時に中国・韓国などへの戦後補償問題も前面に押し出されていくなか、それをイチャモンのように受け止めて、それまでの歴史を書き換えようとする動きが出てきたのが90年代後半で、やがてそれらがゼロ年代にかけてマイノリティへの排撃に繋がっていきますーーさらに現在では、現政権自体に右派的なイデオロギーが強く流れているので、そこに異を唱える人なら何でもいいから全否定していこう。という段階まで来てしまいました。で、ここまでの流れのなかで(主にゼロ年代以降の2chなどで)展開されたネトウヨ的単語に依拠している、というのが「Flag」の歌詞なのです。つまり、「現状の社会を変える」というこの歌詞の表現が、マイノリティであったり社会を革新したいと考える人々への排撃になってしまっているからダメなんです。
 

 メチャクチャざっくり歴史を追ってしまいましたが、そんなこんなでここ数十年ですくすくと育ったネトウヨたちが元気にしているわけです。ではどうすればいいのか。結局、先に書いたように90年代に展開されつつ解消していないのは戦後補償問題、というか、日本が先の戦争と植民地支配に対してどのような清算を行うか、ということです。単純にそれしかないのです。ネトウヨになっちゃった人が考えを改めてくれるかどうかは分からないし、勝手にしてくれとも思いますが、とりあえずナンバーガールが好きな人は、不快になって否定して済ませたりスルーしてしまうだけでなく、考えてほしいなと思います。あまり他人への説教くさいことを書くのは得意ではないのでここらへんで止めますが。僕もガンガン書きます。

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